2.小さな違和感
王立学園に入学して、三か月ほど経ったある日のこと。
入学前は、貴族の子供たちが集まる学園だなんて、それはそれは堅苦しい場所なのだろうと思っていた。
ところが、実際に通ってみると案外そうでもないみたい。もちろん礼儀作法や身分に応じた振る舞いは求められるけれど、授業中は爵位よりも成績が重視されるし、魔法の実技ともなれば、上級貴族だろうが平民に近い下級貴族だろうが失敗するときは失敗する。
ちなみに平民も何名かいるが、全員が成績優秀な特待生ばかりだ。学園はお金がかかるから当然と言えば当然だが。
そんなことより私には興味深い授業が山ほどある。
特に魔法理論というのが本当にもう、面白くて仕方がない。
「ねえ、オリエ!今日の授業、聞いた?」
「ええ。同じ教室にいたもの」
「そうだったわね!」
昼休みになると私は食堂へ向かう廊下を歩きながら、いつものように隣にいるオリエに話しかけていた。
どうやら私は楽しくなりすぎると、当たり前のことまで頭から抜けてしまいがちなようだが、オリエはいつものことといった顔で流してくれている。
「魔力を一定の間隔で流すと、魔石の発光が安定するって言っていたでしょう?これって、うちで作っている魔道具にも応用できると思うの。」
「まあ、そうなの?」
「ええ!今までは魔力の量ばかり気にしていたけれど、流し方を工夫すれば消費を抑えられるかもしれないわ!」
「それなら、オスカー伯爵もルーカス様も喜ばれるでしょうね」
「そうなの!帰ったらさっそく試してみるつもりよ!」
オリエは口元に手を添えて、くすくすと笑った。
「エリーは本当に魔道具が好きね」
「もちろんよ!だって、今までできなかったことができるようになるのよ?こんなに楽しいこと、ほかにないわ!」
「ふふっ。そうね」
「オリエは何か作ってみたいものはないの?」
「私?」
「そう!何でもいいのよ。あったら便利だなって思うもの!」
オリエは少し考え込んだ。
「そうねえ……」
「うんうん!」
「……すぐには思いつかないわ」
「そっかあ。思いついたらいつでも教えてね!」
「ええ」
そんな話をしているうちに、私たちは食堂に到着した。昼休みの食堂は、いつも賑やかだ。
あちこちの席で生徒たちが談笑し、食器の触れ合う音が響いている。私は空いている席を見つけると、オリエと並んで座った。
「今日は何を食べようかしら!」
食堂では、日替わりの料理をいくつかの中から選べるようになっている。
本日の主菜は、鶏肉の香草焼き、白身魚の蒸し料理、それから野菜とひき肉を重ねて焼いた料理の三種類のなかから選べるらしい。ううん…どれも美味しそうだわ。
「オリエは何にする?」
「私は…エリーと同じものでいいわ」
「ええ、せっかくだから好きなものを選びなさいよ!」
「ふふっ。そうよね」
オリエは献立表に目を落とした。
「…どれも美味しそうね」
「そうなのよね。私も迷っているの。」
「エリーはどれがいいと思う?」
「うーん。今日はお魚の気分かしら」
「それなら、私もお魚にするわ」
「えっ、もう決めちゃうの?」
「ええ」
「お肉も美味しそうよ?」
「そうね」
「野菜の重ね焼きも捨てがたいわよねえ」
「ええ」
私は献立表を見つめた。
ううむ、これは難問だ。
結局、散々悩んだ末に、私は鶏肉の香草焼きを選んだ。するとオリエも、同じものを注文した。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「オリエ、お魚にするんじゃなかったの?」
「エリーがお肉にしたから」
「そうなの?」
「ええ。美味しそうだもの」
そう言ってオリエは微笑んだ。
別に、おかしなことではない。友達と同じものを食べたくなることくらい、誰にでもあるだろう。私だって、誰かが美味しそうなものを食べていたら、つい同じものを頼みたくなる。
だから、そのときは特に気にしなかった。
———
午後の授業は、魔法の実技だった。
今日の課題は、魔力を一定の量に保ちながら、小さな光球を維持すること。
一見簡単そうに聞こえるだろうがこれがなかなか難しい。魔力を強く流しすぎると光球が膨らみ、弱めすぎると消えてしまう。
私は手のひらの上に浮かぶ光球を見つめながら、慎重に魔力を調整していた。
「……あっ!」
光球が、ぱちんと弾けて消えた。
「また失敗したわ!」
「エリー、少し肩に力が入りすぎているんじゃないかしら」
隣からオリエが声をかけてきた。
彼女の手のひらには、淡い光球が静かに浮かんでいる。大きさも明るさも、ほとんど先生のお手本と変わらない。
「オリエ、凄い…上手ねえ!」
「そんなことないわ」
「そんなことないなんてことはないでしょう…いったいどうやっているの?」
「ええと…魔力を流そうとするんじゃなくて、そこに留めておくようにする感じかしら」
「なるほど……?」
わかったような、わからないような。
私はもう一度手のひらに魔力を集めた。今度こそ成功させたい、そう思っていたときだった。
「……はあ」
教室の前方から、小さなため息が聞こえた。
教師が別の生徒の魔法を確認しながら息を吐いた音で、特別何か言ったわけでもなくましてや叱責したわけでも、声を荒らげたわけでもなかった。それなのに隣にいたオリエの肩が、びくりと跳ねた。
「……?」
私は少し驚いて彼女を見た。
