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 サポートギタリストが海里である、ということに気づいた観客のボルテージは一気に頂点に達した。日本の若手メタルシーンでは随一の存在、昨年ヴァッケンに出場したばかりの、一番脂ののったバンドである。しかもそのフロントマン。存在感は他を完全に圧していた。

 すぐさま客席には巨大なサークルピットが生じ、海里の前を中心にみるみる大渦が誕生する。この予想外のギタリストの登場に誰もが拳を突き上げ、到底抑え切れないとでも言ったような歓喜を迸らせながら走り回った。

 しかし観客の盛り上がりを見ても、哄笑を見ても、大地の胸中にはいつものような随喜は訪れなかった。

 ーーあんちゃんに負けてたまるか。

 大地はいつもよりぐいと腰を落とし、腹の底からグロウルをがなり立てた。ギターのピッキングにもおのずと熱が籠る。

 ーー俺の音さ聴け。これは俺のバンドだ。あんちゃんのバンドでねえ。

 暴れまわる観客たちを敵視するように睨みつける。おのずとそこにはかつてのIn Your Faceのライブにはなかった、ほとんど鬼気迫るとでも言ってよい気迫が生れていた。

 ますます観客は暴れ、ほとんど狂獣のようになる。サークルピットから抜け出た客が一人、また一人とステージによじ登っては大地と海里に蹴り飛ばされ、観客席に次々にダイブしていく。ここまでのバンドには見られなかった、本日初のダイブであった。

 ーーあんちゃんは触んでねえ、俺の客だ!

 大地は客を蹴飛ばしながら、客のみならず海里へも恐ろし気な表情で睨みつけた。

 歌うというよりは吠えるように、大地は喉も裂けんばかりにが鳴り散らす。


 「こいつら……、こんなでしたっけ?」

 審査員席で、メタル雑誌の編集員を務める谷崎が恐る恐る呟いた。

 無論In Your Faceのライブは今までに何度か見たことがある。しかしその時の印象はメンバーの若さも相まって、どちらかというと田舎育ちの素朴な、だからこそ万人に愛され応援される、そんな穏やかとも言えるステージだったはずだ(MCも茨城弁全開である)。

 しかし今目前で闘争心のままに吠えに吠えているあのフロントマンは、一体どうであろう。目の前の客を支配し、ヴァッケンへの切符を掴んで離すまいとでもいうような気迫。暴発するエネルギー。激怒、暴虐。

 「若いのに凄ぇな」谷崎の隣で、日本を代表するメタルバンドLast Rebellionのフロントマンであるリョウも呟く。「あの海里に全然負けてねえ。」

 彼もまた十年ほど前にヴァッケンに出場した経験を持っているバンドマンで、特に同じギターボーカルを担うフロントマンとして大地の姿をどことなく楽し気に見詰めていた。

 「元のギタリストはどんな感じなの?」リョウはライブハウスの店長である濱中に問うた。

 手元の資料をめくりつつ、「ここには海里の実弟、ってあるけどあのミニチュア版って感じ?」ステージ上の海里を顎でしゃくりながら尋ねた。

 濱中は噴き出した。「いや全然! 見たくれは完全女の子で、パワーも勢い存在感もまるで海里の足元にも及ばないけど、繊細でエモーショナルかつテクニカルな感じって言ったらいいかな。ちょうど今大暴れしてる、あのフロントマンとすごく対照的。言うならばそうだな、……アンディ・ギリオン好きでしょ、君って感じ。」

 リョウはほくそ笑んだ。

 ーーそれでか。

 ようやく腑に落ちる。

 ーー田舎から出て来たばかりのおぼっちゃまにしては不釣り合いなまでの怒り、苦闘、気迫に一目置いたのは確かだ。しかしそれは何というべきか、根付いたものではないような気がしていた。今ここで暴発したに過ぎないような浅さ、自分でもどう処理したらよいのかわからないとでも言ったような戸惑いに似た感情、良く言えば新鮮味を感じさせる。それはヴァッケンにかける熱情とばかり思っていたが、おそらくあのフロントマンは観客のほぼ全員が崇拝する海里という存在に、自分の足元を掬われ兼ねないという危機感と嫉妬心、それに基づく怒りをこれほどまでに暴発させているのだ。

 ちら、と周囲を見やる。

 しかし、そう解しているのは他にはいなさそうである。それも当然だ。ヴァッケンという大舞台をかけた勝負のライブなのだ。サポートギタリストへの嫉妬心で最高のステージングを生んでいる、などと考えるわけがない。

