6.いつも通りの朝
「オリエおはよう!」
学園の正門をくぐったところで、聞き慣れた声が響いた。オリヴィアが振り返ると、エリーがこちらに向かって小走りでやってくるところだった。
「おはよう、エリー」
「ねえ、聞いて!昨日の魔道具なんだけどね!」
「ふふ。エリー、まずは落ち着いて。そんなに急いだら、また転んでしまうわよ?」
「もう!いつまでその話をするの!?」
「エリーが転ばなくなるまでかしら」
「もう転ばないったら!」
エリシアが頬を膨らませると、オリヴィアは口元に手を添えて笑った。
「今日も転ばなかったでしょう?」
「そうね。よくできました」
「子供扱いしないで!」
二人は顔を見合わせて笑った。
「それでね、昨日の魔道具なんだけど!」
「あら、まだそのお話?」
「まだって何よ!あれはすごい発明なのよ!」
「ええ、知っているわ。昨日も何度も聞いたもの」
「でもね、オリエが帰ってからお兄様と話していたら、もっと改良できるんじゃないかって話になったの!」
「まあ、どんなふうに?」
オリヴィアが尋ねると、エリシアは待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「今の補助具って、魔力の流れを安定させるためのものでしょう?でも、もしうっかり魔力を流しすぎたときに、自動で調整してくれるような仕組みもあったらいいと思わない?」
「なるほど…確かにそれなら初心者でも扱いやすくなるわね」
「でしょう!?」
「でも、流す魔力量が急激に変化したら魔石に随分と負担がかかるのではないかしら」
「…あ」
エリシアが立ち止まった。
「……それ、考えてなかった」
「ふふ。でもルーカス様なら、きっと何か方法を思いつかれるわ」
「うん!今日帰ったらまた相談してみる!」
エリシアが嬉しそうに頷くのを見て、オリヴィアも自然と微笑んだ。本当にいつも通りの朝だった。
エリーは今日も元気で、魔道具のことになると話が止まらない…オリヴィアにとって、それはとても嬉しいことだった。
———
午前の授業は魔法の実技だった。
今日の課題は、一定量の魔力を流し続けながら、光球を指定された位置へ移動させるというものだ。
光球を作るだけなら、それほど難しい魔法ではない。
けれど、形や明るさを保ったまま動かすとなると、話は別だった。
「では、始めてください」
教師の合図で、生徒たちが一斉に魔力を練り始めた。
教室のあちこちに、小さな光が浮かび上がる。
エリシアも両手を前に出し、慎重に魔力を流した。
「……よし」
手のひらの上に、淡い光球が現れた。
今日はなかなかいい調子だ。
昨日、お兄様に教わったことを思い出して…。
「ええと、ここから少しずつ……」
光球がゆっくりと動き始めた。
「おお……!」
思わず声が漏れる。
動いている!ちゃんと動いている!
「エリー、魔力が少し強くなっているわ」
隣からオリヴィアが声をかけた。
「えっ?」
「もう少しだけ弱めてみて」
「わ、わかった!」
エリシアが慌てて魔力を弱めた瞬間、光球がぐにゃりと歪んだ。
「あっ」
次の瞬間、光球が勢いよく横へ飛び出した。
「わあっ!?」
光球は隣の机へ向かって一直線に飛んでいく。
隣の机で魔力を練っていた生徒も驚いて固まっていた。机にぶつかる直前、光球はぴたりと動きを止めた。
「……え?」
見ると、オリヴィアが片手を軽く上げていた。
飛び出した光球は、その場で静かに浮かんでいた。
「エリー、急に魔力を弱めすぎちゃったみたいね」
「…オリエ、オリエが今の止めてくれたの?」
「ええ。まだ魔力が残っていたから、少し流れを整えただけよ」
「だけって!」
エリシアは思わず声を上げた。
「今、私の光球だったよね!?」
「そうね」
「自分のじゃない魔力でも、あんなに簡単に動かせるの!?」
「簡単、というほどではないけれど……」
オリヴィアは少し考えてから答えた。
「流れが乱れていたから、そこを整えただけなの」
「そんなことできないんだけど!?」
「ふふっ」
オリヴィアが笑った。
「エリーは、いつも魔力を一度に動かそうとするから」
「だって、待てないんだもの!」
「気持ちはわかるけれど、もう少しゆっくりでもいいと思うわ」
「うう……」
エリシアは肩を落とした。
そのとき、近くで別の生徒が声を上げた。
「先生!光球が消えてしまいました!」
「慌てなくて大丈夫ですよ。もう一度、最初からやってみましょう」
教師がそちらへ向かう。
エリシアは改めてオリヴィアを見た。
彼女の手元には、自分で作った光球が浮かんでいる。
形も明るさも、少しも変わらない。
それどころか、ゆっくりと円を描くように動き始めた。
まるで、目に見えない糸で吊るされているみたいだった。
「……ねえ、オリエ」
「なあに?」
「オリエって、魔力をどうやって動かしているの?」
「どうやって?」
「うん。私の場合、こう……ここに光を作りたい! って思って魔力を流すんだけど」
