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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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29/30

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 アルノー家の一室は、すっかり臨時工房になっていた。机には革と木型、糸巻き、金具。窓際には裁断途中の革が並び、甘い革油の匂いが部屋へ満ちている。

 そんな中、マルタは黙々と手を動かしていた。

 工房は今、マルタの姿に変えられた護衛が代わる代わる様子を見ている。注文の受け渡しは怪しまれない程度に最低限。グランヴィル家が迂闊に手を出せないよう、密かな厳戒体制を敷いている。

 だがマルタ自身は仕事を止めなかった。


「……」


 木型へ革を沿わせる。

 レイナルドの、訓練用の靴。踏み込みやすく、走りやすく、多少乱暴に動いても壊れないもの。

 最近のレイナルドの動きを思い出しながら、細かな調整を入れる。右足へ逃げる癖。でも以前より踏み込めるようになった。

 怖いくせに前へ出る。


「意味が分かりません」


 ぽつりと呟いた時だった。

 こんこん、と扉が鳴る。


「入るよ~」


 レオンだった。後ろにはレイナルドもいる。


「あ、お邪魔でしたか」


「別に」


 マルタは淡々と返した。レイナルドは部屋を見回し、少し目を丸くする。


「本当に工房みたいですね……」


「工房です」


「部屋では?」


「今は工房です」


 真顔で言うと、レイナルドが少し笑った。


「見事な夫婦漫才の中ごめんね、ちょっと見て欲しいものがある」


「なんですかその言い方…」


 眉をひそめ、レオンがひらひらさせている物を受け取った。金で縁取られた厚手の封筒には、丁寧な封蝋がされてある。宛名には、マルタ靴工房殿。


「これ、今日行った護衛─あ、マルグリットの姿になってる子がね、受け取ってきて。馬鹿丁寧に馬車に使者乗せて持ってきたってさ」


「へえ、物好きがいるもんですね」


「ただの物好きならいいんだけどね」


 開けてみるよう促され、適当にそこら辺にあった鋏で端を切る。簡潔なメッセージカードが入っていた。文字に目を走らせること数秒、マルタは大きく息をついた。


「何だった?」


「夜会の招待状でした」


「へえ。………え?」


  レオンとレイナルドが揃って目を丸くする。なんだか表情が似てきたな、とマルタはふと思った。






     ◇◇◇






「来週!?」


 レオンの声が屋敷に響いた。


「いやいやいや、正気?職人呼びつけるとしても、普通もっと前に連絡するでしょう!?」


 応接間の机には、問題の招待状。差出人は、王都でもそれなりに名の知れた侯爵家だった


『話題の工房の方をぜひ夜会へ』


 書き方だけは丁寧だ。

 レオンが眉をひそめ、声を落とした。


「この侯爵家、最近の流行りが最悪なんだ。自分たちの優越感を確認するために、話題の平民や職人をわざわざ夜会に招いては、作法や言葉遣いの不慣れさを嘲笑って楽しむ……そんな悪趣味な余興が十八番らしい」


「……なるほど、見世物小屋の代わりというわけですか」


 マルタの瞳に冷ややかな光が宿る。


「ああ。前回の夜会でも、招待された若手画家が執拗にマナーを貶められて、二度と筆を握れなくなるまで追い込まれたって噂だ。今回も、工房の職人を招いて酒の肴にするつもりだろう。…何より、グランヴィル家が最近出入りしていた家でもある」


 レイナルドは背筋が凍る思いがした。単なる嫌味を言われるレベルではない。彼らは、マルタが心血を注いでいる「職人としての誇り」を、娯楽として踏みにじろうとしているのだ。

