27
レイナルドの体調も落ち着いた頃には、窓の外はすっかり夕暮れ色になっていた。
食堂へ向かう途中、屋敷の空気がいつもより少し張っていることに気づく。使用人たちの足音は静かで、廊下を行き交う護衛の数も多い。
やはり今日のことは、アルノー家にとってもただ事ではないのだ。
少し緊張しながら食堂へ入ると。
「やあ坊っちゃん!」
ぱっとレオンが笑顔を浮かべた。
「今日はご苦労様。美味しいお肉食べようね」
「え、あ、ありがとうございます……」
温度差がすごい。
レイナルドが戸惑っていると、エレノアもふわりと微笑んだ。
「全くやぁねえ、品のない人たちって。マルグリットを守ってくれてありがとうね」
「い、いえ、あの……」
そんな風に言われると余計困る。
「何もできなかったので……」
「気にするな」
低い声でヴァンスが言った。
「出来ないことは、出来るようになればいい」
重々しい声音なのに、不思議と責める響きはない。レイナルドは少し目を丸くした。
「……はい」
胸の奥がじわりと熱くなる。
怖かった。本当に怖かった。それでも、アルノー家の人たちは「情けなかったな」とは言わない。そのことが、妙に嬉しかった。
席につこうとして、ふと気づく。
「あの……?」
「ああ、マルグリットなら今工房よ」
エレノアがさらりと答えた。
レイナルドは目を見開く。
「工房!?」
「ええ」
「危険じゃないんですか!?」
「危険だから家にいなさいって言ったんだけどねぇ」
エレノアが困ったように笑う。
「仕事ができないって暴れるのよ、あの子」
「暴れるって」
「必要なものを護衛付きで取りに行ったわ」
何というか、マルタらしい。
だがレイナルドの胸はまだざわついたままだった。もしまた何かあったら?今度レオンが間に合わなかったら?無意識に拳を握る。
するとヴァンスが静かに口を開いた。
「マルグリットが家で仕事をすると言うことは、だな」
「……?」
「君には時間が空く」
嫌な予感がした。
ヴァンスの隣で、レオンがにっこり笑う。
「護身術、やってみようか!」
「……はい?」
思わず間抜けな声が出た。
レオンは楽しそうだ。
「いやぁ今日見て思ったんだよねぇ。坊ちゃん、ちゃんと前に出られるじゃない」
「そ、それは……」
「でも完全に素人」
「うっ」
否定できない。
「だから最低限覚えよう。掴まれた時の外し方とか、逃げ方とか」
「逃げ方……」
「大事だよぉ?」
レオンは頬杖をつく。
「別に坊ちゃんを最強騎士にするわけじゃないんだから」
「なら安心ですね……」
「ただし講師は超一流!」
嫌な予感が増した。
レオンがにこりと笑う。
「アレクシス」
「…………え?」
固まる。
あのアレクシス・デュノワが?元婚約者で、貴族として完成されていて、落ち着いていて、妙に気まずいあの人が?
「え、いや、何で……」
「頼んだら承諾してくれた」
「何でですか!?」
「知らない」
絶対知っている顔だった。
ヴァンスが淡々と言う。
「適任だ。伊達に騎士家系ではない」
「騎士、ですか……それは適任でしょうけど……」
レイナルドは頭を抱えたくなった。何というか、気まずい。マルタと並んでも違和感のない人に、自分が教わるというのが。
そんなレイナルドを見て、レオンが吹き出した。
「坊ちゃん顔に出すぎ」
「出してません!」
「出てる出てる」
「いやでも」
レイナルドは小さく視線を落とした。
「僕にできるんでしょうか」
今日だって結局、震えて、倒れた。あんな風に格好悪く気絶してしまったのに。
るとヴァンスが静かに答える。
「向いている必要はない」
レイナルドが顔を上げる。
「生き残るために覚えろ」
短い言葉だった。けれど、それは不思議と胸へ落ちた。
レオンも珍しく真面目な顔で頷く。
「坊ちゃんさぁ、今日怖くても前に出たでしょ」
「……はい」
レオンは優しく笑った。
「なら十分筋がいいよ」
その言葉に、レイナルドは少しだけ目を見開いた。褒められると思っていなかった。認められることにも、まだ慣れない。
「……頑張ります」
小さくそう言うと、レオンは満足そうに笑った。
「よしよし」
「じゃあ明日から?」
「いや、明後日かなぁ。明日は坊っちゃん筋肉痛になるから」
「まだ何もしてませんけど!?」
「なるよ?」
「何故言い切れるんですか」
食堂に小さな笑い声が広がる。
その温かさに包まれながら、レイナルドはふと胸の奥を押さえた。
怖かった。怖かったから。もしまた同じことが起きても、今度はちゃんと立っていられるようになりたい。
そう、思った。




