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ヴァッケン・オープン・エア当日ーー。
広大な荒野は世界各地からやってきた、黒ずくめのメタルファンで埋め尽くされた。その数およそ8万人。
荒野に設けられた5ステージで各国からやって来たメタルバンドが丸一日、朝も夜もなくライブが繰り広げられる。
そのライブの様相はインターネットを通じて、全世界にも配信される手筈となっていた。
IN YOUR FACEの四人は早朝、車で会場まで移動する。近くまで来て一旦降車すると、四人は自分たちのステージである通称、ブラックステージへと歩いて向かった。
足取りは軽いはず、だった。
朱里が遅れ出す。
最初に気づいたのは大地だった。
冬も間近だというのに額に汗がにじんでいる。手も自然と腹部に当てられていた。
「どうした、腹か?」
朱里は首を横に振る。
「辛いか?」
頷きたくはなかった。地面を見つめる。
「ほが(注:そうか)」
大地は朱里を腕の中に抱き上げた。そのまますたすたと歩きだす。
「おお、朱里いがっだな」
ルアンがそう言ってほほ笑む。深刻にとらえたくはなかった。とらえるべきではなかった。
朱里も気丈に頷く。
スタッフたちが「princess?」「Is it your wife?」面白げに声をかける。
「まあ、そうだっぺ」「ほだほだ」大地も笑顔で答えていく。
そうしてステージ脇までやってくる。
既に幾つかのバンドは演奏を終え、バックヤードではビールを手に労い合うバンドマンたちの姿があった。
「おお、おお。いい眺めだべ」そう言って大地はぬっと首を伸ばす。ステージ脇からも客の様子はよく見えた。
「あいづら一人も漏れなく湧かしてやっぺ。な」
朱里は微笑んだ。
でも、どうしよう。眩暈がする。視界がチカチカする。出血している、感じもある。
リアムの贈ってくれたドレスが漆黒であることに、朱里は心から安堵する。これもリアムの配慮であったのかもしれない、と今更ながら思った。
ーーでも、大丈夫
朱里は目を閉じて自身を落ち着かせようと試みた。
今演奏しているバンドの音も、観客の歓声も、どこか遠いところのようにぼんやりと耳に入ってくる。
ーー世界に、自分の曲を届ける瞬間が今、まさに到来しようとしている。
頭では理解していても、どこか現実味がない様な気がした。本当に、自分がこのステージに立てるなんて……。
中学生の頃、海里のライブを観て一気にそのメタルの魅力に引き込まれ、バンドを始めたーー。
それまで自分が抱いていた、言葉にできない思いを音にする喜び、それは毎度確実に苦悩を伴うものではあったけれど、自分でも世界と繋がれるのだと心から実感できるものであった。
だから音を通じてもっと高みへ、もっと強くーー、そう思いながら曲を作り音を奏でた。
嫌われようが憎まれようが、関係ない。そんなことはどうでもいいから大地にもルアンにも大河にも、日々ハードルを課し続けた。自分も、夜通しギターを弾き続けた。
だのに自分は裏切った。
そのせいで体は痛く苦しく、立てない日々も長く続いた。
こうして手助けを得なければ、ここに来ることはできなかったし、そのチャンスも得られなかった。
ーー奇蹟だ。
朱里は改めて思う。
何かが自分をここに連れてきた。
それは神ではない。
大好きな人たちの手によって、自分はここに来ることができた。
ルアン、大地、大河、海里、ママ、パパ、ルアンのパパ、おじいちゃん、おばあちゃん、お兄ちゃんたち、自分とかかわってくれたバンドマンたち、日本のライブハウスの人たち、ファン……。
ーー本当にありがとう。
「いよいよだべな」大地が言った。
朱里は生真面目そうに頷いた。
「楽しみだべ」ルアンはそう言ってスティックを握り締めながら、肩、腕のストレッチに余念がない。
「とうとうここまで、来たんだべな……」大河も微笑みながら呟いた。
「ありがどな」大地が言う。
