4.泣いているような笑顔
「オリエ!こっちよ!」
休日の午後、私は屋敷の玄関で、馬車から降りてきた親友に向かって手を振った。
「ごきげんよう、エリー」
「ごきげんよう!待っていたわ!」
「ふふっ。そんなに大きな声を出さなくても聞こえているわよ」
「だって、楽しみにしていたんだもの!」
今日はオリエが我が家へ遊びに来る日だ。
学園では毎日のように顔を合わせているけれど、こうして休日にゆっくり過ごすのは久しぶりだった。
「さあ、入って!お母様も楽しみにしていらしたのよ!」
「まあ、そうなの?それなら、きちんとご挨拶しなくてはね」
「ええ、でもその前に聞いてちょうだい!お兄様が新しい魔道具の試作品を作ったの!」
「…エリー」
「なあに?」
「歩きながら話すと、また階段を踏み外すわよ」
「……あっ」
私は思わず足元を見た。
ちょうど玄関ホールから続く階段に差しかかったところだった。
「この間のこと、まだ覚えていたのね……」
「忘れられるわけがないでしょう?あんなに見事に転んだんだもの」
「もう!笑わないでよ!」
オリエは口元に手を添えて、くすくすと笑った。
私もつられて笑ってしまう。こうしていると、学園で感じたあの違和感も、何かの思い違いだったのではないかと思えてくる。
オリエはいつものオリエだ。
穏やかで、優しくて、時々こうして私をからかう。
……そう、いつもどおりなのだ。
———
居間へ入ると、お母様が窓際のソファに座っていた。
その向かいでは、お兄様が何やら小さな魔石を手に取って眺めている。
「お母様!お兄様!オリエが来たわ!」
「あら、いらっしゃい。オリヴィア嬢」
「こんにちは、オリヴィア嬢」
「ごきげんよう、セシリア伯爵夫人、ルーカス様。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
オリエは綺麗な所作で一礼した。
「そんなにかしこまらなくてもいいのよ。どうぞ、こちらへいらっしゃい」
お母様が微笑んだ。
私たちは並んでソファに腰を下ろした。
テーブルには、焼き菓子や小さな果物のタルトが美しく並べられている。
「まあ、美味しそう!」
「今日は料理長が張り切ってくれたのよ」
「嬉しいです。ありがとうございます」
オリエは丁寧にお礼を言った。
侍女がお茶を注ぎ終えると、私はさっそくお兄様の手元を覗き込んだ。
「ねえ、お兄様。それ、さっき言っていた試作品でしょう?」
「ああ。魔力の流れを安定させるための補助具だよ」
「やっぱり!オリエ、見て!この間の授業で習ったことを応用しているのよ!」
「まあ……本当ね」
オリエが身を乗り出した。
お兄様は魔石をテーブルに置くと、私たちにも見えるように向きを変えてくれた。
「まだ調整中なんだけどね。一定の魔力を流し続けるのが苦手な人でも、これを使えば安定させられるんじゃないかと思っているんだ」
「すごいわ!それができたら、魔法の実技もずっと楽になるわね!」
「エリーは真っ先に使いたがりそうだね」
「もちろんよ!」
お兄様が笑った。
私も笑いながら、ふと隣を見るとオリエは興味深そうに魔石を見つめている。
「あ、そうだわ!」
私はぱん、と手を打った。
「お兄様!オリエに試してもらったらどうかしら?」
「オリヴィア嬢に?」
「ええ!オリエったら、魔力の制御がとっても上手なのよ!」
「……エリー?」
オリエが小さく私を呼んだ。
けれど、私はすっかり嬉しくて舞い上がっていた。
「この間の実技なんて、先生のお手本とほとんど変わらない光球を作っていたの!私なんて何度も失敗したのに!」
「へえ、それはすごいね」
お兄様が感心したように言った。
「魔力を一定に保つのは、簡単そうに見えて難しいんだ。オリヴィア嬢は制御が得意なんだね」
「まあ!オリヴィア嬢、素晴らしいわ!」
お母様も嬉しそうに微笑んだ。
「学園でそんなに頑張っていらっしゃるのね」
「い、いえ……」
オリエは小さく首を振った。
「そんな、大したことではありません」
「そんなことないわ!」
私は思わず身を乗り出した。
「本当にすごかったんだから!ねえ、お兄様、そういうのって練習すれば誰でもできるようになるものなの?」
「練習で上達はするけれど、魔力の扱いには個人差があるからね。先生のお手本に近いものを作れるなら、かなり上手な方だと思うよ」
「ほら!やっぱり!オリエはすごいわ!」
私は得意げにオリエを見た。
まるで自分が褒められたみたいに嬉しかった。
「……ありがとうございます」
オリエは小さく頭を下げた。
それから、顔を上げて微笑んだ。でもその笑顔を見た瞬間、私は言葉を失ってしまった。
……あれ?どうしたの?
