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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
誰がためのガラスの靴

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4


 レイラが帰ったあとの工房は、妙に静かだった。


 先ほどまで響いていた足音も、返事もない。

 試作靴の確認に使った椅子は少しだけ斜めにずれており、卓には茶器が残っている。


 マルタは木型を棚へ戻しかけて、ふとその椅子を見た。


「……静かですね」


 誰に言うでもなく呟き、すぐに眉をひそめる。


 何を馬鹿なことを、と自分で自分を切り捨てるように首を振った。

 静かなのは当たり前だ。工房は本来こういうものだし、あの少年がいると妙に間が埋まるだけである。


 ─うるさいわけでもないのに。


 そこまで考えて、また眉間に皺が寄る。


 いけない。仕事をしよう。


 マルタは革包丁を取り上げ、試作靴の踵に手を入れた。

 レイの足は細いくせに踵だけ妙に擦れている。歩き方に無駄な力が入っているのだ。次はそこを少し柔らかく─


 からん、と扉の鈴が鳴った。


「やあ」


 聞き慣れた声に、マルタは露骨に嫌そうな顔をした。


「……また来たんですか、兄上」


「可愛い妹が忙しそうにしていると聞けば、様子見くらいするだろう」


「暇なんですね」


「辛辣だなあ」


 ひらりと手を振って入ってきたのは、長身の青年だった。

 淡い灰青の上着に金の留め具。いかにも貴族らしい身なりだが、本人はそんな格好のまま平然と革屑だらけの工房を歩いてくる。


 レオン・アルノー。

 マルタの実兄にして、社交界の噂話を無駄に拾ってくる男である。


「お茶ならありません」


「出せとも言ってないよ。……へえ」


 レオンの視線が卓の上に止まった。

 使いかけの茶器が二つ並んでいる。


「珍しい。お客?」


「仕事です」


「ふうん。例のグランヴィル伯爵家の依頼か」


 マルタは無言で踵を削る手を動かした。


 レオンは勝手に近くの椅子へ腰掛ける。


「舞踏会用の靴だったよね。グランヴィル夫人もなかなか見栄っ張りだ。娘を飾り立てるのに余念がない」


「そうですね」


「エリザベス嬢と君が仲良くなるとはね」


 その言葉に、マルタの手が止まった。


「……いえ」


「ん?」


「採寸に来たのは、レイラという子です」


 レオンが瞬きをする。


「レイラ?」


「ええ。見事な金髪の。レイラと名乗っていましたが」


 数秒、工房の空気が止まった。


 レオンの口元から笑みが消える。


「待って。グランヴィル家に金髪の娘なんていたか?」


「いたから言ってるんですが」


「いや、正妻の娘はエリザベス一人のはずだ」


 マルタは眉をひそめた。


「では妾腹か何かでは」


「……妾腹」


 レオンが低く繰り返す。


 その顔色が僅かに変わったのを見て、マルタは革包丁を置いた。


「何です」


 レオンはすぐには答えなかった。

 考え込むように顎へ指を当て、それからゆっくり口を開く。


「グランヴィル伯には、確かに愛妾がいたはずだ」


「やはり」


「だが、その子は─」


 そこで一度言葉を切る。


「8年前、伯爵と共に病死したのではなかったか」


「……は?」


「少なくとも社交界ではそう思われている。愛妾はさらにその前に亡くなっている。だから今、あの家にいる適齢の子どもはエリザベス嬢だけのはずだ」


 マルタは言葉を失った。


 存在しない。


 その単語が、やけに重く耳に残る。


 脳裏に浮かぶのは、薄汚れた庭で枝葉を抱えていた裸足の姿。

 泥に沈む白い足。

 小石を踏んでも顔色ひとつ変えず、淡々と「この家では普通のことです」と言った声。


 あれが、存在しない?


「……死んだことにして、屋敷に置いていると?」


「そういうことになるな」


 レオンの声音も珍しく硬い。


「正直、趣味が悪いどころの話じゃない」


「ではなぜ今さら舞踏会など」


「正式に娘として出す気はないだろうよ。遠縁だの親類だの、どうとでも誤魔化せる」


 レオンはそこで息を吐いた。


「だが、社交界に8年隠した子を今さら飾って連れ出す理由なんて、ろくなものじゃない」


 マルタは無意識に拳を握っていた。


 爪が掌に食い込む。


 レイラの足を思い出す。

 赤く腫れた甲、擦り切れた踵、潰れかけた爪。

 あの家でどんな扱いを受けていれば、ああなる。


「兄上」


「うん?」


「グランヴィル夫人は、何を考えていると思います」


 レオンは苦く笑った。


「悪意を予想するのは趣味じゃないが……嫌な予感しかしないね」


 工房に雨の気配もないのに、妙な冷えが落ちた気がした。


 マルタは卓の上の試作靴へ目を向ける。


 先ほどまでここで、あの少年は「少し歩きやすい」と言っていた。

 ほんの少しだけ肩の力を抜いていた。


 存在しないことにされた人間が。


 レオンが立ち上がる。


「……必要なら手を貸すよ」


「何にです」


「まだ分からない。でもお前、その顔をしてる時はろくでもないことを考えてる」


「失礼ですね」


 レオンは肩をすくめ、ひらひらと手を振って出ていった。


 扉が閉まり、再び工房は静かになる。


 マルタはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて試作靴を手に取った。


 細い紐を指先で撫でる。


「……あなた、何者なんですか」


 問いに答える者はいない。

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