28
アレクシスが来た日。アルノー家の裏庭には、乾いた木剣の音が響いていた。
「遅い」
ぱし、と軽く手首を打たれる。
「っ、痛……!」
「今ので切られている」
淡々とした声。
レイナルドは涙目で木剣を握り直した。向かいに立つアレクシスは、相変わらず涼しい顔をしている。
護身術と聞いていたはずなのに。
(何で木剣!?)
いや確かに貴族は剣くらい扱えるのだろうが、自分はこないだまでは令嬢生活、一昨日までは靴工房で釘やら革やらを運んでいた人間である。世界が違う。
「考え事をするな」
「うわっ」
また弾かれた。
「君はすぐ視線が泳ぐな」
「そう言われても…」
「余裕がない時ほど癖は出る」
容赦がない。
レイナルドは肩で息をした。腕がもう重い。数分しか経っていない気がするのに。
庭の端ではレオンが優雅に紅茶を飲んでいる。
「いやぁアレクシス容赦ないねぇ」
「お前が頼んだんだろう」
「そうだけど」
絶対面白がっている。
少し離れた場所にはヴァンスもいた。腕を組んで黙って見ている。逃げ場がない。
「もう一度」
「……はい」
木剣を構える。
アレクシスの立ち姿は無駄がなく、気負いも力みもない。ただそこに立っているだけなのに、近づきがたい。
レイナルドは息を呑む。
やっぱり、この人はちゃんとしている。マルタの隣に並んでも違和感がない人間だ。
その考えが頭を過った瞬間。
「止まるな」
鋭い声。
「っ!」
次の瞬間、足を払われる。
「うわ!?」
どさり、と派手に転んだ。背中が痛い。
「……君はすぐ考え込む」
アレクシスが木剣を下ろす。
「戦う時に向いていない癖だ」
「戦う予定なんかありません……」
「一昨日までならな」
返す言葉がなかった。アレクシスは少しだけ目を細める。
「恐怖を思い出せ」
レイナルドの身体がびくりと強張った。
男たちが近づいてきた時の圧迫感掴まれそうになった瞬間の恐怖。グランヴィル家へ連れ戻される想像。そして、マルタを失うかもしれない絶望─
全部、まだ身体に残っている。
「……はい」
小さく答えると、アレクシスは頷いた。
「当然だ」
「……」
「怖かったんだろう」
レイナルドは唇を噛んだ。
「それでも前へ出た」
静かな声が落ちる。
「弱い人間は、恐怖の前で他人を庇えない」
レイナルドは目を見開いた。そんな風にこの人に言われると思わなかった。今までの自分は、守られるだけで、泣いて、逃げて、閉じ込められて。弱い人間だと思っていたから。
「……でも、僕は結局」
倒れた。最後まで立っていられなかった。
すると言葉の先を察したのか、アレクシスは少し眉を上げた。
「倒れたら弱いのか?」
「え……」
「恐怖で動けなくなる人間は多い」
淡々とした口調だった。
「君は震えながら前へ出た。それは事実だ」
胸の奥が熱くなる。認められた。
その感覚に、レイナルドは少し戸惑った。アレクシスは木剣を肩へ乗せる。
「もっとも」
「?」
「動きは酷い」
「うっ」
「姿勢も甘い。腕力もない」
「追撃やめてください……」
「だが伸びしろはある」
さらりと言われる。レイナルドはぱちぱち瞬きをした。
「……あるんですか」
「ある」
即答だった。
「少なくとも、逃げながら戦う人間の目ではない」
「……」
「守ろうとして前へ出る人間の動きだった」
どくん、と胸が鳴る。その時。
「へぇ」
聞き慣れた声が割り込んだ。振り返ると、裏庭の入口にマルタが立っていた。屋敷の一室を仮工房として仕事をしていたはずだが。
レオンがにこやかに声をかける。
「マルタ、様子を見に来たの?」
「ええ」
マルタは淡々と言いながら、レイナルドを見た。
「……ぼろぼろですね」
「ええまあ……」
「まあでも意外とやってるよ。なんせ倒れてないし」
「確かにな。意外と」
「意外と体力あるんですね」
「皆さん意外とって言いすぎじゃないでしょうか…」
ささやかな抵抗に、レオンが腹を抱えて笑った。その間にも、マルタの視線はレイナルドへ向いたままだった。
「立てますか」
「え?」
「足」
言われて気づく。さっき転んだ拍子に少し捻ったらしい。
「だ、大丈夫です」
「嘘ですね」
即見抜かれた。マルタは当然のように近づいてくる。
「見せてください」
「いや本当に平気ですって」
「平気な人はそんな顔しません」
しゃがみ込まれる。
ぐっと距離が近づいて、レイナルドの心臓が変な音を立てた。
「っ」
「腫れてますね」
ひやり、と足首へ触れられる。反射で肩が跳ねた。
「痛いですか」
「い、いや、そうじゃなくて……」
「?」
本気で分かっていない顔だった。
アレクシスがそれを見て、ふっと笑う。
「なるほど」
「何ですか」
「いや」
アレクシスは木剣を下ろした。
「確かに、分かりやすい男だ」
「えっ」
「え?」
マルタまで首を傾げる。
レオンが盛大に吹き出した。
「だよねぇ!!!!」