 ヴァンスの眉間には深い皺。


「断ってもいい」


「断りません」


 即答したのはマルタだった。空気が少し張る。


「職人として呼ばれています」


「マルグリット」


「勿論、嫌ですが」


 嫌なんだ。レイナルドは少しだけ安心した。平然としているように見えて、本当に何も感じていないわけじゃない。

 マルタは淡々と続ける。


「ですが、逃げたくありません」


 その声は静かだった。


「工房として呼ばれた以上、応じます」


 ヴァンスはしばらく娘を見つめ、それから深く息を吐いた。


「……そう言うと思った」


「言うと思ったけどさぁ」


 レオンが頭を抱え、レイナルドの顔が曇った。


「本当に行くんですか」


「行きます」


 即答だった。レオンはやれやれ、と肩をすくめる。


「見世物として、なんだよ?」


「そうでしょうね。でも、私は自分の仕事を恥じていません」


 迷いのない声だった。

 レイナルドは唇を噛んだ。強い、この人は本当に強い。嫌味を言われても、笑われても、きっと平然と立つのだろう。

 そう思った時。


「坊ちゃん」


 不意にレオンがこちらを見た。


「はい?」


「君も行くでしょ?」


「え?」


「夜会」


「当然です」


 レイナルドよりも先にマルタが口を開く。


「あなた、私の助手でしょう。しっかり該当しますよ、()()()()に」


 思わずにやけそうになるのを、頬を噛んでたえる。工房の一員として認められたことが何よりも嬉しい。


 だが。


「僕、護衛とかできませんよ」


「うん、別に期待してない」


「ひどい」


 即答だった。レオンは笑いながら続ける。


「護衛は私と…まあ、アレクシスも呼べたら呼ぼう」


「アレクシス様も?」


「坊ちゃんの訓練担当だしねぇ」


 レイナルドは少し複雑な顔になる。最近、アレクシスは容赦がない。だが不思議と嫌ではなかった。

 レオンはそんなレイナルドを見て、ふっと笑みを薄めた。


「でもね、坊ちゃん」


「……?」


「君にしか出来ない役目がある」


 部屋が少し静かになる。


「役目……?」


「マルグリットの心を守ること」


 レイナルドが固まった。


「……は?」


「だから」


 レオンは穏やかに繰り返す。


「マルグリットの心を守るの」


「そんなに弱いつもりはありませんが」


「え、いや、そうですよね」


「強いよ?」


 レオンはあっさり頷く。


「でも傷つかないわけじゃない」


「……」


 レイナルドは言葉を失った。マルタはふい、と顔を背ける。

 レオンはソファへ浅く腰掛けながら続ける。


「たぶん当日も、平然としてるように見えると思う」


 ちら、と兄の視線がマルタへ向く。


「嫌味言われても、品定めされても、面白がられても」


 マルタは無言だった。


「でも昔から平気な顔して無理するんだよねぇ」


「兄上」


「事実でしょ?」


 マルタが少し眉を寄せるが、否定しない。レイナルドは胸がざわついた。


 そうだ。この人はいつも平然としている。市場で破落戸に絡まれた時ですら。だから忘れそうになる。傷つかないわけじゃないのに。


「だから坊ちゃん」


 レオンの声が柔らかくなる。


「君から見て辛そうだったら連れて逃げていい」


「え」


 静かな声だった。


「君はマルグリットを優先して」


 レイナルドは目を見開く。

 そんな役目を、守られてばかりだった自分が。


「……僕で、いいんですか」


 思わず零れた声に、レオンはきょとんとした。


「何言ってるの」


 そして笑う。


「マルグリットのことをよく見ている君だから任せるんだよ」


 その瞬間。かたん、と小さな音がした。

 見ると、マルタが珍しく紅茶をこぼしていた。


「……兄上」


 耳が少し赤い。レオンはにっこり笑う。


「おや、珍しい」


「うるさいです」


 マルタは無表情のまま片付ける。だがまただ耳だけ赤い。レイナルドの心臓が、また大きく鳴った。

 少し甘酸っぱい空気を切り裂くように、レオンは仰々しく頭を抱えた。


