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 その後も数回のリハを経る中で、朱里の音はもはやメタル、というジャンルに留まらない強固な信念と生の執念が脈打っていた。単なる重み、でもなければ圧でもない。朱里の音は聴く者の心を必ず、打つ。抉る。屠る。これをもってすれば、必ずやヴァッケン・オープン・エアでは最高のステージングができる、と大地も大河もルアンも確信していた。

 あとはどうして朱里を現地まで無事に連れて行くか、そこに全ての問題は集約されたかに見えた。

 依然朱里の足元は覚束なく、顔は青白く、いつにも増して無表情で寡黙だった。どこか別の世界に足を踏み入れてしまったかのような振舞。

 いつもであればスマホに入力した文字を通じて、分け隔てなく三人と雑談にも興じたが、もはやそういった余裕もなかった。ふと休憩中に目をやれば、朱里は目を閉じてじっと椅子にもたれている。

 海里にギターを持たせ、どうにかスタジオまで連れてきてもらう日々。辛うじて何とかセッティングまではできるようになったが、ずっと立っていることはできなかった。アンプを背もたれ代わりにしてリフを刻み、それでもどうにかソロでは一歩を踏み出す。その繰り返し。

 その姿をルアンは最後方から眺めながら、崇高さとも聖性ともつかぬ、胸が熱くなるものを感じていた。

 だからこそ、ーー自分の選択とそれに基づく行動をこの上なく誇りに思った。


 いよいよ明日出発となったその日。

 かつてない完成度のリハを終え、ルアンは満を持して、「ほだ。明日だがな、みんなで車で空港まで行ぐがんな。朱里んちの前に集合でいいな?」と言った。

 「おめが運転すんのが?」大地が驚いたように問う。

 「ほっだらごどではねえが、……まあ、だいじだ(注:大丈夫だ)」

 「チケットは本当に取れたんか?」大河がそう言って訝る。未だ手元に配布されないのが不安で仕方がないのである。

 「取れたっつってっぺよ。おめはいづまでもいづまでも、よぐ飽きねえで人のこと疑うなあ」

 「だってよお」

 「まあ、だいじだべ。こう見えてもルアンは溶接資格持ってんだど?」なぜだか大地が自慢げに言う。

 「溶接とチケットとなんの関係もねえべ!」

 「あっぺよ。飛行機どっか捥がれでも、くっづけられればヴァッケン行けっぺ」

 大河ははあとため息をつく。最近いよいよ馬鹿に磨きがかかってきているように思えて仕方がない。

 「まあ、ともかく明日は朱里んちの前に集合な」ルアンはもう一度三人に言った。

 結局ただの一度も微笑むさえことなく、朱里は力なく頷いた。


 翌朝ーー、そこには黒塗りのリムジンが停まっていた。

 四人が呆気に取られている内に、白手袋も眩しいグレイヘアの紳士が車から降りてきた。紳士はルアンを見、

 「ルアンさ……」

 そう言い切らないうちに、ルアンが大声を張り上げた。

 「ああああああ! じいちゃん元気だったべか? ああああああ! しばらぐしばらぐ!」

 そそくさと近寄ってこっそり耳打ちをする。「ルアンって呼んでくろ」

 大地も大河も朱里も、こぞって目を丸くしている。

 「さあ、乗った乗った! 朱里は一番後ろで寝で行けよな。ほれ」

 朱里はルアンに押され、最初に無理矢理リムジンに押し込まれる。

 「ほれ、おめの席はそこだ、そこ。靴さ脱いで、いいから寝てろ!」

 朱里は勝手に靴さえ脱がされ、長いシートに寝かせられる。用意周到なことにそこには毛布さえあった。

 「おめ、どうしたんだ、これ……」

 そう言って大地も不審げに乗り込んだ。

 「いやあ、じいちゃんが来てくれてなー!」

 「おめ、じいちゃん日本人でねえべ」

 ルアンは大地を睨みつける。「外国人差別はやめんだ」

 大河はもうルアンの言葉を何一つ信用していない。

 「失礼します。よろしくお願いします」紳士に頭を下げて乗り込んだ。

 ルアンは早速一番前に乗り込み、わざとらしく

 「いやああ、じいちゃん久しぶりだべなー。砂沼サンビーチ連れてってぐれて以来だべなー」

 「……絶対嘘だべ」

 大地が大河に耳打ちする。

 大河も頷くが、とりあえずリムジンは出発した。

 朝の輝かしい東京のビル群が次々に過ぎ去っていく。

 何はともあれ、いよいよヴァッケンへの出立であった。

 大地はちら、と横になっている朱里を見やった。

 やはり、体調は万全には程遠い。本当にこれで無事にヴァッケンに到着できるのか。ステージに立てるのか。

 大地はそっと腰を上げ、苦し気に目を閉じている朱里に近寄った。

 「これ、持ってろ」

 そう言って手渡したのは、四人が幼少時何度も遊んだ砂沼のほとりにある八幡神社のお守りだった。〝病気平癒”と書かれた、朱里が好きな水色のお守り。

 朱里はありがとう、と目で伝えて受け取った。ぎゅっと握りしめる。

 「大丈夫だべ」大河もぬっと顔を出し、微笑みを浮かべて頷いた。「あとは勝手に飛行機が飛んでくだけだかんな」

 しかしそんな楽なものではないことを、大河は知っていた。

 移動時間は実に20時間以上。しかも椅子に座ったままである。

 もし朱里の体調が悪化したら……、厭な想像ばかりが頭を巡る。しかしそんなことを考えても仕方がない。だから、もう自棄になったつもりで、大河は朱里を励まし続けるつもりでいた。


