第7章 第2話 Irremovable ring of death◇◆
それは、ひときわ賑やかで、そして一方では静かな夜だった。
28管区主神 白椋 千早と、29管区主神 蒼雲 天晴。
二柱の神々は、留守番がてら赤井の神殿で過ごしていた。
赤井とその使徒たちは、夜の見回りや、メグとナズのこしらえた電球の点灯の祝賀の為にモンジャに赴いた筈だ。
白椋と蒼雲の神殿はそれぞれ、赤井の神殿を挟むようにして一つずつ、湖上に浮いている。
なにがしかの現代アートな外観を持つ白と蒼の神殿だが、寝室、書斎など素民の入れない部屋の内装は高級ホテルのスウィートルームのようなスタイリッシュモダンなつくりで、素民を迎える客間、講堂はギリシャ神殿のような内装をしている。
窓の外では、月光がカルーア湖の水を青く染めている。その風景を白椋は何となく目におさめながら、コハクの帰りを待ちわびていた。
モンジャの点灯式に行ったきり、帰ってこないのだ。
『あの子ったら……もう12時よ。寝る時間じゃない。モンジャに迎えに行こうかしら』
『あー眠い眠い。できたー白ちゃん?』
今、蒼雲は白椋の神殿の書斎にちゃっかりと上り込んでいた。
彼らも忙しいのだ。
彼らは27管区時間で一ヶ月後に、担当管区に戻らなくてはならない。
留学期間は約一年、という決まりだ。彼らが元の管区に戻るなり、新たな留学神がやってくる。
『私はもう少し、といったところですよ』
『え、もうできたの? 俺まだ全然できてねーや。早くしねーと瑞希ちゃんに怒られるなー』
慌てる蒼雲を見て、呆れる白椋。
二柱にとって何がそんなに忙しいのかというと、報告書作りだ。
二柱とも、一年間の留学の成果を総括する時期に入って、それぞれ報告書を作成している。
27管区に起こった、恐らくは赤井を中心とする管区全体の異変を白椋、蒼雲ら二柱と現実世界スタッフが分析していた。アガルタは仮想世界でも、一応はお役所だ。
何かにつけて報告書を提出しなければならないのは、構築士にとっては億劫なものである。
構築中と違って、自動レポート作成機能も使えない。地道に分析結果をまとめ、確からしい要因をさぐってゆく。
『白ちゃんも、こんな感じのこと書いた?』
『どれです?』
蒼雲がボードをよこすので、白椋は手を止めて目を通す。
【27管区の異変に対する考察】
1. 初期に起こったバグによって赤井構築士の疑似脳が生脳に近い状態で保たれ、患者と機械的ではなく人間的な信頼関係を築くことに成功した。
2. 赤井構築士との関係が素民たちの心理的安心基地となったこと。
3. 赤井構築士のアトモスフィアのスペクトルは短波長から長波長まで幅広いレンジを持っており、情動に応じて可変であり、A.I.の情動パラメータを広範囲にわたり刺激、共鳴させていたこと。
4. 最初期と第一区画解放時に、素民と患者全員が死の恐怖に晒された結果、患者に生きる(活動)意欲が、A.I.の自立反応がそれぞれ芽生えたこと。
5. 回復基調に転じた患者一人一人が教師となりA.I.に影響を与え、予想不能な、しかし論理性に基づいた行動をとることにより、A.I.にとっての環境情報の多様化が進み、認知学習によって行動が最適化されはじめたこと。
6. 赤井構築士が抱擁方式の祝福を選んだため、素民がアトモスフィアに暴露する機会に恵まれたこと。
7. 患者が基点区画の生活において創意工夫のもとに成功体験を多く積み重ね、疑似的な生きがいを得ることができたこと。
8. 回復基調にある患者は、無意識下で夢を見て記憶の統合をはじめたこと。
『まだ箇条書きですね』
とっくに文章を書き終えようとしていた白椋は、蒼雲が締切に間に合うのか心配しながら返す。しかもまだ、考察がまとまっていないようだ。
『そーなんだよ。これだと赤いのを持ち上げすぎな気もするなー』
この分析だと、赤井ありきということになってしまい、他管区で応用できないという問題に突き当たる。
確かに高次脳の中でも、記憶障害、感情障害に対して赤井の功績は大きい。