「ま、それはそれとして。来週はないよ来週は!準備期間って知ってる!?」


「知りません」


「知って」


 エレノアが優雅に紅茶を置いた。


「つまり急ぎで全部用意すればいいのね?」


「母上、怖い」


「仕立て屋呼ぶわよ」


 そこからは戦争だった。





     ◇◇◇





「まず礼装!」


「はい!」


「ドレス!」


「はい!」


「宝飾!」


「はい!」


「靴!」


 そこでレオンがにやりと笑う。


「それはうちの工房の本領だねぇ?」


 マルタは少し嫌そうな顔をした。


「……私の靴まで必要ですか」


「必要」


 レオン即答。


「お前、どうせ履き癖ついてるし普段使いのでいいやとか思ってるでしょ」


「駄目ですか」


「駄目」


 エレノアまで頷く。


「夜会は戦場よマルグリット」


「戦いたくないんですが」


「向こうが戦う気満々なの」


 理不尽だった。

 その横で、採寸用のメジャーを持った仕立て屋がきらきらした目をしている。


「まあぁ、お二人とも素材が良いので楽しみですわ!」


「素材」


「やめてください帰りたい」


 レイナルドが遠い目になる。だが仕立て屋は逃がさない。


「まずレイナルド様はこちら!」


 広げられたのは灰色の布。銀鼠、薄墨、青みがかった灰。


「この辺りですと瑠璃色の瞳が映えますねぇ」


「……」


 レイナルドは固まった。映える映えないといったことは未だ慣れない。

 すると横からマルタが布を一枚取る。


「これで」


 深い灰色。夜明け前みたいな色だった。


「えっ、即決」


「似合います」


「そんな簡単に」


「あと黒靴と合うので」


「あ」


 レイナルドが止まる。


 本命の靴。あの日、マルタが作ってくれた黒い靴。あれを履くのか、と急に実感が湧いてきた。

 その間にも、今度はマルタ側が捕獲される。


「マルグリット様はこちらを!」


「……」


「こちらの瑠璃色なんていかがです?」


 広げられた布が光を受ける。夜空みたいな深い青。そこへ金糸を重ねると、星みたいにきらめいた。

 レイナルドは思わず息を呑んだ。絶対似合う。

 だが当の本人は真顔だった。


「黒でよくないですか」


「よくない」


 レオンが即答する。


「何故です」


「華が足りない」


「必要ですか」


「必要!」


 エレノアも参戦する。


「せっかく黒髪が綺麗なんだから、暗色だけじゃもったいないわ」


「でも汚れが」


「夜会で工房仕事はしないの!」


 総ツッコミだった。マルタは本気で不思議そうにしている。

 レイナルドはちょっと笑いそうになった。


「……似合うと思います」


 ぽつりと言うと、マルタがこちらを見る。


「何がです」


「その色」


「……」


 数秒沈黙。マルタは布へ視線を戻した。


「そうですか」


 耳が少し赤い。

 その横で、レオンが満面の笑みになった。


「よし採用」


「待ってください」


「あと金刺繍ね!」


「何故です」


「映えるから」


「だから何故そんなに映えを求めるんですか」


 レオンはにこにこしたまま答える。


「光、入れたいなぁって」


「?」


 意味が分からず、マルタは首を傾げた。レイナルドも気づいていない。

 灰色の礼装に、黒い靴。

 瑠璃色のドレスに、金糸。

 全部、相手の髪と瞳の色だということに。





 その後は宝飾屋まで呼ばれた。


「こちら金細工の髪飾りなど」


「重そうです」


「軽量化しております!」


「何故そんな必死なんですか」


「職人魂です!」


 職人同士の妙な会話が始まる。

 レイナルドはその様子を見ながら、少しだけ肩の力を抜いた。


 怖さが消えたわけじゃない。

 夜会も、不安も、グランヴィル家も。全部まだ怖い。


 けれど。 

 忙しなく動くアルノー家の人々を見ていると、不思議と一人じゃない気がした。



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