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 朱里から送られてきたURL付のメッセージを開けると、それは東京の外れにある、とある総合病院であった。ーーメインはジェンダークリニック。

 既に夜明け近くなったタクシーの中で、海里はその病院のウェブサイトに書かれている性別適合手術についての説明を、何度も反芻していた。

 

 当院では以下の性別適合手術を行っています。

 精巣摘出術、陰茎切除術、造腟術、外陰部形成術。

  陰茎切除は、陰茎海綿体の背部にある陰茎背動静脈・神経を温存した、亀頭弁を作成して、陰核形成に利用します。陰茎陰嚢皮膚反転法による腟形成および 陰嚢皮膚の移植法による腟形成も行います。外陰部形成は主に小陰唇と大陰唇の形成になります。小陰唇は陰茎包皮から、大陰唇は陰嚢から形成します。


 海里は眩暈がした。朱里はどんな思いでたった一人、誰にも言わずに手術に挑んだろう。辛かったろうに、寂しかったろう……。

 しかし、それ以前に朱里はいつから性別を変えたいなどと思い始めたのだろう。

 いつも朱里とする話はバンドのことばかりだった。作曲だのギターだの、ライブハウスでのステージングだの、そんなことばかり。

 女になりたい、などとは一度も自分に言ってきたことはなかった。だのに、ずっと心の中では女になりたいと思い続けていたのだろうか。恰好だけではなく? 体まで変えたいと? 手術までして?

 正直、それは海里には理解しがたいことだった。女の子の服を着るだけでは満足できなかったのだろうか?

 中学校入学の直前、朱里は与えられた学ランを見て部屋で大泣きをしていた。それで見るに見かねた祖父が自ら校長に直談判し、創立以来初めてとなる男子生徒のセーラー服着用を認められたのだった。その時の朱里の顔といったら、とても忘れることはできない。頬を紅潮させて心底嬉しそうな顔をして、セーラー服を着て姿見の前で何度も自分の姿を見て、涙ぐんでもいたではないか。女の子の服を着るだけで十分だったはずではないか。それなのに、こんなにも恐ろしい手術をして、二週間も入院をするのか?

 しかも病院のウェブサイトにある説明を読む限りでは手術してそれで終わり、というわけではどうやら、ない。ダイレーション、女性ホルモン注射、それは一生続いていく、とあった。それだけの苦痛を得ても朱里は女の体になりたかったのだろうか? どうして? 

 頭がくらくらする。無論朱里を責めたくはない。委縮させたくない。困惑させたくも、ない。

 ただただ、わからないのだ。朱里が何を考えているのかーー。

 どれだけ考えても、男として生まれ、それに疑念の一つも覚えたことのない自分では、わからない。海里は一抹の寂しさを覚えた。


 病院に着くと、すでに受付時間は始まっていた。海里は受付へ走る。鈴木朱里、すぐにその名を告げる。

 ーーご関係は?

 ーー兄です。

 ーー1304室になります。エスカレーターで上がった先に扉があります。そこのインターフォンを押してください。そうするとそのフロアのナースステーションにつながります。そこでもう一度患者様のお名前をお伝えください。

 海里は何度も頷いてエスカレーターの前まで足早に進むと、何度も上階行のボタンを押した。喉の奥が干上がる。額に汗が滲み出る。扉が開く。慌てて入る。再びボタンを連打。13階に到着する。

 「1304号室、鈴木朱里の兄です。朱里に会いに来ました」インターフォンに向かって焦りながら言った。「確認します」と事務的な応答があり、しばらくすると扉が開く。

 すぐ目の前のナースステーションでパソコンに向き合っていた看護師が立ち上がり、ご案内しますと海里を誘った。

 長い廊下を歩き突き当りまで来ると、看護師は扉を開け、「鈴木さん、お兄さんがいらっしゃいました」と告げた。

 そこは個室だった。大きなベッドに、ひどく小さく見える朱里が横たわっていた。

 「……朱里!」

 朱里の視線が、静かに海里へと向いた。駆け寄った海里は朱里をそのまま勢いよく抱きしめた。点滴がぐらぐら、と揺れた。海里は慌てて、点滴の揺れを止める。朱里を見下ろす。朱里は大きな目を開けて、海里をただ見上げていた。顔が、赤い。高熱があるのは一目でわかった。

