7.それぞれの違和感
「ええ。聞かせてちょうだい」
お母様はそう言うと、私が話し出すのを待ってくれた。私は膝の上できつく握っていた手をほどくと手のひらは汗で湿っていた。軽く呼吸を整えるとゆっくりと口を開いた。
「……オリエは、昔からとても優しい子なんです」
「ええ、お母様もそう思うわ」
「でも、最近になって、少し気になることが増えてきて……いえ、違うんです。たぶん、前からそうだったんですけど、私が気づいていなかっただけで」
うまく説明できなくて、言葉が途切れる。
お母様はお茶をひと口飲んで言った。
「ゆっくりでいいのよ」
「……はい」
私は、これまで気になっていたことを一つずつ話した。
何かを決めるとき、オリエはいつも私の意見を先に聞くこと。
先生がため息をついただけで、びくりと肩を震わせたこと。
魔法がとても上手なのに、褒められると困ったような顔をすること。
そして、先日、オリエのお母様が迎えにいらしたときのこと。
「ベアトリス様は、オリエが調子に乗らないようにって、おっしゃっていました」
「エリーがこの前話していたことね」
「はい。でも、オリエが調子に乗っているところなんて、私、一度も見たことがないんです。むしろ、もっと自慢してもいいくらいなのに」
思わず声が大きくなってしまった。
「それに、昨日も……」
私は、昨日の出来事を思い出した。
お兄様が魔道具を見せてくださったとき、オリエはとても楽しそうだった。でも、みんなで魔法の腕前を褒めた途端、様子が変わってしまった。
「……笑っていたのに、なんだか泣いているみたいで」
お母様は静かに頷いた。
「私も、あのときのオリヴィア嬢の様子は気になっていたの」
「やっぱり……」
「ええ。だから、あなたにも聞いてみたかったのよ」
私は少しだけ安心した。
私の考えすぎではなかったのかもしれない。
「それで昨日、お庭でオリエに聞いてみたんです。褒められるのが嫌なのかって」
「オリヴィア嬢は、なんて?」
「嫌なわけじゃないけど、どうしたらいいかわからなくなるって……」
「そう……」
お母様は少し考えるように目を伏せた。
「それでね、お母様。私、これからはオリエのことを勝手にみんなに自慢しないって約束したんです」
「あら」
「だって、オリエのことは大好きだけど、オリエが困ることはしたくないですもの」
「ふふ。そうね」
お母様は微笑んだ。
「それは、とてもいい約束だと思うわ」
「……でも」
私は俯いた。
「それだけでいいのかなって」
お母様は何も言わなかった。
「今日も、先生に褒められたとき、オリエはあまり嬉しそうじゃなかったんです。でも、私がお礼を言ったときは笑ってくれて……」
「お礼?」
「はい。私が失敗した魔法を止めてくれたので、ありがとうって」
「まあ。そんなことがあったのね」
「はい。オリエ、すごいんですよ!自分の光球を動かしながら、私の光球まで止めちゃったんです!」
そこまで話して、私は慌てて口を押さえた。
「……あっ」
「どうしたの?」
「またオリエの自慢をしてしまいました……」
お母様は目を丸くしたあと、声を立てて笑った。
「ふふふ!エリーったら。私にまで我慢しなくていいのよ」
「そ、そうですか?」
「ええ。それに、あなたは今オリヴィア嬢のことで相談しているのでしょう?」
「……はい」
「なら、気になったことは全部話してちょうだい」
私は頷いた。お母様は少しだけ表情を改めた。
「エリー。ひとつ聞いてもいいかしら」
「はい」
「オリヴィア嬢は、ご自分のご家族について、何かお話しされることはある?」
「ご家族のこと…ですか?」
私は考えた。
オリエのお父様はお仕事がお忙しい。
お母様は礼儀作法に厳しい。お兄様は……あれ?
「……そういえば、あまり聞いたことがないかもしれません」
「そう」
「私ばかり、お父様やお母様やお兄様の話をしている気がします」
そう口にして、少し驚いた。
私が家族の話をすると、オリエはいつも楽しそうに聞いてくれる。お兄様が新しい魔道具を作った話。
お父様が実験に夢中になって、お母様に叱られた話。
お母様が新しいお菓子を気に入って、料理長に作り方を聞いていた話。…でも、オリエの家族の話は?
