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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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19/30

19



 仕立て店を出る頃には、レイナルドの精神はすっかり擦り減っていた。


 両腕には包み。

 紹介状を見せるたびに店員は妙に親切。

 どこへ行っても「お話は聞いております」の笑顔。


 こっちこそ聞きたいと言いたい。


 帰りの馬車に乗り込んだ瞬間、レイナルドは座席に沈み込んだ。


「……疲れた……」


「半日しか出ていませんが」


 向かいでマルタが涼しい顔をしている。


「精神が疲れたんです」


「何に」


「全部に」


 全部に、である。


 エスコートの実地訓練だけでも手一杯なのに、その上アルノー家の謎の根回しが街じゅうに広がっていたのだ。平然としていられる方がおかしい。


 マルタは買った革紐の包みを膝に置きながら首を傾げた。


「そんなに気にすることですか」


「気にしますよ!」


 思わず身を起こす。


「帽子店でも手袋店でも菓子店でも仕立て店でも、みんな僕のこと知ってたじゃないですか!」


「そうですね」


「そうですねじゃなくて!」


「アルノー家の客人ですし」


「客人の共有範囲が広すぎる!」


 レイナルドが半ば悲鳴を上げると、マルタは少し考え込むように視線を泳がせた。


「……母上は喋りますから」


「知ってます!」


「兄上も喋ります」


「それも知ってます!」


「父上も一応手を回します」


「全員じゃないですか!!」


 ついに叫んだ。


 馬車の中に沈黙が落ちる。


 マルタはぱちりと瞬き、それから淡々と結論づけた。


「それが我が家ですね」


「その一言で片づけないでくださいよ!」


 本当にこの兄妹は人を脱力させる天才だ。


 レイナルドは額を押さえた。

 怒っているのか困っているのか、自分でもよく分からない。だが確実に振り回されている。


「……何か」


「はい」


「僕の知らないところで、すごく変なことになってません?」


 恐る恐る問う。

 マルタは数秒黙り、それからさらりと言った。


「変なこととは」


「その、周囲の反応が」


「親切でした」


「親切すぎるんです!」


 話が通じない。

 レイナルドは深々と座席に沈み直した。


 駄目だ。この人は本気で何もおかしいと思っていない。その無自覚さが一番怖い。


 馬車が屋敷の門をくぐる頃には、もう抵抗する気力もなくなっていた。





     ◇◇◇





 玄関ホールへ入った途端、待ち構えていたようにエレノアが駆け寄ってきた。


「おかえりなさーい!どうだった?」


「……何がですか」


「街の反応」


 にっこりするエレノアに、レイナルドの頬が引きつる。


「色々…色々と、ご存知の様子でした」


「あら、少しお茶会でお話しただけよ?」


「少しの規模じゃなかったですけど…!?」


「王都の奥様方の情報網を甘く見ちゃ駄目」


 駄目なのはそこではない。


 エレノアは楽しそうに笑いながら、レイナルドの持つ包みを使用人へ渡させ、居間へと連れだっていった。



 紅茶の香りが広がり、奥にはヴァンスが新聞を読んでいる。帰宅の挨拶をした後、それぞれが腰を下ろした。

 改めて、というようにエレノアは笑みを携えたまま前のめりに話し出す。

 