みんな、オリエのことを褒めているのに…すごいねって、頑張ったねって、そう言っているだけなのに。
オリエの視線が、私からお兄様へ、そしてお母様へと移る。それは何かを確かめるようにも何かを待っているようにも見えた。膝の上で揃えた両手が、ぎゅっと握られていて、オリエの笑顔はまるで、泣いているような笑顔だった。
オリエ…どうしたの?そう聞きたかったが言葉が出なかった。
「そうだわ!」
お母様が、突然明るい声を上げた。
「オリヴィア嬢、こちらのお菓子はもう召し上がった?」
「……え?」
オリエが顔を上げた。
「料理長が新しく考えたお菓子なのよ。自信作らしくっていろんな方の感想が欲しいって言っていたのよ」
お母様はそう言って、小さな果物のタルトが載った皿を示した。
「ぜひ食べてみてくださらない?」
「……あ、はい。ありがとうございます」
オリエは少し戸惑いながらも、タルトを一つ手に取った。
「どうかしら?」
「……とても美味しいです」
「まあ、よかった!料理長にも伝えておくわね」
お母様は嬉しそうに笑った。
「実はね、今度のお茶会でもお出ししようかと思っているのだけれど、少し甘すぎるかしら?」
「いいえ。果物の酸味があるので、ちょうどいいと思います」
「あら、そう?それなら安心だわ」
オリエはもう一口、タルトを食べた。
先ほどまで強張っていた表情が、少しずつ和らいでいく。私はその様子を見つめていた。
……今、お母様、わざと話を変えた?
ちらりとお兄様を見ると、お兄様は何事もなかったようにお茶を飲んでいる。でも魔力制御の話を続けようとはしない。私だけが、何となく取り残されたような気持ちになった。
———
お茶を飲み終えたあと、私たちは庭へ出ることにした。今日は天気がよく、花壇には季節の花が咲いている。
「ねえ、オリエ!あの花を見て!」
「まあ、綺麗ね」
「でしょう?お母様が気に入って、去年から育ててもらっているのよ」
「そうなのね」
私たちは庭園の小道を並んで歩いた。
オリエは花を眺めたり、木々の間を飛ぶ小鳥を見つけたりして、いつものように楽しそうにしている。
さっきのお茶会での様子が、嘘みたいだった。
「……ねえ、オリエ」
「なあに?」
私は少し迷ってから、口を開いた。
「さっき、私、ちょっと騒ぎすぎちゃったかしら?」
「え?」
「魔法の話よ。オリエがすごいって、つい嬉しくなっちゃって」
オリエは一瞬、きょとんとした。
それから、小さく笑った。
「エリーはいつもそうでしょう?」
「ええっ!いつもあんなに騒いでいるの?」
「ふふっ。ええ、特に魔道具のお話になるとね」
「それは……否定できないわ!」
私たちは顔を見合わせて笑った。
けれど、私はもう一度尋ねた。
「……嫌、だった?」
オリエの笑顔が、ほんの少し止まった。
「……何が?」
「みんなの前で、あんなに褒めちゃったこと」
「……」
オリエは少し考えるように目を伏せた。
「嫌、というわけではないの」
「そう?」
「ええ」
彼女は小さく頷いた。
「ただ……」
「ただ?」
「……どうしたらいいのか、わからなくなってしまって」
私は首を傾げた。
「どうしたらいいのか?」
「ええ」
オリエは困ったように微笑んだ。
「みなさん、とても優しくしてくださるでしょう?」
「うん」
「だから……何てお返事をしたらいいのか、わからなくて」
「……そうなの?」
「ええ。変でしょう?」
オリエは笑った。
私はすぐには答えられなかった。
