38 絶望
竜人の全身をマグマのような灼熱の血脈が駆け巡り、怪しく明滅している。周囲の魔力濃度が上がり、空気がひりつく。初心者冒険者ならば恐怖で到底立っていられないほどの威圧感がこの場を支配した。
まずいことになった。唯は本能的にそう感じたがここで自分が引く訳にもいかないのも十分承知していた。
特殊個体のモンスターがまれに変身することは知識として知っていた唯だが、実際に目のあたりにするのは初めてだった。だが直面してわかる絶望感。武芸の達人は刃を交えぬとてもその力量を推し量ることができるというが、唯もまた泡立つ肌に危機の到来を感じていた。
だが彼女は手に持つ刀を力いっぱい握りしめ、己の怖気を吹き払うように居合の構えを取った。勝負は一瞬で決まる。いや、決めなければいけない。それが、自分達が無事に生きて帰る最後の道なのだから。
梓とレナもこの異常事態の意味がわかっていた。今自分達にできることは唯の邪魔をしないことだと悟り、じっと押し黙る。
じりとすり足で間合いを詰める。竜人は動かない。乾いた風が肌を突き刺すが、じっとりとした汗が唯の背中を濡らす。
静寂、ひどくうるさい。
気が狂いそうになるプレッシャーに抗いながらも、この抜き放つ一刀にかける。
吐く息と吸う息に限界まで集中する。体内に巡る魔力を集約し、その時に備える。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
疾風となって瞬時に間合いを詰め、必殺の居合抜きを放つ。気力を十分に乗せたその斬撃は唯の冒険者史上最高のものであると言えたーーだが。
振りぬいた腕の先、パキンと奇麗な音が鳴り、刀身の半分が消え失せていた。竜人の目にもとまらぬ左拳が正確に刃を叩き飛ばしたのだ。驚愕する唯に一瞬の隙が生まれてしまう。
「しまっ!」
「ガアアア!」
「ぐふぅ!」
先ほどまでとは段違いに増大した膂力によって振りぬかれた右フックはいともたやすく刀を捨ててガードをした唯の体ごと吹き飛ばし、一瞬で外壁に叩きつけられた彼女は即死を免れたものの、口からおびただしい鮮血を吐いて戦闘不能となってしまった。
「唯さん!」
「あずちゃ……逃げ、て」
残された力で声を振り絞り梓とレナに避難を勧めるが、唯にできることはもうそれだけであった。梓には遠からずその身ははらわたを暴かれて横たわっているミノタウロスと同様になるであろうことがわかっていた。レナは唯に駆け寄って命の灯を繋げるために懸命に回復魔法をかけている。動けるのは自分しかいない。
勇気を振り絞って盾を構え、梓は変貌した竜人と対峙した。ガチガチと歯が震えて目から言いようのない感情の涙が溢れ出す。
おそらく死は免れないだろう。でも自分はそれでいい。ただ身を切るほどに辛いのは信じてついてきてくれたレナと助けに来てくれた唯を巻き添えにしたことだ。
悔しさに身を震わせながら、思わず梓は叫んだ。彼女が小さい頃、困った時によくそうしていたように。
「助けてお兄ちゃん!」
「ガアアアア!」
竜人が梓目掛けて突進した時、信じられないことが起こった。眩い金色の光が梓の胸元、身に付けていたお守りから溢れ出し、両者の間を隔てるように普段着の彼が時空を超えて現れた。手に買い物がいっぱい入ったエコバッグを持って。
「あっすいません。じゃあその小倉あんとプレミアムクリームのたい焼きを五個ずつくださいーーあれ?」




