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それは後にまで長く語られることになる、ギターソロだった。
渦巻いていた観衆も、拳を突き上げていた観衆も、一瞬静まり返った。朱里の生み出した旋律に、瞬時にしてかつ完璧に支配されたのである。
ある者はそこに美しい女神の姿を見、また、ある者は絶対的創造主の姿を見た。
朱里の奏でし音は、地深くから天高くまで響き渡った。
自縄自縛する身体、発されることのない分募りに募った言葉の大波、そのすべてが噴出したのである。
ーー苦しかった。自由になりたかった。だから音に出会った。そう、この自分たちの生み出している、音に。
朱里はふっと、一瞬息を吐いて自分を振り返って見ている大地に気づく、大河に気づく、ルアンに気づく。口の端を上げてほほ笑んだ。
ーーそうだ、みんなで行こう。
自分たちの作って来た世界に、ここにいる全員を引き込んで、そして新たな世界を産み出していこう。
痛苦の全てに、桎梏の全てに、絶望の全てに、IN YOUR FACEーざまあみろーそう、唾棄してやろうではないか。
CEOルームのソファに持たれつつ、壁に映し出された息子を含む四人を見ていたリアムは、その細めた目から意図せず涙が伝っていることに当の本人さえ気づいていなかった。
これが、息子が希求してやまなかったステージか。
このために、ルアンは自分に頭を下げ、そしてこの少女をドイツまで連れていったのだ。
たしかに、そうする以外はなかったであろう。
リアムは深く納得する。
実家のシアタールームでスクリーンに見入っていた海里は、息をのんだまま微動だにできずにいた。
本当にこれが、自分の背中を追っていたあの、小さな朱里であろうか。術後泣いて苦しんでいたあの、弱々しかった朱里であろうか。
にわかには信じがたかった。
そこにいたのは、神々しいまでの音楽の女神だった。八万人を一気に己が世界へと引き込む力を持った、女神。
その時、朱里の奏でるギターソロは、単なる空気の振動ではなかった。
そこには、生への希求そのものが息づいていた。
朱里は空を仰ぐ。長い黒髪が風に靡く。ドレスの裾がたなびく。
ーー自分は人間としてあまりにも不備だらけの存在だけれど、でも生きたい。でも世界とつながりたい。でも幸せになりたい。
朱里の言葉が音となり、観衆の心を突き刺していく。
ーー取るに足らない存在かもしれない。
ーー人から嗤われる存在かもしれない。
ーー憐れまれる存在かもしれない。
ーーそれでも、生きたい。
ーー大切な人を裏切った。
ーー甘えに満ちた人生だった。
ーーでも愛したい。
朱里の目から涙が零れ落ちる。そうして朱里は静かに観客を見降ろす。彼らもまた、濡れた瞳で、あるいは恐懼した瞳で、同苦した瞳で、朱里を見つめていた。朱里はゆっくりと頷く。そして音を奏でる。
大地が、大河が、両サイドでしっかと腰を低くし朱里の飛翔を支えていた。
その時必死に朱里の完奏だけを祈っていたルアンは、ーー最後方から朱里の姿を見つめながら視界が滲んでいくのを感じた。
ーー朱里が立った。ヴァッケンのステージに立った。そしてこれだけの観衆を一気に自分の世界に引き込んでいる。ようやく見られた。夢ではない。これは一番夢に近い、現実。
そう思うと喉の奥から嗚咽が出た。でも腕は、脚は、朱里に叩き込まれたリズムを体現し切っている。感情ごときに翻弄されるような練習は積んできていない。俺はIN YOUR FACE、朱里と共に歩んできた。
観客は震撼していた。
この女は一体何者なのか。なぜこんな音を出せるのか。なにをもってどうやって生きて来たのか。
朱里は音で絶唱する。
ーー死に直面したあの夜、怖かった。死にたくないと、強く希った。どうして自分だけがこんな孤独な戦いを強いられなければならないのか、怒りもあった。ただただ幸せになりたかった。
そんな時、ここで死ぬわけにはいかないと、そう強く確信させてくれたのはやはり音楽だった。音楽が自分を生につなぎとめてくれた。世界と自分とをつなげてくれた。だから、心から今、感謝したい。音楽に、ありがとう。あなたたちに、ありがとう。そしてーー、
朱里はひらりと身をひるがえし、大地と見、大河を見、そしてルアンを見、「ありがとう」と最後のハーモニクスを響かせた。天を劈くような音だった。