誰へ、なのか何が、なのかはわからなかったが、三人は心得顔に頷いた。
タイムキーパーを兼ねたスタッフがやってくる。
ーー時間だった。
「映った映った!」
大地の家では父親がリビングのテレビ(いつもこの時間帯には野球中継以外を映すことはほとんどない)の操作に苦心しながら、ついにドイツ・ヴァッケンのステージを映し出すのに成功していた。
「まだ始まってねえべか?」その隣で母親もハラハラしながら画面を凝視する。
「まだだ! あー、大河が残してくれたメモ書きのお蔭でようやく観れだわ! 大地の説明はひとっづもわがんねえ! あん野郎、このへんぽちぽちぽちってやらあテレビさ映るから父ちゃんよろしぐっで、それだけで行っちまいやがっだがんな。まっだぐせやける(注:腹立つ)野郎だべ!」
「何言ってんべ、父ちゃんにそっくりだべよ」呆れたように母親は言う。
その時、座布団の上でしっかり正座をしてテレビの前に陣取っていたばあちゃんの眉がぴくり、と動いた。
「大地だべ!」
「何?」両親が肩を並べてテレビに食い入る。
指の先にはステージ脇、それも階段の下にわずかに映った大地の姿を捉えていた。
「いだ、いだいだ(注:いた)! ほれ、ここだべ!」ばあちゃんは中腰になり、にわかに昂奮してくる。「あまっこ抱っこしてら!」
「あんれえ、ドイツさまで行って仲いいごど」母はそう言ってほほ笑む。
「いよいよだっぺな!」父親は腕組みをして座り込む。
「大河はどこだべ?」母親が心配そうに問うた。
「どっかにいっぺ。だいじだ、あいづは目立たねようにしてっけど、大地の傍にいづもいっがら。何があれば大河がしっかりやんだ」
「頑張れ大地、頑張れ大河、なんまんだぶなんまんだぶ」ばあちゃんは手を摩った。
四人はステージに自らの足で立つ。
ルアンの怒濤の如きドラミングが鳴り響いた。
地平線までを埋め尽くす観客の期待と歓喜に満ちた歓声が、天に向かってどこまでも昇っていく。
そこに絡む大河のベースは、いつもの如く正確無比、金剛不壊。何物にも屈しない。
そこを覆うように大地の叫びが広がっていく。
嫉妬よりも深く、闘争心よりも深く……、日本で優勝した時のそれとは異なった巨きな音が溢れ出す。
ギターにおいても重々しいリフを刻む。と、共に大河と息の合った激しいヘッドバンキング。
その隣で朱里は遠く、どこかここではないところを見据えるようにして大地の5音上のリフを刻んでいた。
熱気。埃。目の前が霞む。痛覚。でも何が起きたとて、倒れるわけにはいかない。
朱里は真っ白な顔をして、それでも気丈に大地のリフと僅少のズレも生じない、ほとんど奇蹟的ともいえるハモリを刻んでいた。
ーー大丈夫だべか
ルアンは背後で一人、朱里の姿を見守っていた。
ーー頼むから、このステージが終わるまで、立たせてやってくれ。頼む。
祈るような思いでバスドラムを踏みしだく。
「シェリーちゃん……」
朱里の母は指先が白くなる程に、ぎゅっと手を握り締め、壁一面に映し出された娘の様を凝視していた。鈴木家自慢のシアタールームに集いしは、まず中央に母。その隣に海里。その背後には祖父、父、長兄、次兄、三兄の姿もあった。
「ああ、顔色良ぐねえべ……」母の目からは涙が落ちる。「頼むから、死なねえでくろ。ほっだら遠いところで……。頼むから……無事で無事で……。」
海里は母の背を撫でた。
「だいじだ。あいづは強くなったかんな」海里が低く呟くように言った。「昔の、何も言えねえで下さ向いてだ朱里でねえ」
「ほだ」父も重々しく頷く。「朱里は自分で手術さ決めて、自分で自分の人生切り拓くようになったでねえが。こっだらどこでくたばるような『娘』でねえ」
母はこく、こく、と自身を納得させるように何度も頷く。
「うぢの自慢の孫娘でねえが。母ちゃんが泣いてちゃあしゃんめ(注・仕方がないだろう)。母ちゃんとしてしっかと見てやれ」
祖父にそう促され、母は涙で満ちた瞳を再び画面に向けた。
その時、朱里が一歩、センターへと踏み出した。




