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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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17/30

17

 

 レイナルドは朝から遠い目をしていた。


 なぜなら昨日の時点で、今日の予定が「社交界の青年らしい会話と女性へのエスコート実践」と宣告されていたからである。


 逃げたい。


 心の底から逃げたい。


 だが朝食の席で向かいに座るレオンは、今日も爽やかな笑顔だった。つまり逃げ道はない。


「はい、坊ちゃん再教育二日目」


「その呼び方やめません?」


「気に入ってるんだけどなあ」


「僕は気に入ってません」


「知ってる」


 にこやかに流される。


 隣でマルタが淡々とスープを飲んでいるのが恨めしい。助ける気はゼロらしい。


「まずは会話」


 食後、応接間へ連行されるなりレオンが言った。


「会話?」


「うん。貴族の青年は初対面の婦人や令嬢に話しかける機会が多い」


「話しかけたくないです」


「でも向こうから来る」


「もっと嫌だ」


「諦めて」


 レオンは楽しそうに椅子へ腰掛けた。


「では想定。君は夜会で令嬢に話しかけられました。『まあ、素敵なお召し物ですこと』と言われました。返事は?」


 レイナルドは瞬く。


「……ありがとうございます?」


「硬い。接客してる店員みたい」


「知らない女性と何を話せと」


「褒め返す」


「無理です」


「即答だねえ」


 レオンはくすくす笑う。


「相手の装いを褒める。天気の話をする。最近の催しを話題にする。難しければ相手に喋らせる」


「高度すぎません?」


「社交ってそういうもの」


 嫌な世界だ、とレイナルドは本気で思った。


「じゃあ次。『今夜はよいお天気ですわね』」


「……そうですね」


「終わった」


「終わりましたね」


「会話を続けて」


「無茶言わないでください!」


 何度かやらされるが惨敗だった。


 返事が短い。視線が泳ぐ。褒め言葉が棒読み。挙げ句の果てには、


『まあ、お上手に踊られるのね』


「いえそんな」


「そこで否定するな!会話が閉じる!」


「だって踊れてないですし!」


「社交辞令!」


「難しい!」


 レイナルドは頭を抱えた。

 レオンは腹を抱えて笑っている。


「いやあ、これは磨き甲斐がある」


「磨かれたくない……」


「無理」


 ばっさり切られた。





     ◇◇◇





「では後半」


 その一言で嫌な予感が倍増する。


 場所は音楽室だった。中央には昨日と同じようにマルタが立っている。


 今日は淡い色の簡素なドレス姿で、手袋までしていた。


「……何ですかその格好」


「練習台です」


 マルタが即答する。


「君は今日、女性をエスコートする側を覚える」


 レオンが背後から肩を叩いた。


「馬車への乗せ方、椅子の引き方、階段の補助、そしてダンスへの導入」


「一日でやる量じゃないでしょう」


「大丈夫、死なない」


「精神が死にます」


 無視された。


「まずは手を差し出して」


 マルタが目の前に立つ。

 レイナルドはおずおずと右手を出した。


「違う」


 レオンの駄目出しが飛ぶ。


「何が!?」


「おそるおそる差し出すな。毒でもあるみたいだ」


「毒はないですけど緊張はしますよ!」


「堂々と」


 もう一度。少し意識して手を出す。


 マルタがその手に自分の指先を乗せた。その瞬間、レイナルドの肩が跳ねる。


「固い」


 マルタが言う。


「誰のせいだと……!」


「女性に触れるたび跳ねてたら不審です」


「知ってます!」


 知っているが身体がついていかない。


「次、歩く」


「手を繋いだまま?」


「エスコートですから」


 そうだった。


 レイナルドはぎくしゃくと歩き出す。二歩で自分だけ先に進んでしまう。


「置いていってます」


「えっ」


「女性の歩幅見て」


「そんな余裕ないです!」


「持ってください」


 無茶を言う。


 再挑戦。今度は合わせようとしすぎて妙に遅い。


「今度は介護」


「加減が分からない!」


 レオンの笑い声が遠慮なく響く。


「いいねえ、実に不格好だ」


「褒めてないですよね!?」


「もちろん」


 分かっていた。





     ◇◇◇





「次、椅子」


 椅子が一脚置かれる。


「女性が座る時、さりげなく引く」


「さりげなく?」


「さりげなく」


 無理難題である。

 レイナルドはマルタの後ろへ回り、椅子を引いた。勢いがつきすぎて椅子がごとっと鳴る。


「乱暴」


「すみません」


「謝らない」


「えぇ……」


 再度。今度は慎重にやりすぎてタイミングがずれる。