変だとは思わない。けれど、どうしてそんなことで困るのか、私にはわからなかった。
褒められたら、嬉しい。
嬉しかったら、ありがとうと言えばいい。
少なくとも、私はそうしてきた。
でも、オリエにとっては違うのだろうか。
「……ねえ、オリエ」
「なあに?」
「私、オリエの魔法が上手なの、本当にすごいと思っているのよ」
「……ええ」
「だから、ついみんなに話したくなっちゃったの。でも、もし困るなら、今度から先に聞くわね」
オリエは目を丸くした。
「……聞く?」
「そう!みんなに話してもいい?って」
「そんな…そこまで気をつかわなくても…」
「でも、オリエのことが大好きだから、オリエが困ることはしたくないの!」
私がそう言うとオリエはしばらく私を見つめていた。
それから、ふっと目元を和らげた。
「……ありがとう、エリー」
今度の笑顔は、いつものオリエの笑顔だったので私は何だかほっとした。
「どういたしまして!」
そう答えると、オリエは口元に手を添えて笑った。
「それにしても、エリー」
「なあに?」
「さっき、ルーカス様の魔道具を試したいと言っていたでしょう?」
「ええ!」
「……結局、試さなかったわね」
「……あっ!」
私は思わず声を上げた。
すっかり忘れていた!
「ど、どうしましょう!お兄様、まだ居間にいらっしゃるかしら!」
「ふふっ。さあ、どうかしら」
「ちょっと待ってて!聞いてくるわ!」
「エリー、走ったら危ないわよ」
「わかっているわ!」
私はそう答えて、屋敷へ向かって駆け出した。
背後から、オリエの笑い声が聞こえた。
———
その頃、居間では。
「…ルーカス」
セシリアが静かに息子を呼んだ。
「何でしょう、母上」
「さっきのオリヴィア嬢の様子、気づいた?」
ルーカスは少し考えてから頷いた。
「……ええ。褒められるのが苦手なのかな、とは思いました」
「そうね」
セシリアは手元のカップに視線を落とした。
先日、エリーが尋ねてきたことを思い出す。
『私が何か上手にできたとき、お母様はどう思う?』
『……調子に乗るとは思わない?』
あのときは、妙なことを聞くものだと思った。
けれど、今日のオリヴィアの反応を見て、きっとエリーはオリヴィアのことを言っていたのだとわかった。
「……母上?」
「何でもないわ」
セシリアは微笑んだ。
「少し調べ物をしようかと思って」
ルーカスはそれ以上尋ねなかった。
窓の外から、エリーの元気な声が聞こえてくる。
「お兄様ー!ちょっとお願いがあるのー!」
「ああ、どうやら呼ばれているみたいですね」
ルーカスは苦笑しながら立ち上がった。
「行ってらっしゃい」
「はい」
息子が居間を出ていくと、セシリアは一人、窓の外を眺めた。庭園では、エリーとオリヴィアが楽しそうに話している。
オリヴィアは口元に手を添えて笑っていた。
その姿は、先ほどまでの様子とはまるで違って見える。
「……ベアトリス様と学生時代から親しくしてらっしゃる方は誰だったかしら」
セシリアは小さく呟くと、呼び鈴に手を伸ばした。
「誰か、来てちょうだい」
ほどなくして、侍女が姿を見せた。
「お呼びでしょうか、奥様」
「ええ。執事長を呼んでもらえる?」
「かしこまりました」
侍女が退出すると、セシリアはもう一度窓の外を見た。
楽しそうに笑う二人の少女。
その姿を見つめながら、彼女は静かに考えていた。
人の性分というものは変わらないものなのよね。
エリーも心配しているようだし、少し頑張ってみようかしら。




