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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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 注文が増えれば、材料が足りなくなるもので。2人は久しぶりに市場に繰り出していた。


 春野菜を積んだ荷に、焼きたてのパンの匂い。行き交う人々の喧騒。

 レイナルドは革紐の束を抱えながら、隣を歩くマルタをちらりと見た。


「今日は早く済みましたね」


「必要なものが全部あったので」


 マルタは紙袋を確認しながら答える。

 欠品していた鋲も糸も買えた。これで工房へ戻れると思っていた。

 ─少なくとも、さっきまでは。


 レイナルドはふと足を止めた。


「……?」


「どうしました」


「いや……」


 視線を巡らせる。

 妙な感じがした。誰かに見られているような。レイナルドの背筋がぞわ、と粟立つ。

 

 グランヴィル家にいた頃に廊下の向こうから向けられる監視の目。逃げようとした時、背後から腕を掴まれた感触。

 無意識に呼吸が浅くなる。


「大丈夫ですか?」


 マルタが不思議そうに首を傾げる。レイナルドは慌てて首を振った。


「……何でもありません」


 気のせいかもしれない。そう思いたかった。


 だが。


 市場を抜け、工房への近道に入った瞬間。


「おい」


 低い声が響いた。レイナルドの肩がびくりと跳ねる。路地の先に男が二人立っていた。少し酒臭く、服は薄汚れている。

 どう見てもまともではない。


「最近羽振り良いらしいなぁ、靴屋」


 にやにや笑いながら近づいてくる。マルタは眉一つ動かさなかった。


「通してください」


「怖えなあ」


「おじょーちゃん相手に夢売ってるんだって?」


「硝子の靴だっけ?」


 その言葉に、レイナルドの血の気が引いた。男たちは気づかないまま続ける。


「最近噂なんだよなぁ」


「その靴履けば見初められるって?」


「景気良いそうじゃねえか」


 ただの嫌がらせだと、分かってる。

 けれど“硝子の靴”という単語だけで心臓が嫌な音を立てる。


 見つかった。


 その錯覚が頭を過り、息が苦しい。


「……行きましょう」


 レイナルドは反射的にマルタの腕を引いた。だが男が道を塞ぐ。


「待てよ」


 にやり、と笑う。


「少しくらい愛想良くしてくれてもいいだろ?」


 男の手が伸びた。マルタの腕へ。


 その瞬間。


 身体が勝手に動いていた。


「触るな!」


 ばし、と腕を払う。男が目を見開いた。レイナルドはマルタの前へ出る。


 喉が震えるし、足も竦みそうだった。

 殴られたらどうしよう。掴まれたら。もしグランヴィル家の人間だったら?


 頭の中はぐちゃぐちゃなのに、それでも身体だけは前に出ていた。


「……下がってください」


「でも」


「いいから」


 声に全然余裕がない。それでもレイナルドは男たちを睨み返した。


「嫌がってるでしょう」


「は?」


「通してください」


 男たちが顔を見合わせる。予想外だったのだろう。線の細い青年が、こんな風に前へ出るとは。


「何だお前」


「女の護衛気取りか?」


 笑われても、レイナルドは退かなかった。

 手は震えても、マルタを後ろへやるように立つ。

 男の一人が苛立ったように舌打ちした。


「調子乗んなよ」


 一歩近づいてきて、レイナルドの背筋が凍る。


 怖い。本当に怖い。それでも逃げられなかった。


 その時。


「へえ」


 場違いなほど穏やかな声が響いた。


「うちの妹に何か用?」


 男たちが振り返る。路地の入口にレオンが立っていた。

 にこにこ笑っているが目だけが笑っていない。


「兄上」


「いやぁ、迎えに来て正解だったかな」


 ゆっくり近づいてくるレオンに、男たちの顔色が変わった。服装も立ち姿も、明らかにそこらの男ではない。レオンは笑顔のまま男たちを見た。


「それで?」


「……っ、いや、別に」


「ただ話してただけで」


「そう」


 にっこり。


「ならもう帰っていいよ」


 声は優しい。なのに妙に逆らいづらい。男たちは舌打ちしながら去っていった。


 足音が遠ざかる。



 そこでようやくレイナルドの足から力が抜けた。


「……っ」


 くら、と視界が揺れる。


「レイナルド」


 マルタが腕を支えた。


「大丈夫ですか」


「だ、大丈夫……」


 全然大丈夫じゃない。


 手が震えているし、呼吸も浅い。


 レオンがそんな二人を見て、ふっと目を細めた。


「……へえ」


「何ですか」


「いや?」


 レオンはにやにや笑う。


「ちゃんと男の顔するじゃない」


 レイナルドの耳が熱くなる。


「そんなんじゃ……」


「してたよ」


 レオンはあっさり言った。


「怖かったくせにね」


 図星だった。レイナルドは唇を噛む。

 本当に怖かったし、今もまだ心臓がうるさい。だが。


 ちら、と隣を見る。マルタは珍しく静かだった。灰色の目がじっとこちらを見ている。


「……何ですか」


 思わず聞くと、マルタは数秒黙ったあと、珍しく小声で言った。


「ありがとうございます、守ってくれて」


 守れてよかった、そう思ったところでレイナルドの意識はなくなった。



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