「ええ」
「動かそうとすると、どうしても力が入りすぎちゃうのよね」
オリヴィアは少し首を傾げた。
「私は、魔力の流れを見ながら調整しているだけなのだけれど……」
「流れを見る?」
「ええ。どこにどれくらいの魔力が流れているか、意識を向けるの。それで、必要なところに少しずつ動かしていくのよ」
「……なるほど?」
「例えば、水路に水を流すようなものかしら。勢いよく流しすぎれば溢れてしまうでしょう?だから、流れる量を見ながら調整するの」
「水路……」
エリシアは自分の手のひらを見た。
「魔力が水路の水だとしたら、私って毎回桶の水をひっくり返してる?」
「……ふふっ」
「笑った!?」
「ごめんなさい。でも、少しそんな感じかもしれないわ」
「そうだったのかぁ」
エリシアは頭を抱えた。
その様子を見て、オリヴィアはまた小さく笑った。
「でも、エリーは魔法の仕組みを考えるのが得意でしょう?私はそちらの方が難しいわ」
「そうかなあ」
「ええ。昨日の魔道具の改良案だって、私は思いつかなかったもの」
「……えへへ」
エリシアは少し照れたように笑った。
それから、ふと思い出した。
昨日、庭でオリエと話したこと。
褒められると、どうしたらいいかわからなくなると言っていた。だから、これからは勝手に周りへ言いふらさないと約束したのだった。
エリシアはもう一度、オリヴィアの手元を見た。
そして、にっこりと笑った。
「オリエ、さっきはありがとう!本当に助かったわ!」
「え?」
「私の光球、止めてくれたでしょう?あのままだったら、隣の机にぶつかってたもの」
「ああ…ええ。どういたしまして」
オリヴィアは少し驚いたような顔をしたあと、柔らかく微笑んだ。
「次は、もう少しゆっくり魔力を流してみてね」
「うん!」
エリシアは大きく頷くと両手を前に出した。
「よーし、今度こそ!」
「エリー、肩に力が入っているわ」
「まだ何もしてないのに!?」
「ふふっ」
二人のやり取りに、近くの生徒たちも小さく笑った。
———
授業が終わる頃には、エリシアもどうにか光球を指定された位置まで動かすことができた。
ただし、途中で二度ほど形が歪み、最後には少し明るくなりすぎてしまったけれど。
「……疲れた」
エリシアは机に突っ伏した。
「お疲れ様、エリー」
「オリエは全然疲れてなさそう…」
「そんなことないわ。少しは疲れたわよ」
「嘘だあ」
「本当よ?」
「じゃあ、どうしてそんなに涼しい顔してるの?」
「エリーが大げさすぎるのではないかしら」
「ひどい!」
オリヴィアは楽しそうに笑った。
そのとき、教師が二人の近くへやってきた。
「ローディス嬢」
「はい」
オリヴィアはすぐに姿勢を正した。
「先ほどの魔力制御は見事でした。ほかの生徒の魔法に干渉しながら、自分の光球も維持できていましたね」
「……ありがとうございます」
「今後もその調子で励んでください」
「はい」
「より詳しく学ばれたいときはいつでも声をかけてください」
「…はい、ありがとうございます」
教師が去ると、オリヴィアは静かに教材を片づけ始めた。エリシアはその横顔を見ていた。
先生に褒められたのに、オリエはあまり嬉しそうではない。かといって、嫌そうな顔をしているわけでもなかった。ただ、いつもより少しだけ表情が乏しいような気がした。
……やっぱり、褒められるのは苦手なのかな。
でも、さっきお礼を言ったときは、ちゃんと笑ってくれた。その違いが、エリシアには少し不思議だった。
「エリー?」
「えっ?」
「どうしたの?ぼんやりして」
「あ、ううん!なんでもない!」
エリシアは慌てて教材を鞄にしまった。
「お昼、行こう!」
「ええ」
二人は並んで教室を出た。
———
昼食を終えたあと、エリシアとオリヴィアは中庭のベンチに腰を下ろしていた。今日は天気がよく、風も穏やかだった。
「ねえ、オリエ」
「なあに?」
「今日のお昼、どうだった?」
「え?」
「お昼ご飯よ」
オリヴィアは少し考えた。
「美味しかったわ。特にスープが」
「そっか!」
エリシアは嬉しそうに頷いた。
「私もあのスープ好き!」
「そうなのね」
「でも、明日は別のものを食べてみたいなあ。オリエは何がいい?」
「私は……」
オリヴィアは一瞬、言葉を止めた。
いつもなら、エリーの食べたいものに合わせるところだった。けれど、今日は少しだけ考えてみた。
「……魚料理、かしら」
「お魚?」
「ええ。最近、あまり食べていなかったから」
「いいね!じゃあ明日はお魚にしよう!」
「……いいの?」
「もちろん!私も食べたくなっちゃった!」
エリシアはにこにこしている。
オリヴィアも小さく微笑んだ。
「今食べたばかりなのにもう明日のお昼ご飯が楽しみになっちゃった」
「もう、エリーったら」
オリヴィアは思わず笑って言った。
エリシアは満足そうに空を見上げた。
……よし、オリエが食べたいもの、聞けた!