「……私、あまり聞いたことがありません」
「無理に聞き出そうとしなくてもいいのよ」
お母様は穏やかに言った。
「ただ、あなたが気づいたことを教えてほしかっただけなの」
「お母様は、何かご存じなんですか?」
「いいえ、わからないことばかりよ」
お母様は少し困ったように笑った。
「ベアトリス様について、昔からご存じの方にお話を伺ってみたの。学生時代から、少々気の強い方だったそうよ」
「気が強い……」
「ええ。ただ、それだけで何かを決めつけることはできないわ。昔の評判が、そのまま今の姿とは限らないもの」
「そうですよね……」
「でも、あなたが教えてくれたことも、昨日私が見たことも、気になるのは確かね」
お母様はカップを置いた。
「だから、もう少しきちんと確かめてみようと思っているの」
「……私は、なにができますか?」
「そうねえ」
お母様は少し考えてから、にっこり笑った。
「エリーは今までどおりオリヴィア嬢と仲良くしてちょうだい」
「今までどおり?」
「ええ。お昼を一緒に食べたり、魔道具の話をしたり。あなたたち、いつも楽しそうでしょう?」
「はい!」
「それでいいのよ」
私は少し拍子抜けした。
「でも、お母様。もしオリエが何か困っていたら……」
「そのときは、ちゃんと話を聞いてあげて。そして必要なら私たちに教えてちょうだい」
「……はい」
「あなたが一人で何とかしようとする必要はないのよ。大人がしなければならないことは、大人がするわ」
お母様は、当たり前のことを話すような口調だった。
私はその言葉を、胸の中で繰り返した。
大人がしなければならないことは、大人がする。
……そうか。私が全部、何とかしなくてもいいんだ。
「わかりました!」
顔を上げると、お母様が嬉しそうに微笑んだ。
「それでこそエリーね。さあ、お茶が冷めてしまうわ」
「あっ、本当だ!」
私は慌ててカップを手に取った。
お母様が用意してくださったお菓子は、私の好きな蜂蜜入りの焼き菓子だった。ひと口食べると、優しい甘さが広がる。
「……おいしい!」
「でしょう?新しく厨房に入った菓子職人が作ったのよ」
「まあ!あとでお礼を言わなくちゃ!」
お母様は楽しそうに笑った。
私も笑った。……明日はオリエにも、このお菓子の話をしよう。きっと笑ってくれると思う。
———
同じ日の夕方
ルーカス・アルヴェインは、自室の机に向かっていた。
目の前には、数枚の書類が広げられている。
いずれも、ここ数日の間に集めたものだった。
ダミアン・ローディス
ローディス子爵家の嫡男であり、オリヴィアの兄。
ルーカスが彼について調べ始めたのは、ほんの些細なきっかけからだった。
以前、アルヴェイン家を訪れたオリヴィアが、兄の名前を聞いた途端、わずかに表情を強張らせたことがあった。それはほんの一瞬のことだった。
そのときは、兄妹仲があまりよくないのだろうか、と思っただけだったが、思い返してみると気になることはほかにもあった。
オリヴィアは礼儀正しく、聡明で、それでいて控えめな少女だ。エリシアと話しているときには、年相応に笑い、時には呆れた顔で妹をたしなめる事もある。
ところが、ふとした拍子に、まるで叱責を待つような表情を見せることがあった。
そして昨日、母とともにオリヴィアの様子を見ていたルーカスは、その違和感を更に強くした。
もちろん、何かわかるわけではないし単なる違和感と言って仕舞えばそれまでだ。何ひとつ確証はない。
…ただ、気になった。
そこで、以前からあまりよい噂を聞かなかったダミアンについて、改めて調べてみることにしたのだった。
最初に話を聞いたのは、商家の息子である知人だった。貴族の子弟とも交流が多く、商会の仕事を手伝いながら、社交の場にもよく顔を出す青年だ。
ルーカスがダミアンの名を出すと、彼は眉を上げた。
『あなたからこの名前を聞くとは…ローディス子爵家のご子息は…正直なところ、あまりよい話は聞きませんね』
『というと?』
『賭け事がお好きなようで…負けが込むとずいぶん機嫌が悪くなられるとか』
それだけなら、貴族の放蕩息子には珍しくない話であった。だが話はそこで終わらなかった。
ダミアンは何度か支払いを滞らせており、そのたびにローディス子爵家が金を用立てているらしい。しかも、借金の相手は一人ではなかった。
別の知人に尋ねると、今度は酒場での揉め事の話が出てきた。そしてさらに別の人物からは、ダミアンが身分の低い者に対してひどく横柄だという話も聞いた。
