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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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21/30

21

 食堂を飛び出したレイナルドは、そのまま屋敷の裏庭まで逃げていた。


 春の風が頬に当たる。


「……何なんだ本当に……」


 頭を抱える。


 昨夜からずっとおかしい。


 いや、もっと前からおかしかったのかもしれない。硝子の靴を履かされて舞踏会へ行った辺りから、人生が思わぬ方向に転げ回っている。


 相続人だと言われ、髪を切られ、男の特訓をさせられ、その上。


『僕は嬉しいですけど』


 先ほど自分で口走った言葉を思い出し、レイナルドはうめいた。


「何であんなこと……」


 勢いだ。完全に勢いだった。あんな空気で、あんなことを言われて、混乱して、そのまま。


 しかもマルタは、耳が赤かった。


 あれを思い出すたび心臓がおかしくなる。


「……駄目だ……」


 考えるな。仕事のことを考えろ。革とか靴とか。そういう現実的なものを。

 すると背後から、聞き慣れた平坦な声が飛んだ。


「逃げましたね」


「うわぁ!?」


 飛び上がって振り返る。マルタがいた。

 いつもの無表情。いつの間に着替えたのか、いつもの作業着。


「な、何ですか急に」


「兄上が呼べと」


「レオンさんが?」


「はい」


 マルタは淡々と頷く。


「今日、工房で大きい荷物を動かすので兄上を使う予定だったんですが」


「使うって」


「断られました」


 言いながら微妙に嫌そうな顔をする。


「茶会があるそうです」


「絶対嘘だ……」


「私もそう思います」


 兄妹の信頼関係が終わっている。

 マルタは小さく息を吐いたあと、レイナルドを見た。


「なので」


「……はい」


「代わりに来ますか」


 数秒、間が空く。

 レイナルドはぱちぱち瞬きをした。


「僕?」


「他にいません」


「いや、でも」


 先ほどあんな空気になった直後だ。気まずくないのか。自分だけなのか、こんなに落ち着かないのは。


 だがマルタはいつも通りだった。


「無理なら別に」


「行きます!」


 反射で答えていた。マルタが少し瞬く。

 レイナルドは慌てて咳払いした。


「ええと、その……荷物運びくらいならできますし」


「そうですか」


 それだけ言って踵を返す。その反応に、なぜか少しだけほっとした。

 特別扱いされない。変に意識されない。

 いや、されないとそれはそれで妙に寂しい気もするが。


「……面倒くさいな僕」


「何か言いましたか」


「いえ何も!?」


 慌てて追いかける。前を歩くマルタの背中はいつも通りだった。




 だが屋敷を出る直前、不意に彼女が足を止めた。


「……兄上」


 玄関ホールの端。

 そこには見送りに来たらしいレオンが立っていた。爽やかな笑顔である。


「何かなマルグリット」


「絶対わざとでしょう」


「何が?」


「茶会」


「ああ、本当にあるよ?」


 にこにこしている。 胡散臭い。マルタはじっと兄を見つめたあと、口を開いた。


「性格が悪いです」


「知ってる」


 即答だった。

 レイナルドが遠い目をしていると、レオンは楽しそうにこちらへ顔を向ける。


「じゃあレイナルドくん」


「は、はい」


「はい、これ」


「え?」


 手渡されたのは作業着。どう見てもマルタとお揃いである。


「ほら、手伝いすると汚れるから。うちの父から」


「……」


「妹をよろしくね」


「……」


 何だその言い方は。

 途端に先ほどの会話が脳裏へ蘇り、レイナルドの顔が熱くなる。

 一方マルタは無表情で兄を見た。


「兄上」


「うん?」


「帰ったら革製品全て作り直します」


「ごめんやめて」


 どうやら本気の脅しらしい。レオンが珍しく真顔になった。

 その横を、マルタが当然のように通り過ぎる。


「行きますよ」


「あ、はい!」


 慌てて後を追い、馬車に乗った。

 



     ◇◇◇





 アルノー家の馬車は、思っていたよりずっと静かだった。

 向かい合わせの座席。 揺れる車内。窓の外を流れていく王都の街並み。

 そして、妙にぎこちない空気。


 レイナルドは窓の外を見ているふりをしながら、内心かなり困っていた。昨夜のことを思い出す。耳の赤くなったマルタ。あの小さな笑みそれを見てどきりとした自分。

 そして今朝の、レオンの爆弾発言。


 ──君たち、ガラスの靴を作ってた頃からずっと二人きりだったでしょう


 思い出しただけで胃が痛い。いや、事実ではある。あるのだが。


(言い方というものがあるだろう……!)


