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ガラスの靴をご所望ですか?  作者: 夢幻
ガラスの靴はもういらない

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16/30

16

 レイナルドは朝食の席についた瞬間から嫌な予感がしていた。

 伯爵夫妻は朝から出掛けているという。そんな中、向かいに座るレオン妙に爽やかな笑顔を浮かべていたからである。こういう時のこの男は大抵ろくでもないのは分かってきた。


「さて」


 案の定、食後の紅茶を置いたところでレオンがぱん、と手を打った。


「坊ちゃん再教育の時間だ」


 レイナルドの手が止まる。


「……本当にやるんですか」


「当然」


 にこやかに即答された。


「昨日市場で何て言われたか忘れた?」


 思い出したくもない記憶が蘇る。

 ──女々しい兄ちゃん。

 レイナルドはそっと顔を覆った。


「忘れたいです……」


「忘れさせません」


 横からマルタが無情に言う。


「目立ってました」


「二人して容赦ないですね!?」


「だって本当に目立っていたんだもの」


 レオンは肩をすくめて立ち上がった。


「グランヴィル家がまだ硝子の靴の娘を探している以上、あの癖は早急に消さないといけない。ほら、立って」


「嫌な予感しかしないんですが」


「正解」


 正解しても困る。

 だが逃げられる空気でもなく、レイナルドは渋々席を立った。





    ◇◇◇




「まずは歩き方」


 レオンが腕を組む前、広い廊下の端に立たされる。


「向こうまで歩いてみて」


「歩くだけですよね?」


「歩くだけだよ」


 それなら何とかなるだろうと、レイナルドは普通に歩き出した。

 三歩で止められた。 


「駄目」


「早い!」


「歩幅が狭い。つま先から出てる。肩が閉じてる。あと腰が引けてる」

 