 でも、海里は何を言っていいのかわからない。痛いのか辛いのか、体はどうなっているのか、一体何をしたのか。ただどれも言葉にはならなかった。ただただ、胸が苦しい程に痛む。

 看護師は一つ頭を下げて部屋を出て行った。

 朱里はじっと海里を見上げた。

 ーーありがとう、その目は確かにそう告げていた。

 「……体は、大丈夫なのか? 痛いのか? 動かないのか?」海里の声は情けないほどに震えていた。

 朱里は曖昧に頷く。

 「手術は、……成功したのか?」

 再び頷いた。

 「痛い?」

 朱里は観念したように小さく頷く。

 聞きたいことは山ほどあった。でもそれらはどうしても朱里を責め立ててしまうような気がして、海里はその一切を飲み込んだ。

 「……頑張ったな」

 そういって頭を優しく撫でる。

 再び、今度は担当と思われる看護師がやってきた。そして、朱里は退院予定日を過ぎても出血が止まらず、食事も摂れぬ程に痛みもあるとのことから入院の延長が決められたと伝えた。

 「ただ、傷口はだいぶ閉じてきましたので、あと数日で出血は収まると思います。そうすればお熱も下がってきます。」

 「わかりました。よろしくお願いします」海里は深々と頭を下げる。「喋れないので、色々迷惑もかけてると思います。すみません」

 「大丈夫ですよ」ベテランに見える看護師は笑ってそう言った。「これで、ある程度はわかりますから」朱里の枕元に複数のボードが置かれているのを指さした。それはひらがなが並んでいるもの、〇、×、飲み物やトイレなど、生活上必要と思われる項目が並んでいるものの二種類で、海里は感心しながらそれらを眺めた。

 「こんなものがあるんですか。知らなかった」

 「病院や介護の現場には必ずありますよ。必要なのは、鈴木さんだけではないですから」

 ここでは朱里が普通に受け入れられている。それが海里にはありがたかった。

 朱里は痛みが強くなった時は無論、トイレに行くにも水を飲むにも、ナースコールを押してコミュニケーションボードを指さし、世話を受けていた。それだけ体調が悪く看護師を頼らざるを得ないということではあったが、今まで朱里が我慢して一人歯を食いしばり何事にも取り組んでいたことを思うと、海里はこの変化が嬉しかった。


 しかし安心はできなかった。元々体力のない朱里は術後の回復にどうしても時間がかかってしまう。出血が止まらない以上、感染症の危険性も隣り合わせであった。

 海里は毎日朱里の病室に通った。女になった朱里に、体を拭いてやったりトイレを付き添ってやったりすることはできない。どこか今まで以上に距離を感じながらも、でも弱り切った朱里への庇護欲は日々強くなっていくのを感じていた。

 手術のことは母親にも言っていない。大地にも言っていない。知っているのは自分だけである。そして、朱里は他の誰にも言わないでほしいと思っている。全てが済んだ、女になった姿で皆の前に現れたいと、そう思っていることもわかった。

 でもそれがいつになるのか。いつまでも旅行中、ということで済ませられるのか。

 案の定、数日後、海里のスマホに大地から連絡が入った。

 ーー朱里全然返事くんねーんで心配してんだけど、あんちゃん朱里と連絡取れる? まだ旅行から帰ってこないの?

 ルアンからも入る。

 ーー朱里が旅行帰ってきたらヴァッケン予選のリハ入れる話になってたんだけど、全然返事くんねーの。マジどうなってんだよ! あんちゃんどうにかしてー

 大河も。

 ーー朱里旅先で風邪でも引いたのかな? あんちゃんなにか聞いてる?

 どうにか出血量も減り、感染症の危険性もとりあえずはないだろう、ということで退院の日程は決まっていた。でも、とてもではないが、ギターを持てる状態にはないことは明白である。

 海里は悩みに悩んで、三人にそれぞれ

 ーー朱里は明後日帰る

 と退院の日を踏まえたけメッセージを送った。

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