 マルタが座れずに中腰で止まった。


「気まずいです」


「僕だって気まずいですよ!」


「息を合わせて」


「そんな簡単に言う……」


 額に汗が滲む。


 たかが椅子、されど椅子。今まで座らせてもらう側だった人間にとって、座らせる側は予想以上に難しい。





     ◇◇◇





「最後、ダンス前の誘導」


 これが一番嫌だった。


 音楽室の中央。レオンが楽しそうに腕を組んでいる。


「女性の前へ立ち、手を差し出し、一言」


「一言?」


「踊っていただけますか、とか。君と踊りたい、とか」


「無理です」


「やる」


 即答である。

 レイナルドは半泣きでマルタの前に立った。

 マルタはいつもの無表情でこちらを見る。その無表情が余計に緊張する。


「……手」


「はい……」


 差し出す。

 昨日よりはましに見える、たぶん。


「で、一言」


「……」


 喉が詰まる。


 何だこれ。何でこんなに恥ずかしいんだ。

 ただ踊りに誘うだけなのに、妙に胸のあたりが落ち着かない。


「早く」


 マルタが淡々と急かす。


「急かさないでください!」


「時間の無駄です」


「冷たい!」


 レオンが後ろで肩を震わせているのが腹立たしい。

 観念して、レイナルドは息を吸った。


「……お、踊って、いただけますか」


 言った瞬間、耳まで熱くなる。

 終わった。穴があったら入りたい。


 だがマルタは数秒その顔を見て─


「まあ及第点です」


「及第点!?」


「噛まなかったので」


「基準低いな!」


「昨日のあなたよりは進歩してます」


 さらりと言われる。

 レイナルドは呆れたように息を吐き、それから少しだけ肩の力を抜いた。

 確かに昨日よりは、ほんの少しだけましだ。


 するとレオンが満足げに頷く。


「うんうん。では本日の仕上げにもう数十回繰り返そうか」


「え」


「今の台詞」


「え?」


「手の差し出しから誘い文句まで」


「えええ!?」


 悲鳴が音楽室に響き渡った。


 だがアルノー兄妹は誰一人助けてくれない。


 その後レイナルドは顔を真っ赤にしながら何度も手を差し出し、何度も言い直させられ、何度もマルタに「棒読みです」「目が泳いでます」「今のは尋問」と駄目出しを受ける羽目になった。


 夕方にはもう魂が半分抜けていたが─


 最後の一回だけ。


 差し出した手にマルタが自然に指を乗せた瞬間、昨日よりまともに息ができている自分に気づく。


「……」


「何ですか」


「いや……」


「……できた」


 思わず呟く。

 マルタも足を止め、こちらを見上げた。


「今のはまあまあです」


「まあまあ……」


「初日にしては」


 珍しく少しだけ評価が甘い。

 そのことが妙に嬉しくて、レイナルドはへろへろになりながらも口元を緩めた。


「それ、褒めてます?」


「褒めてます」


「へえ」


「何ですか」


「いや、あなたに褒められると案外嬉しいなと」


 言った瞬間、マルタがぴたりと黙った。灰色の目がわずかに見開かれる。

 しまった、とレイナルドも一拍遅れて気づく。何を素直に口にしているんだ自分は。


「……別に深い意味は」


「ふぅん」


 壁際から、にやにやした声が飛んだ。

 二人同時に振り向く。

 レオンが腕を組み、実に楽しそうな顔でこちらを眺めていた。


「実に順調だねえ」


「何がですか」


 レイナルドが即座に胡乱げな顔をすると、レオンは意味ありげに肩をすくめた。


「坊ちゃん再教育も、妹の機嫌も」


「兄上」


 マルタの声が低くなる。

 だがレオンは気にしない。


「うん、決めた」


「何を」


「明日は実地訓練にしよう」


 レイナルドが眉をひそめる。


「……実地?」


「屋敷の中で歩けても意味がない。街へ出て、人前で、自然にマルタをエスコートできるか確認しないとね」


「は!?」


「ついでに服も見よう。店にも寄ろう。馴染みの人間にも会わせよう」


「待ってください何か増えてません!?」


「気のせい気のせい」


「絶対気のせいじゃない!」


 レオンはにこにこしたまま手を振る。


「じゃ、今日はここまで。二人ともよく頑張りました」


「勝手に締めないでください!」


「兄上が楽しそうで腹立ちます」


「褒め言葉として受け取っておくよ」


 そのままひらひら去っていく。

 残されたレイナルドはげんなりしながら隣を見た。


「……嫌な予感しかしないんですが」


「奇遇ですね」


 マルタも真顔で頷く。


「私もです」


 そこ一致するんだ、と思わず吹き出しそうになる。だがその笑いの奥で、明日という単語が妙に引っかかった。

 街へ出る。マルタと並んで。人前で。

 レイナルドは自分でも理由の分からない落ち着かなさを抱えたまま、小さく息を吐いた。

 



 

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