19
「俺、先に帰る。」
大地がそう言って大河とルアンの隣を俯きながら通り過ぎようとしたその瞬間、
「リョウさんが言ったこと、しみじみ(注:しっかり)考えるべきだと思うべ。」
ルアンが震える声で、それでもはっきりと言い放った。
大地が明らかに苛立った眼差しでルアンを睨み上げる。
「朱里をクビにするっつうのが? あいづが曲作ってんのに? ふざけんでねえ!」
「クビだなんて言ってねえべ。ヴァッケンにはこのままあんちゃんに出てもらった方がいいべって話だ。その後朱里に戻ってきてもらえばいいべ!」
大河は震えながら二人を交互に見た。
「ざけんな! ヴァッケンには朱里と行くって約束だったべ!」
「ほっだらごど言っても、実際問題起きれねえんだからしゃあないべよ! おめこそ朱里に外国さ行かせで無理させてえのが? ほんなごどして、ここでバンドが終わってもいいのが?」
大地は悔し気に下唇を噛んだ。
「おめの今日の歌もギターも、何もかも今までで一番凄ぇかった。後ろからも、はっきりわかるぐれえヤベエ気迫だった。あんちゃんよが上だったと俺は思う。でもそれは、」ルアンは一瞬黙して、「あんちゃんがいたからなんだ。」
「やめっぺ」大河が震える声で言った。「今ライブが終わったばかしで、ヴァッケンも決まったばかしで、ここでほっだらごど言わなくたっていいでねえべか。後で話し合いを持つべ。な。」
大地とルアンは目線を合わせることもなく、それぞれ出口へと向かう。
「おお、In Your Faceだ! 優勝おめでとう!」
「最高のステージだったよ! ヴァッケン最年少だってな! 頑張ってこいよ!」
「ヴァッケンでもかましてこいよ!」
観客や他のバンドメンバーたちが三人に気づいて、次々に喜びの声を上げる。ルアンは引き攣る笑みを浮かべて、「ありがとうな! ほだ! これからみんなで飲みに行くべ! 祝い酒だ! 朝まで飲んで飲んで、飲み明かすべよ!」そう叫んだので、客もバンドマンも一斉に歓声を上げた。
ルアンが大地の隣にやってくる。「俺は今日はあんちゃんぢ行がねえ。明日下妻さ帰るから、おめらだけであんちゃんち泊まれ。」ルアンは一瞬にして深刻そうな表情に戻すと、そうこっそりと大地と大河に耳打ちし、客とバンドマンを引き連れてライブハウスを出て行った。
大地と大河が海里の家へ戻ると、既に海里は帰宅しており、朱里はベッドの中で眠りに落ちていた。
「本当に決まったな、ヴァッケン」
海里はそう言ってリビングのソファに座り、ウイスキーをちびり、ちびりと飲んでいる。大地の前に出されたロックが、静かな夜にからん、と氷の音を立てた。
「朱里も……、ヴァッケンさに行く頃にはちゃんと治ってっぺ。」大地は半ば祈るように言った。
大河は先ほどのやり取りを思い、はっとなって大地の顔を見た。
「ほだな。」海里も何の抵抗もなく頷いてみせる。
ーーこの二人の間では朱里がヴァッケンに行くことが自明となっている。そうだ。それでいいのに。どうしてリョウはあんな忠告をしたろう。放っておいてほしかった。何も言わないでいてほしかった。
大河は深いため息をついて、窓の外に拡がる都会の夜景を眺めた。そうしてルアンが今頃どうしているかとも思い、胸を痛めた。
「……朱里が元気に治らなかったら、どうしたらいい?」
突如静かな部屋に大地の声が悲痛に響いた。
「え?」海里は半笑いで聞き返す。
「朱里が、もし、……元気にならなかったら。」
大地の目から涙が零れる。
「何言ってんで?」海里は鼻で笑う。「あいづは別に不治の病ってえわけでねえど? ただ手術を受けて、回復を待ってるだけだべよ。」
「わがっでる!」
「じゃあ、何でほっだらごど言うんで?」
「リョウさんが」大地は胸まで裂けてしまったとでもいうような苦痛の表情で言った。「あんちゃんとヴァッケン行った方がいいって、言うんだ。」
さすがの海里も口を開けたまま、大地を見つめ固まった。
「あんちゃんがいたから今日のステージングができだって。朱里だったら今日優勝できだがも怪しいって……。」
「……マジ、……か?」
「俺は今日、あんちゃんが隣にいてずっとずっと、負けたくねえっで思ってだ。あんちゃんが出て来た瞬間、客が無茶苦茶盛り上がって悔しくて悔しくて。ほんで、俺を観ろって、俺の歌を聴けって、俺のギターを聴けって、こらぁ俺のバンドだって、客睨みつけて怒鳴りつけてステージに立ってた。だから、……優勝したんだ。リョウさんが言ってた。……俺も、……そう、思った。」
「だから俺とヴァッケンに行くのが?」
「厭だ」即答する。
「じゃあ、他人に何言われたって構わめよ。」
「ほだ。俺は朱里と行きてえ。朱里がいい。でもそらプロでねえのが? 俺は死ぬまでバンドやりてえしバンドで食っていきでえって思いもあっけど、冷静に考えられねければプロにはなれのが? 俺は朱里が好きだから……」言ってしまってはっとなる。そして、俯いて首を何度も横に振り、諦めたように、「朱里がいねえんならバンドやんなぐっでいいし、俺は農家で食ってく。」ぼそりと吐き出した。
朱里は一人暗い寝室でじっと天井を見上げていた。その目尻から涙が零れ落ち、窓の外から入る街の光を映じた。それは夜景のどの光よりも強く輝きわたっていた。




