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翌朝、大地は朱里の家を訪れる。朱里はハンドバッグ一つで、そこらへ散歩をしに行きますといった極めて気軽な体で出てきた。
荷物は既に離れに用意してあるとのことだったので、大地が荷物を取りに行き、そのまま家の外に止めたメルセデス・ベンツに乗せる。
朱里の顔が心配そうに曇った。
「車どうしたの?」
慌ててスマホに打ち込んで大地に見せる。
「父ちゃんが貸してくれたべ」
朱里は目を瞬かせている。
「軽トラ借りるつもりだったんだけど、あまっご乗せるつったらぶん殴られてこっちにしろってなった」
ーーあまっこ
大地は自分をあまっこだと親に告げたのだろうか。朱里の頬はにわかに赤くなる。
「まあ、こっちの方が背中さ倒せるし、乗ってて楽なのは確かだべ。ほれ、乗れ」
朱里は半ば押し込まれるようにして助手席に乗った。
「寝てていいがらな」
朱里は大地の言葉に甘え、そっと眼を閉じた。
ゆっくりと、車は出発する。
大地はChildren of Bodomの名盤「HATE CREW DEATHROLL」を流し始めた。何度もみんなで聴いた曲。特にルアンが大のお気に入りで、何度コピーしたかわからない。迸る激情、勢い、ルアンはそんな曲が大好きだった。
ルアンは朱里が作ってくる曲でもBPMが上がれば上がる程人一倍文句を言うくせに、いざ練習に入ると楽しくて仕方がないといったように叩きに叩いた。そして、そんな曲を呈されると現実派の大河も一応困った顔をするものの、誰よりも正確に仕上げてくるのが常だった。さらにルアンの激情にしっかりと合わせてくる。
ーー朱里の曲を忠実に表現することが俺の仕事だべ
いつだったか、そんなことをぷつんと口にしたこともあった。
ーー楽しんでやってよ
朱里は苦笑しながらそう書いてメモを見せる。
ーーでもヴァッケンめざすんだっぺ? ほっだら楽しんでばかりじゃだいだと俺は思うべ 世界には超人みてえなベーシストがたんまりいっかんな
実際には一歳年下の大河が、このバンドの誰よりも大人びている。舵取りをしている。そう感じることが、ままあった。だから大地もルアンも、そして自分も、自由に自分らしく世界を目指すことができたのだ。
ーーみんなのことが大好きだ。
改めて朱里はそう思う。このバンドが、大好きだ。それは幼馴染だからだとか、気心が知れているとかではなくて、このメンバー以外だったら音楽を志すことができなかったというくらいに、重要であったし必然であった。だから、ーー喪いたくない。
ふと、隣でハンドルを握る大地の横顔を眺める。
視線を感じ取った大地が問う。「どした? 体辛ぇのか?」
朱里はそれには答えず、そっと身を乗り出して左頬にキスをした。
大地は一瞬驚いた顔をして、前を見たまま左頬を抑える。
嬉しそうにほほ笑みを漏らしながら、「こら、あまっごだって言われるわ」と言った。
海里のマンションに着くと、父母からは既に怒涛のメッセージが来ていた。朱里のスマホにおさまらず、海里のスマホにも電話が入る。
海里は朱里のスーツケースを部屋に運び入れながら、スマホの通話ボタンを押すと即座に、「シェリーちゃんが上京しちまった!」ヒステリックな母親の声が電話の向こうで響く。
「部屋に置き手紙さ置いて、……まだ起きれねえ歩けねえ体なのに!」
海里はちら、と大地に支えられて部屋に入ってきた朱里を見る。朱里は、うん、と頷いた。
ーー心配するといけないから一応置手紙、してきた。そんな顔をしている。
「ああ、朱里はもううぢさ着いてるから大事だべ。母ちゃんは何の心配もいらね」海里がそう言い終えるや否や、
「心配いらねっつことあんめな! シェリーちゃんまだしっかり一人で歩けねのに! ほれ、今からシェリーちゃんごどまた下妻さ連れてきてくろ! 東京なんてどう考えたってまだ早すぎるべ!」喚き散らす。
ーーだって、ヴァッケンに向けてのリハもあるし。
朱里だけではなく海里もそうわかっている。
「だいじ(注・大丈夫)だ、こっちで俺が面倒見っから」
朱里は大地の肩を借りてベッドに横たわる。海里はスーツケースを置くと、部屋を出る。
「一体どうやって東京行ったんだべ! 倒れちまったらどうしたらいいのが!」海里が遠ざかるに連れて、声が次第に小さくなる。
「……母ちゃん心配してんな」
朱里は頷く。
「本当にだいじなのか?」さすがに大地の胸中にはさすがに罪悪感が芽生える。客観的に見れば、こんな状態で朱里がギターを弾けるとはとても思えない。朱里の母親の言葉は全て、正しい。
朱里はスマホに文字を打ち込む。
ーースタジオの予約入れてほしい ヴァッケンに向けてのリハ始めないと
大地は頭を掻いた。「……おめ、本当にギター弾けんのが?」
朱里は力強く頷いた。そうしてさらに言葉を打ち込んで見せる。
ーーもう始めないと間に合わない
そうしてヴァッケンに向けてのリハがスタートした。実に一か月以上ぶりにようやくバンドの練習が再開したのである。
朱里をスタジオまで連れてきたのは、海里であった。朱里がギターを持って歩くなどということは到底無理な話であったので、代わりにギターを背負ってやり、朱里に肩を貸しながらやってきたのであった。
その様を見て、さすがにルアンも言葉を失った。
ーーでも同情はできなかった。
いっそ朱里にはまだギターが無理だということになって海里が代理を申し出てくれればいい、そうも思っていた。
朱里のことが嫌いなわけではない。コンポーザーとしてはこの上なく尊敬しているし、曲にかけては一種の天才だとも思っている。
ただ、あのメタルバトル・ジャパンでの興奮が忘れられなかった。かつてない客の盛り上がり、大地のフロントマンとしての圧倒的存在感。これこそがIn Your Faceでの完成形だと思わせるような、気迫、熱情、怒涛。
大地と大河も心配そうな顔はしてみせるものの、ルアンの思惑については知悉しているので表立って朱里を助けてやることもできない。
海里が黙って、朱里のギターを準備する。シールドをつなぎ、エフェクターボードを開け、マーシャル2000のセッティングまでしてやる。そして、アンプ前にパイプ椅子を置いた。
「なんでえ。朱里立って弾けねえのかよ」ルアンが口を尖らせて言った。
「まあ、ギター弾くの久しぶりだかんな。大目に見てやってくろよ」海里があえてなんでもなさそうに答える。
朱里は申し訳なさそうにそこに座った。ギターを受け取る。
ルアンはドラムセットの中から改めてまじまじと朱里を見た。
顔もいやに白いし、唇も乾ききって、辛そうにやや開いている。何より眼を背けたくなるのはその腕だった。点滴と注射の痕で腕を埋め尽くすように赤く腫れている。
ルアンは息をのんで、目をそらそうとした。でも、ーーできなかった。
本心では朱里が可哀そうで、痛ましくて、たまらない。でも一方では、自分勝手なやつだ、バンドよりも自分の欲望を優先したやつだ、そう罵倒したい気持ちもある。それでも幼い頃からずっと一緒だった、そして自分の強制送還という窮境を助けてくれた恩人たる朱里を、憎み切ることはどうしたってできなかった。できる、わけがなかった。
意を決して、「やるぞ」ルアンは朱里から必死に目を逸らし、俯きながら言った。「準備できだか?」
朱里は頷いた。
「じゃあ、一曲目から」




