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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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23/30

23

 午後の工房は久しぶりに静かだった。


 午前中に押し寄せていた客波がようやく途切れ、レイナルドは積み上がった木箱を整理しながら小さく息を吐く。


「……今日は多かったですね」


「最近ずっとです」


 マルタは机に向かったまま答えた。革を裁つ手は相変わらず迷いがない。


「恋の叶う工房、でしたっけ」


「やめてください」


「でも広まってますよ」


「不本意です」


 本当に嫌そうだった。


 レイナルドは少し笑う。


 最近、こういう何気ないやり取りが増えた。  工房で隣に立つことも自然になった。道具の場所も覚えたし、マルタの短い指示も大体分かる。


 ──ここにいるのが当たり前みたいだ。


 そう思った瞬間。


 扉のベルが鳴った。


「いらっしゃ──」


 顔を上げたマルタの声が止まる。珍しい。

 レイナルドもつられて入口を見た。


 入ってきた男は、すらりと背が高かった。

 濃紺の上質な外套に銀縁の眼鏡をかけていて、年齢は二十代くらいだろうか。整った顔立ちだが、柔らかさより理知的な印象が強い。

 男は工房を見回し、それから静かに口を開いた。


「……相変わらずだな、マルグリット」


 マルタが数秒沈黙する。


「お久しぶりです」


 声音は平坦だった。だが微妙に空気が違う。

 レイナルドは思わず二人を見比べた。


「知り合い、ですか」


 すると男の視線がこちらへ向き、翠の瞳に射貫かれる。久しぶりの感覚。一瞬で“値踏み”されたと分かった。


「失礼」


 男は軽く一礼した。


「アレクシス・デュノワだ」


 デュノワ。どこか聞き覚えのある家名だと考えているうちに、ふと舞踏会を思い出す。


『デュノワ家三男坊という設定です』


 レイナルドが固まっていると、マルタが淡々と補足する。


「兄の友人の方です」


「元婚約者、と言って欲しいな」


「…………は?」


 間抜けな声が出た。


 元、婚約者?いや待ってほしい。そんな話は初耳だ。

 アレクシスは小さく肩をすくめた。


「随分驚かれたな」


「そ、それは……」


 人付き合いがあることに驚いた?元とはいえ婚約者がいたと思わなかった?

 ぐるぐる考えていると、並ぶと妙にしっくりくる二人が目に入る。どちらも姿勢が綺麗で、落ち着いていて、余計なことを喋らない。貴族同士として完成されている感じがした。


 レイナルドは無意識に自分の袖を握る。


 何だろう、この感じ。


 胸の奥が落ち着かない。


「今日は何の用ですか」


 マルタが単刀直入に聞く。アレクシスは工房の棚へ視線を巡らせた。


「最近繁盛していると聞いた」


「ええ」


「噂にもなっている」


「不本意です」


「だろうな」


 少しだけ口元が緩む。笑った顔は意外と優しかった。

 だが次の言葉は、やはり貴族的だった。


「だがこの規模では限界もあるだろう」


「……」


「流通も素材も、人脈も」


 アレクシスは静かに続ける。


「私のところへ来れば、もっと良い革も職人も用意できる」


 レイナルドの手が止まった。


 それはつまり、よりを戻したい、ということでは。


 マルタは無表情だった。


「お断りします」


 即答。

 レイナルドと対照的に、アレクシスは驚かない。


「だと思った」


「なら何故来たんです」


「確認だ」


 静かな視線がマルタへ向く。


「君が後悔していないか」


 一瞬だけ、工房が静かになった。

 マルタは淡々と答える。


「していません」


「そうか」


 本当にそれだけだった。怒りも未練も責める気配もない。ただ価値観が違った。それだけなのだと分かる。


 けれど。


 レイナルドの胸は妙にざわついていた。


 だってこの男は、マルタの隣に立てる。貴族としても、立場としても、ちゃんとしている。それに比べて自分は何だ。居候で半端者。元“硝子の靴の娘”。


「ところで」


 アレクシスの視線が再びこちらへ向く。


「そちらは?」


 レイナルドの喉が詰まった。自分は何だ。何と名乗ればいい。

 助手?居候?客?

 言葉が出ない。


 すると。


「私の助手です」


 マルタが当然のように言った。レイナルドが顔を上げる。


「工房を手伝ってもらっています」


「……そうか」


 アレクシスは数秒レイナルドを見た。


「随分近くに置いているな」


 空気が止まる。レイナルドの顔が一気に熱くなった。


「えっ」


 だがマルタは首を傾げる。


「効率が良いので」


「……なるほど」


 絶対納得していない顔だった。だがそれ以上は言わなかった。アレクシスは小さく息を吐く。


「君は昔からそうだな」


「何がです」


「自覚が薄い」


「?」


 意味が分からない、という顔をするマルタに、アレクシスは苦笑した。

 そして踵を返す。


「邪魔した」


「ええ」


「……マルグリット」


 扉の前で、アレクシスは一度だけ振り返った。


「君が望んでいるなら、それでいい」


 その声音は静かだった。未練というより、確認を終えた人間の声だった。


 ベルが鳴って、扉が閉まる。


 工房に沈黙が落ちた。


「……随分ちゃんとした方でしたね」


 ぽつりとレイナルドが言う。

 マルタは革を整えながら頷いた。


「真面目な人ですよ」


「……そうでしょうね」


「優秀ですし」


「でしょうね……」


 返事が沈む。マルタがちらりと顔を上げた。


「何ですか」


「え?」


「顔」


「顔?」


「暗いです」


 そんなに分かりやすかったのか。

 レイナルドは慌てて視線を逸らした。


「別に……」


「別にではない顔です」


「最近そればっかりですね」


「最近分かりやすいので」


 逃げ道がない。レイナルドは観念したように息を吐いた。


「……お似合いだったので」


 言ってしまった瞬間、しまったと思った。

 マルタが瞬く。


「誰と」


「誰とって……先ほどの方と」


「そうですか?」


「そうでしょう」


 だって、釣り合っている。少なくとも自分よりずっと。

 胸の奥がまた重くなる。


 するとマルタは少し考えるように黙り、それから平然と言った。


「二人とも暗いからじゃないですか、色味が」


「そういうことでは…」


「私はあなたの方が話しやすいです」


「……え」


 さらり。本当にさらりと言う。

 レイナルドの心臓はどくん、と大きく跳ねた。

 マルタはそんなこと気づきもしない顔で、次の革を手に取った。


「あと」


「……はい」


「あなたの方が、工房に馴染んでます」






 その言葉が、思っていた以上に嬉しくて。

 レイナルドはしばらく返事ができなかった。

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