26
目を開けると、見慣れた天井だった。ぼんやり瞬きをする。柔らかな羽毛布団の感触。窓から差し込む夕方の光。
「……あ」
アルノー家の客間だ。
そこでようやく、最後の記憶が戻った。市場の路地にいた男たち。『ありがとうございます、守ってくれて』。
「っ」
勢いよく起き上がろうとして、頭がくらりと揺れた。
「うわ危ない」
聞き慣れた声。
「坊ちゃん、急に起きない」
「レオン様……」
ベッド脇の椅子にレオンが座っていた。いつもの笑顔だが、目だけが少し真面目だ。
「気分は?」
「……えっと……」
身体は重いが痛みはない。恐らく気を失っただけだろう。だがレイナルドの頭には別のことしか浮かばなかった。どこにもあの見慣れた仏頂面が見当たらない。
周りを見回すレイナルドを見て、レオンはふっと笑った。
「無事だよ」
その一言で、全身から力が抜けた。
「……よかった……」
自分でも驚くほど安堵した声だった。
レオンはそんなレイナルドをじっと見ていたが、やがて立ち上がる。
「そういう顔するようになったんだねぇ」
「……何ですか」
「いや別に?」
絶対別にじゃない。レイナルドは顔をしかめたが、すぐに不安を思い出した。
「あの人たち……何だったんでしょう」
「ただのごろつき、ではないだろうね」
レオンの声が少し低くなる。
「兄上」
静かな声と共に扉が開く。入ってきたのはマルタだった。
レイナルドは反射的に身体を起こした。
「大丈夫ですか!?」
「それはこっちの台詞です」
呆れたように言われる。
「急に倒れるから驚きました」
「す、すみません……」
「謝るところそこ?」
レオンが吹き出した。
「普通助けてくれてありがとう、とかじゃない?」
レイナルドの耳が熱くなる。
「いや、その……!」
「別にいいです」
マルタは淡々と言いながら、ベッド脇へ近づいた。
「熱はなさそうですね」
ひやり、と額へ手が触れる。
レイナルドの思考が止まった。
「……」
「……?」
マルタは平然としている。が、レイナルドの心臓はとんでもない音を立てていた。
近い。近い近い近い。
「顔赤いよ坊ちゃん」
「レオン様黙ってください!!」
「元気そうで何より」
この人、完全に面白がっている。
マルタは少し眉を寄せた。
「まだ気分悪いんですか」
「ち、違います!」
「?」
本当に分かっていない顔だった。
レオンは肩を震わせて笑っているし、レイナルドはいたたまれなくて顔を覆いたくなる。
すると不意に、低い声が響いた。
「起きたか」
部屋へ入ってきたのはヴァンスだった。
空気が少し変わる。
ヴァンスはベッド脇まで来ると、レイナルドを静かに見下ろした。
「怖かったか」
飾り気のない問いだった。レイナルドは少し言葉に詰まったが。
「……はい」
嘘はつけなかった。
「すごく」
喉の奥が少し苦い。自分が自分で情けないと思う。結局震えて、最後は倒れた。
だがヴァンスは頷いただけだった。
「だろうな」
「……」
「それでも前へ出た」
短く、そう言う。
レイナルドは目を見開いた。
「十分だ」
その声音は静かだった。だが不思議と胸へ落ちる。認められた、と思った。じわ、と胸の奥が熱くなる。
「……ありがとうございます」
気づけばそう言っていた。
ヴァンスは小さく頷く。
「レオン」
「はいはい」
「護衛をマルグリットの姿に」
そう言えば舞踏会でのマルタの男姿は兄上の魔術って言っていたな、とレイナルドは思い出した。姿を変えられる魔術なんて、間違いなく実力者だ。
「工房に回す。護衛は増やすがしばらく一人で出歩くな」
「……父上」
ぴり、と張り詰めた空気の中、マルタが何か言いかける。だがヴァンスは先に続けた。
「相手は試しに来た可能性がある」
レイナルドの背筋が冷える。
「試し……」
「工房の場所。人間関係。護衛。お前たちの反応」
ヴァンスの目は鋭かった。
「本命は別のところ」
部屋が静まり返る。
そこでレオンが、ふっと息を吐いた。
「やっぱりグランヴィル家かなぁ」
「断定はできん」
「でも怪しい」
「……」
レイナルドは布団を握りしめた。
もし本当にグランヴィル家なら、自分のせいでアルノー家まで危険へ巻き込んでいる。
「……すみません」
思わず漏れた声に、全員がこちらを見た。
「僕のせいで……」
「違います」
即座にマルタが遮った。灰色の目が真っ直ぐこちらを見る。
「私の工房に手を出したんです」
「でも」
「あなた一人の問題ではありません」
きっぱりと言い切る。
「それに」
マルタは少しだけ視線を逸らした。
「……今日は、あなたに助けられました」
小さい声だった。けれどレイナルドには十分すぎるほど聞こえた。胸の奥がまた熱くなる。
するとレオンがにやりと笑う。
「いやぁ坊ちゃん格好良かったもんねぇ」
「レオン様!」
「怖いのに前出たんでしょ?」
「うっ」
「男前だねぇ」
「やめてください……!」
耳まで熱い。マルタはそんな二人を見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
その小さな変化を見た瞬間。
レイナルドは、また心臓がおかしくなるのを感じていた。