どれも、単独では珍しい話ではない。
しかし、これだけ重なると、さすがに気になる。
ルーカスは書類を一枚めくった。
そこには、ローディス家と取引のある商会についての情報が記されていた。
借金の肩代わりを繰り返しているのであれば、子爵家の財政にも影響が出ているのではないか。
そう考えて調べを進めたところ、別の妙な話が出てきた。ローディス家では、ここ数年、使用人の入れ替わりが多いらしい。
『あそこのお屋敷は、あまり長く勤める者がいないそうですよ』
知人はそう言った。
『待遇が悪いのか?』
『さあ、そこまでは。ただ、紹介した使用人がすぐに辞めてしまうので、困っている者がいるとは聞きました』
『理由は?』
『それが、辞めた者たちは理由をあまり話したがらないそうで』
ルーカスは、その言葉が引っかかった。
使用人が辞める理由など、いくらでもある。給与や仕事の内容が合わないこともあれば、家族の事情で辞めることもあるだろう。けれど、何人も続けて辞め、その理由を話したがらないとなれば、少し事情が違う。
ルーカスは椅子の背にもたれた。
「……どうにも、妙だな」
小さく呟いた。ダミアンの金銭問題を調べていたはずが、いつの間にか屋敷の内情にまで話が広がってしまった。それはただの偶然かもしれない。しかし、オリヴィアのあの表情を思い出すと、どうしても気にかかった。
ルーカスは机の端に置いていた書類を手に取った。
数日前、使用人の紹介を請け負っている知人に送った手紙の控えだ。
ローディス家で以前働いていた人物に、話を聞くことはできないだろうか。
もちろん、無理に事情を聞き出すつもりはない。
相手が話したくないのであれば、それまでだ。
それでも、何かわかることがあるかもしれない。
ルーカスは控えを置くと窓の外を見た。
夕暮れの光が、庭の木々をオレンジ色に染めている。
昨日、オリヴィアは庭でエリシアと笑っていた。
妹が何か言い、オリヴィアが口元に手を添えて笑う。
そんな光景を、ルーカスは何度も見てきた。
エリシアは昔から、思いついたことをすぐ口にする。
魔道具のことになると、周りが見えなくなることもしばしばだ。そんな妹の話を、オリヴィアはいつも楽しそうに聞いている。そして時には鋭い指摘をして、エリシアを慌てさせることもある。
ルーカスは、そんな二人のやり取りを見るのが好きだった。そして、オリヴィア自身が、もっと気兼ねなく笑えるようになればいいとも思っていた。
「……考えすぎなら、それでいいんだが」
そう呟いたとき、扉が控えめに叩かれた。
「ルーカス様。少々よろしいでしょうか」
執事の声だった。
「どうぞ」
扉が開き、執事が一通の封書を手に入ってきた。
「お頼まれになっていた件で、先方から返事が届きました」
「……もう?」
ルーカスは椅子から身を起こした。
「はい。以前ローディス家に仕えていた方と、連絡が取れたそうです」
執事は封書を差し出した。
ルーカスは受け取り、封を切った。
中には、短い手紙が一枚入っていた。
差出人は、使用人の紹介を請け負っている知人だった。
ローディス家を辞めた元使用人の一人が、ルーカスとの面会に応じてもよいと言っているらしい。
ただし、話の内容が外部に漏れないことを、強く望んでいるという。
ルーカスは手紙を読み終えると、静かに机へ置いた。
「……その方は、今はどちらに?」
「王都の商家に勤めていらっしゃるそうです」
「そうか。現在の勤め先に迷惑がかからないよう、場所はこちらで用意しよう」
「かしこまりました」
「それから、面会については、当面ほかには知らせないでほしい。もちろん、本人が話したくないことを無理に聞くつもりもない」
「承知いたしました」
執事が一礼する。
ルーカスは、もう一度手紙に目を落とした。
何を聞けるのかは、まだわからない。
そもそも、何も知らない可能性だってある…それでも
「……なるべく早く、会えるようにしてくれ」
「はい。手配いたします」
執事が部屋を出ていく。
静かになった室内で、ルーカスはしばらく手紙を見つめていた。
ダミアン・ローディスについて調べ始めたときには、まさかここまで話が広がるとは思っていなかった。
ただ、オリヴィアのことが少し気になっただけだったのだ。
ルーカスは机の上の書類を揃えると、元使用人からの手紙を、その一番上に置いた。
少なくとも、きちんと確かめる必要がありそうだった。




