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 夜会の喧騒は、潮が引くように遠のいていった。

 庭園を彩った魔導灯が一つ、また一つと消され、夜の静寂がロドキス城を包み込んでいく。レティアを自室までエスコートし、完璧な婚約者としての別れの挨拶を済ませた俺は、重い正装の上着を脱ぎ捨てた。


 鏡に映る自分は、酷く疲れ果てた顔をしていた。

 「恋愛のプロ」? 笑わせるな。今夜の俺は、ただ自分の吐いた甘い台詞の毒に当てられ、窒息しかけていた道化師だ。


「……フェリック。後片付けの様子を見てくる。」


 訝しげな部下の視線を背に、俺は裏階段から夜の庭園へと滑り出した。


────


 飲食ブースの並ぶ一角は、祭りの後の寂寥感に満ちていた。

 他の料理人たちが早々に引き上げる中、一軒のテントだけが、まだ淡い手元灯を灯している。


 そこには、一人で作業台を拭いているテッサの姿があった。

 夜会での緊張が解けたのか、その肩は心なしか、力なく落ちているように見える。俺は足音を殺して近づいた。


「……まだ、片付けていたのか?」


 声をかけると、テッサは小さく肩を跳ねさせ、慌てて振り返った。


「あ、アリアス様!? ……いえ、その、領主様。……こんな時間に、どうして……」


 彼女の顔には、まだ薄っすらと小麦粉がついている。今夜、最高級のドレスを纏い、薔薇の香りを漂わせていたレティアとは、あまりに正反対の姿。だが、俺の心臓を騒がせるのは、紛れもなくこちらの「白」だった。


「……祭りの後片付けまで含めて、状況を見据えるのが、領主としての責任だからな」


「……そう、ですか。お疲れ様です。……あの、今夜は、本当にありがとうございました」


 テッサは作業の手を止め、所在なげに自分の指先を見つめた。


「レティア様、本当に……本当にお綺麗でしたね。あんなに素敵な方と並んでいる領主様を見て、私、なんだか急に恥ずかしくなっちゃって。……私、今夜は場違いだったんじゃないかって」


 彼女の声は、夜風に混じって消えそうなほど細かった。

 

「私なんて、毎日粉にまみれて、手も顔も粉まみれで……。こんなにキラキラした世界に、私が作ったパンがあるのが、なんだか申し訳ないような気がして……」


 その言葉が、俺の胸の奥に溜まっていた澱を、一気に掻き乱した。

 

 今夜、俺が演じた「完璧な婚約者」

 彼女に見せた、あの虚飾に満ちた物語のような光景。

 それが、彼女に自分を卑下させる刃になっていたというのか。


「……テッサ。顔を上げてくれ」


 俺は一歩、彼女との距離を詰めた。

 「恋愛のプロ」としての計算など、もう霧の向こうに消えていた。俺はただ、俺自身の剥き出しの言葉を、彼女に叩きつけたかった。


「……君は、今夜のレティアを見て、自分が劣っていると思ったのか? ……それは間違いだ」


「え……?」


「レティアの紅いドレスも、宝石も、確かに美しい。だが、それは飾られた美しさだ。……俺にとっては、今、君の頬についているその白い粉や、毎日パンを捏ねて、誰かのために尽くしてきたその『姿』の方が、よほど尊い」


 テッサが、驚きに目を見開く。

 

「……俺は、君のその姿が一番好きだ。……いや、その君が作り出す、あの温かい情熱が、この領地で最も価値のあるものだと思っている」


 言い終えてから、自分が何を口にしたのかに気づき、頭に血が上るのを感じた。

 領主が、公式な職人に対して、こんな時間に、二人きりで。

 これは「恋愛のプロ」の失策どころではない。致命的な、本音の漏洩だ。


「……領主、様……?」


 テッサの瞳が、湿り気を帯びて揺れている。

 彼女は、俺の言葉の真意を測りかねているようだった。いや、あまりに真っ直ぐな称賛に、戸惑っているだけかもしれない。


「……聞き流せ。今のは、酒の勢いだ。……今夜は、少し悪酔しすぎて、言葉が滑っただけだ」


 俺は慌てて背を向け、闇の中に逃げ込もうとした。

 背後で、テッサが小さく「……ありがとうございます」と呟くのが聞こえた。


「……私、明日も、もっと美味しいパンを焼きますね。……領主様に、そう言ってもらえたから」


 その声には、先ほどまでの卑屈さはなく、確かな「熱」が宿っていた。


 俺は、彼女に振り返ることなく、足早に城の奥へと消えた。

 冷たい夜風が頬を撫でるが、耳の奥まで熱くなった感覚は一向に引かない。

 

 ……完敗だ。

 

 完璧な「檻」を築いたつもりで、その中に自ら閉じ込められていたのは、俺の方だった。

 彼女の真っ直ぐな微笑みに、俺の積み上げてきた理論も、権力も、すべてが無力化されていく。

 

 俺は執務室に戻り、一人で夜の静寂に身を委ねた。

 口に残る、彼女のパンの熱。そして、つい漏らしてしまった、偽りのない言葉。

 

 俺の夜は、まだまだ、明ける気配を見せず、暗闇に沈んでいってしまうかのようだった。

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