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今宵、ロドキス城の庭園は、無数の魔導灯によって宝石箱をひっくり返したような輝きに包まれていた。
婚約者レティア・フォン・ベルシュタインを迎えるための、ささやかな夜会。名目は「領内の有力者や下級貴族との親睦」だが、実態は王都から訪れた高貴な深窓の令嬢を拝もうとする、俗物たちの品評会に近い。
「……ふふ。やっぱり貴族も庶民も変わりませんわね。ただ飯とただ酒には、見事なまでに群がってきますこと。ねえ、兄様。この中には、噂の『パン屋の娘』を品定めしに来た下卑た視線も混じっているのかしら?」
隣で扇を揺らしながら、ミカーラが楽しげに毒を吐く。ミカーラは今夜、夜空の星々を模して、視線を動かすたびに色彩が変化する魔法の虹彩板を瞳に仕込んでいた。爪には毒々しくも鮮やかな緑のネイルが施されている。
「ミカーラ。その毒ガエルのようなネイルと、怪しく光る瞳……今のお前にとても似合っているな。凶つの魔女の集会にでも紛れ込んだらどうだ?」
「あら、ストーカー貴族の兄様に褒められるなんて、光栄ですわ。……でも、そんなに怖い顔をして周囲を睨まないでくださる? せっかくの監視夜会が台無しですわよ」
ミカーラは俺の胸元に視線を落とし、くすくすと笑う。
「いいか、ミカーラ。テッサやレティアに余計なことは言うなよ。特に、俺の『視察』の頻度についてなどはな」
「ンフフ♪ 分かってますわよ。……さあ、レティア様がお待ちですわ。早くお迎えに行って差し上げたら?」
妹の含み笑いに背中を押されるように、俺は妹の自室へと続く廊下を歩き出した。
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廊下の角を曲がったところで、ちょうど部屋から出てきたレティアと鉢合わせた。
息を呑んだ。
今夜の彼女は、燃えるような紅のドレスを纏っていた。髪には真紅の薔薇があしらわれ、指先にはドレスの色と完璧に調和した紅の装飾に富んだネイルが施されている。その姿は、辺境の夜に降臨したジェネティリスか、あるいはすべての者を虜にするシャラゼリスのようだった。
「アリアス様。お迎えに上がってくださるのを待たずに失礼いたしましたわ」
レティアが優雅に微笑む。俺は瞬時に「恋愛のプロ」としてのスイッチを入れ、完璧な貴族の礼を執った。
「いいや、レティア。君が放つ輝きに、廊下の灯りが恥じらって消えてしまったのかと思ったよ。その紅は、今宵のどの神よりも情熱的で、私の目を眩ませる」
「まあ、お上手ですこと。アリアス様のその唇からは、いつも甘い蜜が溢れ出しますのね」
彼女の指先をとり、恭しく唇を寄せる。皮肉にも、この洗練された所作をこなしている間だけは、俺の胸の内にあるドロドロとした独占欲を隠し通すことができた。
俺は彼女の細い腕をとり、エスコートしながら賑わう庭園へと足を進めた。
────
庭園に出た瞬間、押し寄せるのは社交辞令の嵐だった。
有力な商人、隣領の若き貴族、野心溢れる若手の騎士。彼らは次々と俺たちの前に現れ、型通りの挨拶を並べていく。
「アリアス卿、素晴らしい夜会ですな。レティア様の美しさは、もはや王都の伝説を超えておられる」
「光栄です、レコルド卿。彼女はこの領地の新たな光となってくれました」
俺は完璧な微笑みを貼り付け、淀みない受け答えを繰り返す。視線はレティアを慈しむように向けながらも、俺の意識の半分は、会場の隅に設けられた飲食ブースに向けられていた。
そこには、他の熟練料理人たちのテナントと並んで、白く清潔なエプロンを纏ったテッサとマルザの姿があった。
テッサは一生懸命だった。慣れない貴族たちの場に緊張しながらも、マルザと会話を交わしながら、自分が焼き上げた「特製パン」を、丁寧に、誇りを持って皿に盛り付けている。
(テッサ……。あんなに忙しく立ち働いて。……誰か、彼女に冷たい飲み物でも差し入れろ。奴ら、彼女の姿をジロジロ見ているんじゃないか?)
心中で毒づきながらも、俺はレティアをエスコートし続ける。だが、そんな俺の微かな視線の動きを、レティアが逃すはずもなかった。
「あら。あそこにいらっしゃるのは、テッサ達ではありませんか?」
レティアが嬉しそうに声を上げた。俺は腕を引かれるまま、レティアと共にテッサの元へと歩まされる。
「テッサ! 今夜のパン、とても良い香りですわ。一つ、いただいてもよろしいかしら?」
俺はマルザに軽く挨拶する。そして意識を目に前に戻す。
「あ、レティア様! アリアス様! ……はい、もちろんです! 今夜のために、クランベリーと胡桃を練り込んだ新作をご用意しました!」
テッサが顔を輝かせる。その瞳は純粋な尊敬と喜びで満ちており、俺たちが「婚約者同士」として並んでいることに、何の感情も抱いていないようだった。当たり前だが。
「……美味しいわ。アリアス様、あなたも召し上がって?」
レティアが、小さく千切ったパンを俺の口元に運ぶ。
婚約者同士の、公然たる親愛の情。貴族社会においては、これこそが正しい「正解」の姿。
俺はレティアの意図を汲み取り、彼女の腰に手を添え、至近距離で見つめ合った。
「ああ、素晴らしい味だ。だが、君の微笑みというスパイスが加われば、さらに格別だ」
俺は卒なく、完璧に「愛し合う婚約者」を演じきった。テッサの目の前で。
テッサは、俺達の姿を眩しそうに見つめ、それから本当に嬉しそうに微笑んでいた。
「……本当にお似合いですね。アリアス様とレティア様を見ていると、なんだか物語の絵本を見ているみたいで……私まで幸せな気持ちになります!」
その言葉が、俺の胸に鋭い氷の楔を打ち込んだ。
テッサは微笑んでいる。俺が望んだ「公式な職人」として、俺とレティアの幸せを心から祝福している。
テッサは俺を「高貴で清廉な領主」として敬い、レティアとの仲を喜んでいる。
彼女はこの地に留まり、俺の保護下で安全に暮らしていける。
――だが、これでは……。
テッサにこの「仮面」を見せれば見せるほど、俺の心は漆黒の闇に沈んでいく。
俺がテッサに見せているのは、虚飾に満ちた「恋愛のプロ」としての自分だけだ。本当の俺が、どれほど醜い独占欲に駆られ、どれほどテッサ、君を自分のものだけにしたいと渇望しているか……。
それを知らずに微笑む彼女の純粋さが、今の俺には、どんな毒よりも痛烈に突き刺さった。
「アリアス様? どうかなさいましたか?」
レティアが首を傾げ、覗き込んでくる。その瞳には、すべてを察したような、それでいて優雅な嘲笑が、ほんのわずかに混じっているように見えた。
「いや……何でもない。ただ、今夜の月が、少し明るすぎると感じただけだよ」
俺は再びレティアの腰を引き寄せ、テッサから視線を逸らした。
華やかな夜会の喧騒の中で、俺だけが、自分が作り上げた「完璧な檻」の中で、息が詰まるような孤独に震えていた。
まさに自業自得とは、この事だ。