 しかし、これが海里のいる今回だけのステージではなく、バンドとしての力量と判断されるとしたら、こいつらがヴァッケン行のチケットを搔っ攫っていく可能性は、大だ。

 リョウは神の与えたこの僥倖に思わず苦笑した。


 その背後で、一人真剣な眼差しでスマホを手に動画を回している女性がいた。ーーNeedled24/7のドラムの妻であるモモである。

 「IN YOUR FACEのライブ、観てみたいんじゃない?」

 三日前、ちょうど夫のバンド練習に付いていった際に海里からメタルバトル・ジャパンでのとんでもない計画を聞かされたモモは、反対こそしなかったがしかし朱里のことが妙に心に残った。

 「だって朱里ちゃんのバンドで、朱里ちゃんの曲でしょう? 自分が出られなかったとしても、気にはなると思う。ちょっと聞いてみてよ」

 海里はそんなものかと半信半疑で朱里にメッセージを送る。

 ーー観られるなら観たいけど、会場に行くのは難しいし、今回は動画配信もないみたい。

 返信はすぐに来た。

 やっぱり! とモモは意気込んで「私が撮って朱里ちゃんにリアルタイム配信するよ」そう申し出たのである。


 モモはヴァッケン選考会がどれだけの重みを持つのか、多少なりとも全くバンドにかかわりを持たない人よりは理解しているつもりであった。

 全世界のメタラーたちにとってヴァッケン出場がどれほどの重みを持つのか、それは夫が人生をかけてヴァッケン出場を勝ち得たことからもわかる。選考会に自分が出られなかったとしても、メンバーの勇姿を目に焼き付けておきたいはずだ、とそう思ったのである。

 バンドというのは不思議なもので、一見するとそれ程純真無垢には見えない面々が集っている。言葉も悪ければ態度もでかい。タトゥーが刻まれたタトゥーに酒煙草その他に興じる者も少なくないが、少なくともその高みにいる連中は利害だけで動きはしない。無論金はあるに越したことはないけれど、それを第一の目的に音楽にのめり込んでいる人間はおそらくは、いない。

 モモが夫を見て、あるいは夫を通じて見る音楽の世界は、驚くほど純粋でまた驚くほど情熱的であった。

 中でも十代のIN YOUR FACEは別格だった。

 あくまでもサポートバンドのそれまた血縁によるバンド、という一線を画したところから見る彼等ではあったが、大地もルアンも、大河も朱里も(特にルアンは危うさをはらんではいたが)この上なく純真に音楽に向き合い、自分らの夢を掴もうと必死な姿には胸を打たれるものがあった。

 「なんもねえところだから、バンドぐれえしかやることがねえ」とは海里の言であるが、まさにその通りなのであろう。

 若き四人は家族以上の縁でもって繋がっていて、遠慮も見栄もなく、ただただ音楽を通じて世界を夢見ていた。

 海里のように活躍したい。そして海里を超えたい、ということも公言していたが、海里自身がそれを頼もし気かつ嬉し気に眺めていたのは、やはり彼らが純真に音楽に向き合っていたからであろう。

 ヴァッケンに行きたいーー。

 ヴァッケンで七万人に自分たちの音楽を聴かせたいーー。

 その思いは真実であったものの、朱里が勝手に性別違和の治療と称した手術を受けたのは予想外であった。

 朱里は言葉を発することができないので、彼(彼女)が何を考えているのかはよくわからない部分はあった。

 しかし海里を兄というより異性として慕っているのであろうと感ずる部分はしばしばあった。それで時折自分に嫉妬の眼差しを向けていることがあったことも、わかっていた。いずれわかってくれることだと、刺激をしないようには務めていたつもりだが、いつしか自分がドラマーの妻であり海里には全く恋愛感情じみたものは抱いていないということはわかってくれたようである。

 モモは同性として、それ故の仲間として、朱里を見ていた。メタルという男ばかりの世界で生きる無理解、寂寥はわかっていた。だから、力になりたかった。

 「私が会場でライブ始まったら朱里ちゃんに配信するから。もし体調が良ければ観て」

 首里は素直にありがとう、というメッセージを返してきた。


 ベッドに横になりながら、朱里はスマホ越しにIN YOUR FACEのライブを観、ただただこの上ない衝撃を受けていた。

 かってこんな大地は見たことがなかった。

 気迫、焦燥、暴虐、憤怒。

 そのすべてが圧倒的だった。自分が隣で弾いていた時とは、明らかに質が異なるステージング。

 鼓動が次第に速まっていく。背中にじんわりと嫌な汗をかき始める。

 海里が入ることで、IN YOUR FACEが厚みと勢いを増し、一気に世界に通用するバンドになっている。その事実が朱里に想定外の痛苦を絶望とを否応なしに覚えさせた。

 自分の唯一の居場所が、崩壊していく。眩暈がした。ーー無音の慟哭。

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