「皆さん好意的だったでしょう?」


「それは……はい……」


 悔しいが否定できない。


 どの店も妙に親切だった。好奇心は感じたが、露骨な悪意はなかった。


 エレノアは満足げに頷く。


「ならよかったわ」


「よかったわ、じゃなくて」


「グランヴィル家の変な噂が先に回るより、こちらで先に“印象”を作っておいた方が安心でしょう?」


 レイナルドは口を閉じた。


「……印象」


「ええ。アルノー家が面倒を見ている、素性の確かな青年。そう思ってもらえれば、変な詮索も減るもの」


 軽い口調だが、中身は存外ちゃんとしていた。


 ちゃんとしているから困る。善意の根回しだ。


「母上は昔からこういうの得意なんだよ」


 扉からレオンがひょいと現れ、空いた椅子に腰を下ろした。


「社交界の噂は放っておくと好き勝手育つからねえ。育てたい方向に先に水を撒く」


「水撒くって」


「今日はなかなか効いたみたいだね」


 絶対この人も面白がっている。


 レイナルドがじとりと睨むと、レオンはニコニコしながら肩をすくめた。


「何にせよ、君一人で歩くよりずっと安全になったよ」


「……安全」


「そう。今日君を見た人間は『アルノー家の青年』として記憶する」


 硝子の靴の娘ではなく。


 その言葉に、レイナルドは少しだけ息を呑んだ。


 確かにそうだ。

 長い金髪のレイラではなく、短髪で上着を着た青年として街を歩いた。しかも隣にはマルタ、周囲にはアルノー家の紹介。


 昨日までとは違う形で、自分の姿が王都に刷り込まれていく。


「……」


 嫌では、ない。


 怖いけれど。

 何かが後戻りできなくなっていく感じはするけれど。


 それでも確かに、“消されていく”のは硝子の靴の娘の方だった。


 レイナルドが黙り込むと、エレノアがにこにこと頬に手を当てた。


「うふふ、並んで歩くと本当に絵になるわねえ」


「母上」


 マルタが低く止める。


「余計な感想は不要です」


「余計じゃないわよぉ。素敵なものは素敵って言わなきゃ」


「っ!」


 レイナルドが真っ赤になって黙る。

 エレノアは楽しそうに笑い、レオンも吹き出した。


 ヴァンスは新聞を広げたまま、ぼそりと低く言った。


「まあ、悪くない」


「アルノー伯まで….」


 レイナルドは思わず声を裏返らせた。

 何が悪くないのか。聞かなくても何となく察せてしまうのが嫌だ。


 助けを求めるように隣を見る。


 するとマルタは、使用人から受け取った紅茶に口をつけるふりをしていたが──耳がほんのり赤い。


「……」


 一瞬、レイナルドの思考が止まった。


 赤い。

 この無愛想で、平然としていて、市場で値切り交渉をしているような女が。

 今、確かに照れている。


 その事実に気づいた瞬間、胸の奥がどく、と妙な音を立てた。さっきまでの“からかわれて恥ずかしい”とは違う熱が、一気に顔まで駆け上がる。


(え、いや、何で)


 慌てて視線を逸らす。


 意味が分からない。

 いや、分かりたくない。


 母親にお似合いだの何だの言われて困っているのは自分だけで、マルタはいつも通り鬱陶しそうに流しているものだと思っていたのに。


 耳だけ赤いなんて反則だろう。


「……暑いんですか」


 気づけばそんな間抜けな言葉が口をついていた。言った瞬間、自分で何を聞いているんだと後悔する。


 マルタがゆっくりこちらを向いた。


「は?」


「い、いやその……」


「暑くありませんが」


 真顔で返される。だが赤い耳はそのままだ。


 レイナルドの心臓が余計に跳ねた。

 見なかったことにしたいのに、見つけてしまったものは消えてくれない。


「あらまあ」


 エレノアが面白そうに目を細める。


「何だか初々しいわねえ」


「母上」


「黙ります」


 全然黙る気のない顔でエレノアは焼き菓子を摘まんだ。

 レイナルドはもう紅茶の味も分からない。


 居心地が悪い。

 だが、隣が気になって仕方ない。


 ちら、と横目で見ればマルタは相変わらず無表情を装っている。なのに耳だけが赤いまま。


(本当に何なんだ……)