 ちら、と向かいを見る。

 マルタはいつものように真顔で座っていた。  膝の上に帳簿を広げ、注文内容を確認している。


 平然としている。

 いや、平然としているように見えるだけで、耳がほんの少し赤い気もする。


 見るな。見たらまた意識する。

 レイナルドは慌てて視線を逸らした。


「さっきから挙動不審です」


「ぶっ」


 思わず変な声が出た。マルタは帳簿から目を離さないまま続ける。


「落ち着きがない」


「……誰のせいだと」


「兄上でしょう」


「そこは断定なんですね」


「事実なので」


 あっさりしている。レイナルドは額を押さえた。


「あなたは平気なんですか……」


「何がです」


「その、朝の……」


 言葉が濁る。マルタはそこでようやく顔を上げた。

 灰色の目がまっすぐこちらを見る。


「兄上の冗談です」


「冗談にしては破壊力が高すぎません?」


「兄上なので」


 万能すぎる理由だ。

 マルタは少しだけため息をついた。


「あの人、すぐ面白がって引っ掻き回しますから」


「それは何となく分かってきました」


「嫌ですか、ああいうの」


 その聞き方が妙に真面目で、レイナルドは一瞬詰まった。

 嫌か、と問われると困る。嫌というより、心臓に悪い。あと、自分なんかが、と真っ先に思ってしまう。

 伯爵令嬢。靴職人。真っ直ぐで、強くて、迷わない人。


 対して自分は。


 逃げてきたばかりで、何者にもなれていない男だ。


「……僕は」


 喉が少し引っかかる。


「僕は、別に……嫌とかじゃなくて」


 言葉を探す。


「その、あなたは……いいんですか」


「何が」


「……ああいう風に言われて」


 マルタが瞬く。数秒、沈黙。


「私は嫌なら嫌と言います」


「……」


「嫌ではありません」


 さらりと言われる。だがその瞬間、マルタ自身がはっとしたように口を閉ざした。


 耳が赤い。

 今度こそはっきり分かるくらい。


 レイナルドの胸がどくりと跳ねた。

 何だそれは。そんな顔をされると困る。困るのに。

 嬉しいと思ってしまった自分がもっと困る。


 馬車が大きく揺れた。


「……着きました」


 マルタがやや早口で言った。逃げるように帳簿を閉じる。

 レイナルドは慌てて立ち上がった。工房へ入ると、革と油の匂いが鼻をくすぐった。

 いつもの空気なのに、今日は妙に落ち着かない。


「とりあえず先ほどのやつに着替えては?」


「あ、そういえば」


「私はやることがあるので」


 作業台に向かうマルタと別れ、奥の部屋に向かう。離れたことですこし落ち着いてきた。

 すこし気恥ずかしいがお揃いの作業着に着替え、部屋を出る。


「こちら運んでください」


「あ、はい」


 早速指示がマルタから飛んできて、レイナルドは言われるまま木箱を抱えた。

 重い。


「結構ありますね……」


「金具です」


「全部?」


「全部です」


 容赦がない。

 だが身体を動かしている方が余計なことを考えずに済む。

 レイナルドは黙々と荷を運んだ。


 棚へ革を並べ、道具を整理し、注文票を束ねる。気づけば自然とマルタの補助をしていた。


「そこの糸」


「これですか」


「はい」


「次、釘」


「はい」


 返事まで自然になってきた頃。

 からん、と工房の扉が開いた。


「きたよ、マルタちゃん」


 顔なじみらしい配達人の女が笑いながら入ってきて、レイナルドを見るなり目を見開いた。

 

「おや??こっちは?」


「助手です」


「へー、こらいい男」


 ばんばん肩を叩かれる。痛い。だが悪意はない。

 女はそのままマルタへ視線を向けた。


「こんな顔のいい男、工房に置いといたら客増えるんじゃないかい?」


「増えません」


「増えるって!」


 豪快に笑われる。

 レイナルドは反応に困って固まった。すると女は面白そうに目を細めた。


「まあでもお相手がいるならみんな引くか」


「お相手?」


「はは、野暮なことを言ったねぇ」


 そう言って、女は荷物を置いて去っていく。

 扉が閉まったあと。


 レイナルドはしばらく動けなかった。


「……いい男」


「言ってましたね」


 マルタは革を裁断しながら頷く。


「前より自然に振る舞えてますよ」


「自然……」


 じわじわ実感が遅れてくる。レオンと特訓した歩き方に座り方、振る舞い。全部無駄じゃなかったのかもしれない。

 そう思った瞬間、胸の奥が少し熱くなった。


 マルタがちらりとこちらを見る。


「嬉しそうですね」


「……少し」


「そうですか」


 口調は淡々としている。だがその声は、どこか柔らかかった。

 マルタは再び作業へ戻っていく。革を裁ち、木型を確かめ、迷いなく手を動かして。

 レイナルドも自然と隣へ戻った。


「次、何します?」


「その釘箱取ってください」


「はい」


 気づけば、さっきまでのぎこちなさが少し薄れている。

 仕事をしている時のマルタは変わらない。余計な気遣いをしないし、必要以上に触れてこない。 けれど当然みたいに隣へ立たせる。

 その距離感が、妙に心地よかった。


 工房の窓から春の陽が差し込む。


 革の匂いと金槌の音に、時折交わされる短いやり取り。ほんの少し前までは知らなかった場所だ。

 なのに。


「……」


 もしここへ戻れなくなったら、と不意に考えてしまった。グランヴィル家へ連れ戻されたら、またレイラとして閉じ込められたら?

 アルノー家の騒がしい食卓も、レオンの胡散臭い笑顔も、エレノアの世話焼きも、ヴァンスの不器用な歓迎も。そしてこの工房での時間も。


 全部なくなる。


 その想像に、胸の奥がひやりと冷えた。


「……レイナルド?」


 気づけばマルタがこちらを見ていた。


「手、止まってます」


「あ、すみません」


 慌てて釘箱を持ち直す。

 マルタは数秒こちらを見ていたが、また手元に目を移す。


「あなたがいると早いですね」


 ぽつりとそう言った。

 レイナルドは瞬く。


「え」


「兄上より役に立ちます」


「比較対象がひどい」


「事実です」


 真顔だった。

 思わず吹き出す。するとマルタの口元もほんの少し緩んだ。


 その瞬間。

 ここにいたい、と強く思った。


 工房の空気も、このやり取りも、名前を呼ばれることも。


 失いたくない。


 その感情があまりに自然に胸へ落ちてきて、レイナルドは少しだけ息を呑んだ。








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