彼はニュートラルな存在であり、患者個々に対し無意識的に父性および母性、役割を使い分けている。それが功を奏しているともいえる。
だが、失認、半側空間無視などに対しては奏功が遅いようだった。理由は分からない。
『高次脳の病態は様々です。いくつか、27管区以外でも活用できそうなものはありますよ』
『てか、結局、赤いのの疑似脳に起こったバグの正体って何だったの』
『赤井神がログアウトして、疑似脳を詳しく解析するしかなさそうです』
そして、赤井がログアウトすることは暫くはできそうにない。ログアウトすることによって、再ログインした時にまたバグが起こるかどうかわからないからだ。
『んー』
蒼雲はのけぞってそのまま宙に浮かび、ひゅるりと中空でとんぼがえりをうった。
深刻な考え事をするとき、浮かんだ方が色々と捗るのは蒼雲の癖らしいが、気付いているのは白椋だけだ。
『まずさー、1の段階から躓くんだよなあ。てかこれできる構築士いんの?』
この一年。白椋も蒼雲も、時間を追うにつれ赤井はアガルタ世界に精神を適応させているように見えた。二柱とも、最初はそれを羨やんだ。
どうにかそのバグを自分たちの管区で再現できないかと。
だが、そのバグに深刻な問題が潜んでいると気付いたのは、留学期間を半年も過ぎた頃からだった。
『感情抑制のかかっていない状態で、あれほど主神を演じられる人間はいないでしょうね。彼の演技は完全に芝居なのではなく、ある程度、自分を神だと信じ込んで役柄にはまりこんでいる……そんな状態にあります』
『赤いのは、もう殆ど自分を神だとでも思ってるんじゃないの?』
それなんですよ、と白椋は言う。
『彼が現実に戻って社会生活に適応できるのか心配です。千年王国の維持士のようにならなければよいのですが』
アガルタの中は現実感がなさすぎる、というのが問題として指摘され続けている。
極端な例でいくと、千年王国の維持士、キリスト役を演じる青年はもうすっかり現実世界には興味をなくしてしまったと白椋は聞いた。
彼にとっての現実は仮想世界の中にあり、現実世界で莫大な財産を築きあげたとて、興味も示さないのだ。疑似脳の制御があって、その状態である。
制御がなければどうなる?
救いを求める民がいる限り、維持士は仮想世界から出られない。また、出たがらない。
白椋は思う。
今、彼の心の何パーセントが人間なのだろうか? これが仕事だと理解しているだろうか?
ひょっとすると、人にあらざる人格が人間の精神の中で形作られてゆく、おぞましい過程を目撃しているのかもしれなかった。
赤井の本来の人格は、千年後にどうなっているのだろうか。
解離してしまってはいないか、ついには人間であることを思い出せないのではないか。
誰も気づいていないのだろうか。
これは、現在進行形の人体実験だと。
『現実世界に出たメグに、現実世界で逢いたいと思ってくれればいいのですが……』
赤井を人間のままでいさせてくれる、現実世界の絆は、メグや家族の存在だ。
この一年、精神科医 白椋 千早が診てきた限り。
彼はアガルタに適応している、……いや、適応しすぎている。
自己を殺し、利他的であり、不満を言わず、他者に配慮し、……過剰適応の状態に陥りかけている。
そう見えた。
人間、そのように抑圧された状態で精神を健全に保ち続けることは難しい。
そして、アガルタでの彼の心が本来の彼とはかけ離れた存在となったとき。
『そうならないことを、祈るだけです』
白椋の報告書の最後に、専門家に赤井の定期的な精神のケアを求めると要望していた。
白椋の懸念をよそに、蒼雲が天井付近で浮かびながらふわふわと揺れている。
『早く帰りたいねえ、俺らの担当管区に……』
今なら、自分の管区で色々と試してみたいことがある。
そんな熱っぽい言葉を聞きながら、白椋は疑似ワインのグラスをくゆらせ、ちびりと舐めながら、そうですねえ。と同意するにとどまった。
二柱がしんみりと寛いでいたとき。彼らのインフォメーションボードが自動的に立ち上がった。