 落ち着かない。

 胸のあたりが妙にそわそわして、椅子に座っているだけで疲れる。


 レオンはそんな二人を見比べて、にこにこと実に楽しそうだった。


「さて」


 ぱん、と軽く手を打つ。


「本日の任務は終了かな」


「任務?」


「市場への買い出し、エスコート練習、社交的な接触の実践」


「そんな名目だったんですかあれ」


「成果は上々」


 どこが、と言い返したかったが、レオンの笑顔が胡散臭すぎて飲み込んだ。


 エレノアも満足そうに頷く。


「ええ、本当に。とても絵になっていたわ」


「母上」


「はいはい」


 マルタの低い声にもまるで堪えていない。


 ヴァンスだけは新聞をめくりながら淡々と言った。


「明日も続ければいい」


「父上まで増やさないでください」


「必要だろう」


 必要なのだろうか。

 レイナルドは疑問符を頭に浮かべたが、もう何を言ってもこの家では既定路線で進むのだと理解してきた。


「今日はこれで解散にしましょうか」


 レオンが立ち上がる。


「レイナルドくんも顔が真っ赤だし」


「誰のせいですか……」


「私かな」


「自覚あるんですね」


「もちろん」


 にこやかに返されても腹が立つだけである。使用人が食器を下げ始め、自然と席が崩れた。

 レイナルドも逃げるように立ち上がる。


「じゃ、じゃあ僕、部屋に……」


「送ります」


 マルタが即座に言った。


「え」


「途中で母上に捕まるので」


「確かに捕まえるわ」


「ほら」


 何がほらなのか。

 だがエレノアならやりかねないので、レイナルドは素直に頷いた。


「……お願いします」


 その返事にマルタは短く頷き、さっさと扉へ向かう。レイナルドは慌てて後を追った。


 背後からエレノアの弾んだ声が飛ぶ。


「おやすみなさい、二人ともー」


「母上!」


「はいはい」


 レオンの笑い声まで混じる。逃げるように扉が閉まった。




    ◇◇◇





 廊下はしんとしていた。


 応接間の喧騒が嘘みたいに静かで、二人分の足音だけが絨毯に吸い込まれていく。並んで歩きながら、レイナルドは何となく口を開けないでいた。


 何を話せばいいのか分からない。

 さっき耳が赤かったことが頭から離れない。


 ちら、と横を見る。マルタは前を向いたまま歩いている。いつもの無愛想な横顔だ。


 だが。


「……」


 やっぱり少し耳が赤い気がする。


 どく、とまた心臓が跳ねた。見なければいいのに見てしまう。


「何ですか」


 突然言われてレイナルドは飛び上がりそうになった。


「み、見てません」


「見てました」


「……」


 否定できない。

 気まずさに視線を泳がせると、マルタは少しだけ息を吐いた。


「家族が騒がしくてすみません」


「い、いや……」


 謝られるとは思わなかった。


「その、僕も……」


 何と言えばいいのか分からず、言葉が詰まる。


 騒がしかった。

 恥ずかしかった。

 疲れた。


 でも。


「……嫌では、なかったです」


 ぽつりと出た本音に、自分で驚く。

 マルタが足を止めた。


「え」


「いや、その、すごく疲れましたけど……何か」


 うまくまとまらない。

 けれど今日一日、笑われて、からかわれて、振り回されて、緊張して。なのにグランヴィル家にいた頃みたいな息苦しさとは違った。

 ちゃんとそこにいていいものとして扱われる騒がしさだった。


「……変な感じで」


 そこまで言うと、マルタはじっとこちらを見た。そしてほんの少しだけ、口元を緩める。


「そうですか」


 それだけ。それだけなのに。


 レイナルドの胸がまた変な跳ね方をした。


 笑った。

 今、この人、笑った。


 思わず見惚れてしまい、慌てて目を逸らす。


「……部屋、ここです」


「は、はい」


 客室の前で止まる。

 だがすぐに扉を開ける気になれず、二人して何となく立ち尽くした。沈黙が落ちる。


 先に口を開いたのはレイナルドだった。


「……あの」


「はい」


「今日は、その……ありがとうございました」


 市場でも。帰ってきてからも。何だか色々と。

 全部を一言に押し込めると、マルタは一瞬だけ目を丸くした。それから静かに頷く。


「どういたしまして」


 また少し耳が赤い。

 それを見てしまって、レイナルドはもう駄目だった。


「お、おやすみなさい!」


 ほとんど逃げるように部屋へ飛び込むと扉を閉め、背中を預ける。


「……何なんだよもう」


 胸がうるさい。

 市場で腕を組まされた時より、家族に散々からかわれた時より、今の方がよほど落ち着かない。


 耳が赤いだの、少し笑っただの、そんなことでこんなに振り回されるなんて。


 レイナルドは額を押さえ、そのままずるずるしゃがみこんだ。


 しばらく誰にも顔を見せたくない。いや、多分一番見せたくないのはマルタだ。


 そう思うのに──また明日も顔を合わせるのだと思うと、妙に胸の奥がくすぐったかった。





    ◇◇◇





 客室の扉が閉まる音を聞いてから、マルタはようやく息を吐いた。



「……母上、やりすぎです」


 応接間へ戻るなり低く言うと、エレノアは涼しい顔で焼き菓子を摘まんでいる。


「あら、何が?」


「店にまで話を回す必要ありました?」


「必要大ありよ。外堀は埋められるうちに埋めるもの」


「だからその言い方を」


 ぴしゃりと返しかけて、途中で止まる。頭に浮かぶのは、さっきのレイナルドの顔だ。

 真っ赤になって、困りきって、それでも最後にこちらを見て言った。


 ──嫌では、なかったです。


 思い出した瞬間、自覚したくもない熱がまた耳に戻る。


「……」


「まあ」


 レオンがにやにや笑う。


「これはこれは」


「兄上、黙ってください」


「何も言ってないよ?」


「顔がうるさいです」


 レオンの笑いが深くなる。ヴァンスは新聞の陰からぼそりと呟いた。


「分かりやすい」


「父上まで黙ってください」


 語気がどうしても強くなる。


 エレノアはとうとう声を上げて笑った。マルタは紅茶を一気に飲み干し、乱暴に立ち上がる。


「……工房行ってきます」


「もう夕方よ?」


「革でも見ます」


 逃げるように部屋を出ながら、マルタは内心小さく舌打ちした。


 どうして今さら、あんな顔をするのか。どうして自分が、あんな一言で動揺しなければならないのか。


 全く面倒だ。実に、面倒だ。


 ──なのに嫌ではない自分が、もっと面倒だった。




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