オリエは背筋を伸ばし、手のひらの光球を見つめていた。先ほどまでの柔らかな表情が消えている。
「オリエ?」
「……え?」
「どうかした?」
「いいえ。何でもないわ」
オリエは微笑んだ。
いつも通りの穏やかな笑顔だった。
「エリー、もう一度やってみましょう?」
「…え…ええ」
私は頷いた。
気のせいだろうか…オリエはただ驚いただけなのかもしれない。教師のため息が思ったより大きく聞こえたとか?集中しているところに突然音がして驚いた、とか。うん、そういうことだってあるよね。
私は再び魔力を集めた。今度は、さっきよりも長く光球を維持できた。
「できた!」
「ええ。上手よ、エリー」
オリエは嬉しそうに微笑んだ。
その顔を見て、私は先ほどのことをいったん忘れることにした。
———
授業が終わり、私たちは校舎を出た。
日差しが柔らかく、庭園を抜ける風が心地よい。
「今日は特に難しかったわ」
「そうね。でも、エリーは最後には成功していたでしょう?」
「オリエのおかげよ!」
「私は少し助言しただけよ」
「その少しが大事なの!」
私は胸を張って言った。
「何しろ、魔道具開発では小さな発見が大きな進歩につながるんだから!」
「ふふっ。結局、魔道具のお話になるのね」
「だって本当のことだもの!」
二人で笑いながら歩いていると、向こうから同じ学年の女子生徒がやってきた。
「ごきげんよう、アルヴェイン様。ローディス様」
「ごきげんよう」
私たちは挨拶を返した。
すると、その生徒はオリエに向かって言った。
「ローディス様、明日の課題について少し伺いたいのですけれど」
「ええ。何かしら?」
「魔法史の課題なのですが、参考にする書物は何を選ばれましたか?」
「私は、王国初期の魔法研究に関するものを……」
「まあ、そうなのですね。私も同じものにしようかしら」
「ええ。読みやすいと思いますわ」
「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」
その生徒が立ち去ったあと、私はオリエに尋ねた。
「魔法史の課題、もう始めていたの?」
「ええ。少しだけね」
「早いわねえ!私はまだ何もしていないわ!」
「エリーは魔法理論の方に夢中だったものね」
「そうなのよ!…って、そうじゃなくて。オリエ、どんな本を選んだの?」
「王国初期の魔法研究についてまとめたものよ」
「へえ!面白そう!」
「エリーも読んでみる?」
「うん!……あ、でも、同じ本を使ってもいいのかしら?」
「もちろんよ」
オリエはそう答えてから、ふと私の顔を見た。
「エリーは、別の本の方がいい?」
「え?」
「その方が、面白いかもしれないし……」
「うーん。まだわからないわ!まずは図書室で探してみようかしら」
「そうね」
オリエはほっとしたように微笑んだ。
私は、その表情を見て、…今、どうしてオリエは安心したんだろう?と疑問を抱いた。だって私が同じ本を選んでも、別の本を選んでもどちらでもいいはずなのに。けれど、そんなことを聞くのもなんだか変な気がして、私は何も言わなかった。
———
帰宅後、私は自室の机に向かい今日の授業で学んだことをノートにまとめていた。
魔力の流れを安定させる方法、光球の維持に必要な魔力量、魔石への応用の可能性…。
書きたいことはいくらでもあるのに、なぜか今日は集中できなかった。頭の片隅に、オリエの姿が浮かんでくるのだ。食堂で、私と同じ料理を選んだことや、教師のため息に、びくりと肩を揺らしたこと。そして課題の本について話したとき、私の返事を聞いて安心したように見えたこと。どれも、ひとつひとつは些細なことで、特に気にするほどのことではない。……気にするほどの事ではないと思うのだが気になってしまう。
私はペンを置いた。
「……そういえば」
思い返せば、オリエは昔からあまり自分の希望を言わない子だった。何をして遊ぶか決めるときも、どこへ行くか相談するときも、いつだって私の意見を先に聞いてから決めていた。私はそれを、ただオリエが優しいからだと思っていた。いや、実際に彼女は優しいし、それは今でも変わらない。とはいえ
「…オリエって、自分で何かを選ぶことがそんなに苦手だったのかしら?」
声に出してみても、答えは出なかった。
考えてみれば、私たちは幼い頃からずっと一緒にいる。だから、彼女の振る舞いを不思議に思ったことがなかった。そういう子なのだと、当たり前のように受け入れていた。
でも、もしオリエが自分の希望を言わないのには、何か理由があるのだとしたら?
私は窓の外を見た。
庭の木々が、夕日に照らされている。
前世の記憶を取り戻す前の私なら、今日の出来事も何も気にしなかっただろう。きっと、いつものオリエだと思って終わっていた。変わったのは、オリエではなくおそらくは私の方。
前世で見聞きした、さまざまな人間関係を思い出す。
誰かの顔色をうかがって、自分の意見を飲み込んでしまう人たちや、合わせすぎてしまう人たちがいたなぁ…。
かくいう私も先輩や上司の顔色をうかがってたっけ…。そしてその原因の多くは親との関係性だったような…。
「……まさかね」
私は小さく呟いた。
オリエはいつも穏やかで、優しくて、私の話を楽しそうに聞いてくれる。今日だって、何度も笑っていた。
だから、きっと考えすぎだ。
……そう思いつつも、教師のため息を聞いた瞬間の、あの表情だけはどうしても、頭から離れなかった。




