22
最近、工房が忙しい。いつも通り手を動かしながら、マルタはふと思った。
「すみません、注文いいですか?」
また扉のベルが鳴って、入ってきたのは商家の娘だった。淡い色の春ワンピースに、小洒落た鞄。
マルタの工房には、今まで仕事用や普段使いの靴を求めてやってくる者が多かったのだが。
マルタはちらりと相手を見た。
「どうぞ」
「ええと、その……今度、誕生日なんです。パーティー用の靴を」
「採寸します」
いつもの調子で椅子を示す。だが令嬢は座る前に、ちらちらと店内を見回した。
その視線が止まる。棚を整理していたレイナルドの方で。
「……」
少女の頬が少し赤くなる。
レイナルドは気づいていない。箱を抱えたまま首を傾げただけだ。
「何か?」
「い、いえっ」
少女は慌てて視線を逸らした。
その様子を見て、マルタの眉間にわずかに皺が寄る。
──何でしょう。
その後も。
「この辺りで評判の工房だと聞いて」
「まあ素敵な内装」
「職人さんってあなた?」
裕福層が増えた。
しかもやたらレイナルドを見るし、ひそひそ話す。時々顔を赤くする。
だが当の本人は全く気づいていなかった。
「最近忙しいですね」
呑気に革紐をまとめながら言う。
「春だからですか?」
「……」
マルタは無言で木槌を打った。
ガンッ!!!
音が大きい。
レイナルドがびくっと肩を震わせる。
「え、何か失敗しました?」
「別に」
自覚するほど返事が妙に硬い。レイナルドが困惑しているのも伝わってくる。でも、自分も何故かこうなのだから、慣れてほしい。
「こちら採寸終わりました」
「あ、はい」
レイナルドが近づいただけで、少女たちが妙に嬉しそうなのも気になる。
何なんだ。
本当に何なんだ最近。
◇◇◇
数日後の昼過ぎ。
また若い娘二人組が来店した。
「わぁ、本当にあった」
「やっぱり人気なのね」
こそこそ声が聞こえる。マルタは採寸をしながら淡々と尋ねた。
「何か?」
「あっ、いえ!」
一人が慌てて笑う。
「その、恋愛に効くって聞いて!」
「……は?」
思わず顔を上げた。娘たちはきゃあっと顔を見合わせる。
「ほら、硝子の靴の!」
「舞踏会で貴族に見初められた娘が履いてた靴、この工房だって噂で!」
「だから恋愛運が上がるかなって!」
マルタとレイナルド、二人揃って固まった。
「……」
「……」
娘たちはきらきらした顔で続ける。
「すごいですよねぇ」
「運命の恋!」
「憧れる〜!」
違う。完全に違う。
レイナルドは思わず遠い目になった。
あれは運命の恋とかそんな綺麗なものではない。逃走劇である。
だが娘たちはうっとりしている。
「噂、王都でかなり有名ですよ?」
「恋が叶う靴屋って」
「そこのお兄さんのこともここの靴でゲットしたんでしょう!?」
「物語みたい~!」
マルタのこめかみがぴくりとした。
「……誰がそんなことを」
「え?」
「いえ」
声が低い。
娘たちは気づかないまま楽しそうに注文して帰っていった。
扉が閉まる。
沈黙。
そして。
「……何か、色々脚色されてませんか」
レイナルドがぽつりと呟く。
「噂というのはそういう物でしょう」
「貴族の嫌な事情が見えなければ、ああいう美談?になるんですね…」
しみじみするレイナルドをよそに、マルタは真顔のまま仕事を続ける。だが数秒後。
「……はぁ」
深いため息をついた。
レイナルドはおそるおそる口を開く。
「ええと……怒ってます?」
「別に」
「その言い方、絶対別にじゃないですよね?」
「……」
マルタは黙った。それから不意に、木槌を置く。
「……勘違いしてました」
「え?」
「やたらあなたを見ていると思っていたんですが」
マルタは視線を逸らした。
「別にあなた目当てではなかったようなので」
「……」
「……」
数秒、互いに黙る。そして。
レイナルドはあれ、と思った。今の言い方、それではまるで。
“自分目当てだと思って気にしていた”みたいでは。
胸がどくりと跳ねる。
「あなた」
「は、はい」
「顔が変です」
「変!?」
「変です」
マルタはまだ少し耳が赤い。
その赤さを見た瞬間、レイナルドの心臓がまた変な音を立てた。
駄目だ。
最近ずっとおかしい。
マルタが少し表情を変えるだけで落ち着かなくなる。
嫌われたかと思えば苦しくなるし、機嫌が直れば安心する。
そして今は。
(……もしかして)
そこまで考えて、慌てて打ち消した。
いや、そんなわけない。自分なんかを。
だが否定しきれない何かが、胸の奥に小さく残った。