昨日のことがあってから、エリシアは自分が楽しいと思うことを、オリエも同じように楽しんでいるとは限らないかもしれない、そう思うようになった。
だから、少しでもオリエの意見を聞きたい。
もちろん、何でもかんでも気を遣うつもりはない。
そんなことをしたら、きっとオリエの方が困ってしまうだろう。だから、今までどおり一緒に笑って、くだらない話をして、そのうえで、オリエがどうしたいのかも、少しずつ聞こうと思った。
「……エリー?」
「ん?」
「何かいいことでもあったの?」
「ううん!オリエと一緒にいるのが楽しいだけ!」
「まあ」
オリヴィアは少し驚いたように目を瞬かせた。
それから、口元に手を添えて笑った。
「……私もよ」
その返事が嬉しくて、エリシアは満面の笑みを浮かべた。
———
その日の夕方、学園から帰宅したエリシアは、玄関で出迎えてくれた侍女から伝言を伝えられた。
「お嬢様、奥様からでございます」
「お母様から?」
「はい。お戻りになりましたら、少しお話がしたいとのことです」
「お話?」
エリシアは首を傾げた。
何かあったのだろうか。
そういえば、昨日はオリエが帰ったあと、お母様とゆっくり話していなかった。もしかして、そのとき何かあったのかしら?
エリシアは伝言を受け取り、侍女に尋ねた。
「お母様は今、どちらに?」
「応接間にいらっしゃいます」
「わかったわ。ありがとう!」
エリシアは鞄を侍女に預けると、応接間へ向かった。
扉の前で立ち止まり、軽くノックする。
「お母様、エリーです」
「どうぞ、入っていらっしゃい」
扉を開けると、セシリアがソファに腰掛けていた。
テーブルの上には、二人分のお茶が用意されている。
「お帰りなさい、エリー」
「ただいま戻りました、お母様」
「今日は学園、どうだった?」
「楽しかったです!今日は魔法実技があって——」
そこまで言って、エリシアは口を閉じた。
お母様が呼んだのは、きっと学園の話を聞くためではない。
「…あの、お母様」
「なあに?」
「お話があると伺ったのですが……」
セシリアは娘を見つめ、静かに微笑んだ。
「ええ。少し、あなたに聞いておきたいことがあるの」
「…はい」
「オリヴィア嬢のことよ」
エリシアは思わず背筋を伸ばした。
セシリアは娘の反応を見てから、穏やかな声で続けた。
「昨日、オリヴィア嬢が帰られたあと、少し気になることがあったの」
「気になること…ですか?」
「ええ」
セシリアはお茶のカップを置いた。
「エリー。あなた、以前からオリヴィア嬢のことで、何か心配していることがあるのではなくて?」
エリシアは息を呑んだ。
お母様は、やっぱり気づいていたんだ。
「……はい」
小さく頷く。
「実は、私も少し、気になっていることがあるのよ。だからあなたの心配している事も聞いておきたくてね…」
セシリアはそう言うと娘の言葉を待った。
エリシアは膝の上で両手を握りしめた。
何から話せばいいのだろう、オリエが褒められると困った顔をすること?何かを決めるとき、いつも自分に合わせてくれること?先生がため息をついただけで、びくりと肩を震わせたこと?
そして、昨日のあの笑顔…まるで、泣いているような笑顔だった。…エリシアはゆっくりと顔を上げた。
「お母様。私、オリエのことで、相談したいことがあります」
セシリアは静かに頷いた。
「ええ。聞かせてちょうだい」
エリシアは、一つずつ、これまで気になっていたことを話し始めた。




