8.過去のカケラ
カケラということで、一応散らばってます。笑
仕事帰りに寄った近所のスーパー。
目的のものは当然今夜の晩御飯。
いつもなら野菜コーナーから回る足も、今夜は反対側の惣菜コーナーに直行。
貯金が趣味な私にとって自炊は基本中の基本。
のはずなんだけど…今日はなんだか自炊する気になれず、お弁当で済ませようと駅を出たときから決めていた。
惣菜コーナーを行ったり来たりして最初に目に付いたのはおそばのセット。
「…。」
だからって今夜はおそばを食べる気になれない。
あんなにおいしいおそば食べた後で、コンビニのおそばでは昼に食べたおそばが夢だったような気がしそうで…。
だから今夜はおそばだけはパス。
適当なお弁当と野菜サラダと明日の朝食べるパンをかごに入れた後、立ち寄ったのはお菓子コーナー。
いくら、貯金が趣味でもたまの娯楽は必要と、色とりどりのおいしそうなお菓子が陳列している棚を眺め、気になったチョコを一つ手に取ったものの、習慣とは恐ろしい。
欲望の食指が働いたのは一瞬のことで。
その次の瞬間には、
『無駄なお金は使わない。これからがんばって貯金しないとね。』
合言葉のようだったこの言葉が今でも私の頭の中を占領していて。
食指が働いたのとは反対のセンサーが気づけば手に持っていたはずのお貸しを元の位置に戻していた。
こんな小さな出来事で痛感するなんてばかげているのに。
それでも私はまだ過去から抜けきれずにいるなんて。
結局お菓子を買うことはなく、レジでお会計をしたあと、マンションに向かって歩き出した。
一人で住んでいる1Dkのマンション。
「ただいま。」
もちろん返ってくる返事はない。
荷物を置いて、家着に着替えると、さっそく買ってきたものをテーブルに置き、食べ始める。
大学は地元の大学に進学し、その間は実家暮らしで、社会人になると同時に始めた一人暮らしだった。
その生活も今年で4年目。
今住んでいるこのマンションは小さいけど一応オートロックつきで、最寄り駅も近く、おまけに会社まで40分。
以前住んでいたマンションから転職を機にこのマンションに引っ越してきたのだった。
大学卒業後、私が就職した会社はランチのときに社長に話した通り、商社勤務だった。
大学では第一言語に英語を選考し、第二言語にスペイン語を選考。
卒業後はそれを活かせる仕事がしたくて、入った会社だった。
誰でも一度は耳にしたことがあると思うくらいには有名な会社で、主に海外で流行している雑貨や服飾系を輸入する会社だった。
入社後、私は希望通りスペイン語の語学力を買われ、任されたのはスペイン系の輸入担当。
向こうから送られてくるスペイン語で書かれた資料の翻訳に始まり、直接スペイン人とのやり取りなど。
大変だったけど、やりがいがあって仕事は本当に充実した日々だった。
入社から一年半が過ぎたころには恋人だってできた。
部署は違ったけど、所謂社内恋愛というやつで、仕事も恋も順調な日々。
でも、そんな私の幸せだった日々は結局長くは続かなかった。
あんなにもあっけなく手元から離れていくなんて…。
一つ目に大切なものは去っていき、二つ目に大切なものは自ら手を離した。
それが私の二年前の恋愛の結末だった…。
夕飯を食べ終えたころ、テーブルの上に置いていたスマホから着信を知らせる音。
画面に表示された名前には‘お母さん’の文字。
「もしもし、お母さん?」
『加絵、元気にしてるの?』
「もちろん。お母さんは元気?」
電話越しの声が元気な声でも、離れて暮らしているとわからないこともある。
だからやっぱり心配で、きちんと元気かを確認する。
それはきっと母も同じ気持ちなんだと思う。
『こっちはみんな元気に過ごしてるから。心配いらないわよ。』
「そっか。沙絵はどう?」
『加絵が全然電話もしてこないし、帰ってもこないから寂しがってるわ。』
「ちょくちょくメールでのやり取りはしてるんだけどね。」
母が言う沙絵とは私の10歳違いの妹のこと。
年齢が離れているのは私と沙絵は父親が違うから。
母は私の父と若くして結婚して私を産んだ。
だけど、私の父は私が三歳の時に事故で他界したため、母は私を女で一人で育ててくれた人だった。
そんな母も今は再婚して私には義父ができ、10歳違いの妹の沙絵ができた。
今の母には新しい家族がいて、私がいなくても任せられる人がそばにいる。
だからそんな母には私のことなんて気にせず、新しい家族となった義父と沙絵のことだけを考えてほしいというのが私の願いだったりするのだけど。
『それより、加絵。あなたも二十六なんだからそろそろいい人いないの?』
また、始まった。
妹の沙絵と違って年齢も26歳に差し掛かると、母親としてはまた新たな心配事もあるようで…
最近の電話の内容はというと、専らこの手の話だったりする。
「転職したばかりだし、今は仕事に集中したいから。」
だから私の返答も毎回同じになってしまう。
だからってウソをついているわけではない。
「仕事に集中したい。」その台詞がたとえ逃げの常套句といわれても。
今の私のなによりの本音だから。
それが母の理解を得るのは難しくても。
『転職したばかりって言ってももう二年よ。だいたいどうしてあの会社を辞めて今のデザイン事務所にしたのよ。辞めたりしないであのまま働いていたら、今頃お付き合いしている男性だって居たかもしれないのに。』
「あそこで働いてたからって、恋人ができるなんてことわからないでしょ。…それに辞めた理由は何度も説明したでしょ。残業とか休日出勤が多かったことが原因だって。」
母は私が一流商社に勤めていたことを誇りに思っていてくれたらしく、だからこそ私が二年で会社を辞めたことを今でも納得できないみたいだった。
「とにかく、今は仕事に集中したの。だからまだ結婚とかは考えられないの。」
『加絵がそういうなら…わかったは。体に気をつけて仕事がんばりなさいね。それからたまにはこっちに帰ってきなさいよ。』
「うん、ありがとう。じゃあお休み。」
母との通話を終え、スマホを投げるようにしてテーブルに置く。
「はーっ。」
その途端に出てきたのはため息だった。
『仕事に集中したい。』
どうして、ああいう風にしか母に言うことができないのだろう。
たとえそれが事実でも。
恋人の存在でもあれば、母の心配事を一つ減らしてあげることができるのだろうか?
思わずこみ上げてきたのはこの状況への苛立や自分の不甲斐なさ。
苛立ってもどうしようもないというのに。
「ごめんね、お母さん。」
思わず漏れた独り言のような謝罪の言葉。
当然通話の途切れている今、謝っても母には聞こえるわけがないというのに。
母は何も知らない。
だって、心配かけたくなくて私が言わなかったのだから。
24歳のとき、私が結婚しようと思っていた人がいたことを…。
一章も次でラストの予定です。
とはいえ、二章の執筆がなかなか進んでいない状況なんですが…。
なかなか恋愛モードに発展しなくて、ジレッタイかとは思いますが、気長にお付き合いいただければうれしいです。
さて、それでは次話もお楽しみに。