 四人を乗せたリムジンがいよいよ空港に近づくと、朱里は目を覚まし、窓からの風景に異変を覚えた。

 朱里は家族旅行やら、母との旅行やらで既に何度か海外へ行った経験があった。しかし、そこで利用してきた駐車場とは異なっている。どんどんと空港に、もっと言えば飛行機の発着場に近づいてしまっている。

 しかし、大地は初めての海外、初めての飛行機であるものだから、

 「飛行機めちゃくちゃでっけえぞ、すっげーなー」だの、「ああ、飛んだ飛んだ!」だの、いちいち大騒ぎをしている。

 自分の体調が悪いから、特別に飛行機近くまで連れていってくれるのだろうか、否、そんなはずはない。しかし、どんどん車は機体の近くまで進んでいく。朱里は次第に不安を募らせた。

 最早整備場に入ろうとしている。

 朱里はさすがに起き上がって、ルアンの肩を後方から叩いた。あっち、正しい駐車場を指さす。

 ルアンは面倒くさそうに「おめは寝てろよー」と言い放つ。

 だって! 朱里は再び駐車場を指さす。

 「飛行機、順番にどんどん飛んでくな! かっけー!」まるで子供のような声を上げ続ける大地はあてにならない。朱里はルアンの肩を今度は拳で叩いた。

 「いいがら! 間違ってねえから! 俺のじいちゃんが間違うわけねえべ! おめは黙って座ってろ」ルアンは朱里の肩を押さえて座席に身を降ろさせた。

 最早他に車はない。遂に整備場についてしまって、停車する。ドアが開けられた。

 こんなところまで入って来て、どういうことですか。間違っていますよ。そう怒られるのではないかと朱里は冷や冷やしながら、それでも大地の肩を借りて、車を降りた。

 飛行機が目の前に待機している。しかし、ずいぶん小ぢんまりとした機体だ。

 扉が開けられる。そこから紺地のスーツを着込んだ若い男性が出てきて、深々とお辞儀をする。

 「どうぞ、お待ちしておりました。ファム・ルアン様」

 朱里はあんぐりと口を開けた。

 「ど、どういうことだんべ?」さすがに大地も異変に気づく。「あっぢのでけえのに乗ってくんでねえのが?」

 「いいがら」ルアンは朱里をよいしょ、と抱き上げ「おめ、朱里の荷物持ってこーよ」と、魂消て足を止めている大地に言い放つと、そのまま機体に乗り込んだ。

 中には、ソファに加えてベッドが設えてあった。

 「おめは寝てげ」そう言ってベッドに降ろす。

 ーーどういうことだろう。これは、プライベートジェットだ。当然見たことも乗ったこともないが、この豪勢な室内、他に乗客は誰もいない。疑うべくもない。でも、なぜルアンが?

 「何も気にすっごどねえ。おめはヴァッケンのことだけ考えてりゃいいがら」

 朱里は目を盛んに瞬かせながら、ベッドの上から遅れてやってきた大地と大河を見つめた。

 「ルアン、何やってんで? いくらすっと思ってんで? 俺ら破産するど! 明日から全員タコ部屋労働だっぺ!」大河が泣きそうな顔で言う。「ああ、おめにチケット手配頼んだのが間違いだったべ! 俺がやればいがっだー! この馬鹿野郎!」

 いつも穏やかな大河が血相を変えて慌てふためいている姿を見て、さすがに言い逃れは難しいと判断する。ルアンはつまらなさそうに俯いて、呟く。

 「親父に頼んだ。それだけだ」

 「親父?」

 「ほだ。これは嘘でねえ。本当の親父だ。……じいちゃんは嘘だけど」

 ルアンは思い出したように機体から顔を出すと「じいちゃん! ありがとな!」と手を振った。

 大地は、すっげえなどと言いながら豪華な室内をまじまじと観察している。

 「いがったな、朱里! ゆっくり寝て飛んでけるど! ありがとな、ルアン!」大地は何をどこまでわかっているのか、わかっていないのか、朱里の頭を撫でてやる。朱里の目には涙が滲んでいる。

 飛行機が飛び立っていく。大地は「うおおおお、凄ぇええ! どんどん建物が小さくなってぐうう!」などと言いながら、騒いでいる。

 朱里は手元のスマホを取って、ルアンに見せた。

 「これ、私のために?」

 ルアンはしばらく答えもせずに、視線を宙にさまよわせていた。

 ねえねえ、朱里が真剣な顔で自分の膝を叩くので、

 「これっきりだべ」ぶっきらぼうに答えた。「来年のヴァッケンはあっちの普通ので行くんだからよ、いづまでもぐだぐだしてんでねえど」

 朱里は涙目でうん、と頷いた。

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