 隣でマルタまで頷いた。


「昨日も思いましたが、足運びが完全に女です」


「えっ」


 レイナルドは反射的に自分の足元を見た。


「そんなに……?」


「そんなに」

「そんなに」


 兄妹揃って即答した。


 少し傷つく。


「8年染みついたものはそう簡単には抜けないよ」


 レオンは面白そうに腕を組む。


「グランヴィル家が探してるのは硝子の靴の娘。髪を切っただけじゃ安心できない。少なくとも見た目も動きも『青年』にしないと」


 正論すぎて言い返せない。

 レイナルドは渋々背筋を伸ばした。観念して歩き出す。


 だがまた数歩進んだところで、レオンが即座に手を叩いた。


「はい駄目ー」


「早い!」


「さっきも言ったけど肩がすぼんでて、肘が身体に寄りすぎ。目線が低い」


「そんな一気に言われても!」


「あとなんか遠慮して歩いてる」


「歩き方に遠慮とかありますか!?」


「あるよ。君は『通ってもいいですか』って歩き方してる」


 意味が分からない。

 しかしマルタまで腕を組んでじっと観察している。


「確かに」


「確かにじゃない」


「道の真ん中を歩く意識で」


「急に偉そうにしろってことですか」


「貴族の男は大体偉そうです」


「偏見」


「事実です」


 偏見ではなかったらしい。

 何度か往復させられるうちに、レイナルドはだんだん自棄になってきた。


 肩を開き、歩幅を広げ、なるべく堂々と。


 するとレオンがにんまりする。


「お、少しマシ」


「少し……」


「まだ『男になりたて』感あるけど」


「褒めてないですよね?」


「勿論」


 ぐったりしたところで、次は椅子が運ばれてきた。

 嫌な予感しかしない。


「座り方」


「まだあるんですか」


「あるに決まってるだろう」


 レオンは優雅に椅子へ腰掛けてみせる。


「男は膝を閉じすぎない。背もたれに変に縮こまらない」


 レイナルドも真似をする。が。


「窮屈そう」


 マルタが目を細めて言う。


「借りてきた猫みたい」


 レオンがにやつきながら言う。


「……」


 やめたい。

 本気でやめたい。


「次、物を取る所作」


「まだ!?」


「次、使用人への指示」


「えぇ……」


「次、エスコート」


「もう勘弁してください!」


 悲鳴は誰にも届かなかった。






 そして午後。

 とうとう音楽室へ連行される。


「何でこんな本格的なんですか」


「ダンスは貴族の基本だからね」


 レオンは軽やかに肩をすくめた。

 中央ではマルタが待っている。


 今日は珍しく簡素なドレス姿で、いかにも練習用という感じだ。


「男側を覚えてください」


「女側しか知らないんですけど……」


「知ってるだけマシです」


 確かにゼロよりはマシかもしれないが、問題はそこではない。

 手を取る位置。腰へ回す距離。踏み出す足。

 全部がぎこちない。


「近いです」


「これ以上離れたら踊れません!」


「では遠いです」


「どっち」


「リードしてください」


「無理です!」


 音楽もないのに開始三十秒で足がもつれた。

 マルタの靴先を思いきり踏む。


「痛っ」


「す、すみません!」


「謝る前に立て直してください」


「できませんよ!」


 レオンが壁際で腹を抱えて笑っている。


「これはひどい」


「笑ってないで助けてください!」


「いやあ期待以上だ」


 期待しないでほしい。

 レイナルドはマルタと再び組み直す。


 右、左、ターン。


 頭では分かる。だが身体が勝手に“受ける側”の動きをしようとする。導くより先に導かれようとしてしまうのだ。

 何度目かの失敗のあと、レイナルドはついにその場にへたり込んだ。


「……無理」


「無理ではありません」


 マルタが息一つ乱さず見下ろしてくる。


「8年分です。今日で何とかなるとは思ってません」


「慰めになってない……」


 レイナルドは膝を抱えた。

 男に戻ったつもりでいた。髪を切って、服を変えて、名前を呼ばれて。

 それで終わりだと思いたかった。


 でも違う。


 歩き方も、座り方も、手の差し出し方も、踊り方も。身体の隅々にレイラが染みついている。


 レイナルドは顔を伏せた。


「……僕、全然戻れてないんだな」


 ぽつりと落ちた声に、部屋が少し静かになる。


 レオンも笑うのをやめた。


 マルタはしばらく黙り、それからレイナルドの前にしゃがみこんだ。


「戻る必要あります?」


「え」


「昔の少年に、という意味なら」


 灰色の目がまっすぐこちらを見る。


「別にあの頃のままになる必要はないでしょう」


 レイナルドは瞬く。


「でも……」


「あなたはあなたです」


 簡単に言う。

 まるでそれで十分だとでもいうみたいに。


「男の所作は練習すれば身につきます。踊りもそのうち覚えます」


 そしてマルタはすっと手を差し出した。


「立ってください」


 反射的にその手を取る。

 引かれて立ち上がると、マルタは当然のようにもう一度距離を詰めた。


「もう一回」


「まだやるんですか……」


「当たり前です」


「鬼……」


「はい一歩目」


 半泣きで足を出す。やっぱりぎこちない。

 ぎこちないが、今度は転ばなかった。


 レイナルドが慎重に踏み出すたび、マルタが淡々と修正を入れる。


「右」


「はい」


「近い」


「はい」


「今踏みました」


「すみません!」


 壁際で見ていたレオンが、くくっと喉を鳴らした。


「うん、まあ酷いけどゼロではなくなってきたね」


「酷いは余計です……」


「安心して。今日で歩行、所作、ダンス。で、明日は─」


 嫌な予感がしてレイナルドは顔を上げる。


「……明日は?」


 レオンはにっこり笑った。


「社交界の青年らしい会話と、女性へのエスコート実践かな」


 沈黙。


「…………帰りたい」


「帰る場所は?」


「ないですけど!」


「じゃあ頑張ろう」


 爽やかに切り捨てられた。

 レイナルドが絶望している横で、マルタは平然と頷く。


「必要ですね」


「あなたまで!?」


「舞踏会でぼろを出されても困ります」


「舞踏会!?」


 何でそこまで話が飛ぶのか。

 目を白黒させるレイナルドへ、レオンは楽しそうに片眉を上げた。


「せっかく硝子の靴の娘が消えたんだ。次はちゃんと、別人として社交界に立ってもらわないと」


「……は?」


「面白くなってきたでしょう?」


 全然よく分からない。分からないのに、兄妹はすでに何か企んでいる顔をしている。

 嫌な予感しかしない。


 それでも。

 差し出されたマルタの手を、レイナルドはまだ離せずにいた。




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