白椋はワイングラスを置き、居住まいを正す。
『第三区画が、開きました』
第三区画が忽然とマップ上に出現していた。
モンジャの東だ。モンジャの3倍はあろうかという、広い区画だ。
この瞬間彼ら二人の構築士は、規定通りに神殿から一歩も外に出られなくなる。
27管区に干渉できなくなるのだ。
『じゃ、俺ら区画解放終わるまでここから動けないんだっけ?』
『そうですね。留学者の区画解放時に遵守すべきルールを確認しましょう』
『りょっかーい』
蒼雲がひゅるりと降りてきて着席した。
■他管区留学中、区画解放時の細則。
・区画解放中は、該当管区主神、素民へ一切の助言、助力を禁ずる。
・区画解放中、基点区画神殿にて軟禁とする。
『シンプルですね、ですがシビアです』
『つまりそれは、素民が死にかけてても助けるなってことだ』
『この世界の民と赤井神を信じましょう。悪役構築士がどのような区画を用意していたとしても、彼は強くなりました』
蒼雲は、そんなこと言っても、いざとなっても助けずに、なんてできるかな? などと苦笑している。
『どうやら、……外の世界を心配する必要はなさそうですよ』
神殿の窓の外の景色を見た白椋が、声に緊張を含ませた。
『だなぁ』
いつのまにやら、神殿の窓の外の景色は消えていた。月の浮かぶ美しいカルーア湖が消え、窓の外は真っ白だった。周囲に結界が張り巡らされていたのだ。軟禁というより、監禁のようである。
『白ちゃん、俺ここ泊まるしかないみたい』
自分の神殿に戻りそびれた蒼雲が、わざとにやけ顔で白椋をからかう。
『そうですね、書斎にあなたのベッドルームを構築しましょうね』
『一緒のベッドで寝てもいいのに。俺ら無性別じゃん』
『断固としてお断りです』
そのあたりのかけあいは適当に、
『つか、10年目で第三区画か……思ってみればはえーよなあ。俺んとこ、いつ第三区画やったっけ』
『私の管区では、80年目でした』
考えてもみれば、27管区のそれは、驚異的なペースであった。
『もしかしたら千年後、全世界のアガルタで一番文明の進んだ世界になるかもしんねーなあ。10年目で電気だろ? それって19世紀よ?』
冗談めかしていたが、冗談ともいえなくなっていた。
今後、回復基調にある患者たちによって次々と新たな発見が打ち立てられてゆけば。
しかもそれが、構築士の仕業ではないので咎められることはないとすると――。
1808年。
現実世界でアーク電灯がともってから、2133年まででおよそ300年間だ。
だが、27管区のアガルタ歴はまだ990年残っている。
それはつまり、このペースでいけば2133年より更に文明レベルが進んでしまうかもしれない、ということだった。
『白ちゃんの管区、もう電気できた?』
『いいえ、まだまだ。どころか、火力機構の利用もまだですよ』
『だよなあ、俺んところも停滞期に入ってるわ』
『だから、ではないでしょうか。27管区を惑星型にしようという案がでているのでは』
27管区が存在する前は、誰も考えつかなかったことだった。
『本当に上手く、物事が万事うまくいけばですよ。27管区は、多くの患者さんを癒しながら、ついには何世紀か先の未来を私達に見せてくれるかもしれませんね』
仮想世界の文明が、現実世界より未来へ進んでしまおうか、などとは――。
***
『姐御、そっちはどうだ?』
基点区画を警備する焼人、強羅大文字焼▲から、第五区画で警備中の信楽焼▲▲▲への通信が入った。
そして信楽焼▲▲▲がどこにいるかというと、ロイのいる地下牢の隣の空き部屋だった。
『なんと退屈で地味な任務もあったものだこと。読書がはかどって仕方がないわ』
黒いツナギがトレードマークの焼人、信楽焼▲▲▲は、ロイの収監されている牢の外で、壁に背を凭せ掛け休んでいた。彼女はロイの監視と保護を任されているのだ。第五区画民には見えないように視聴覚廓清モードにしているので、物音を立てたとしても誰に存在を気取られるでもないが。
その焼人、信楽焼▲▲▲は任務に不満がある。彼女が与えられたのは、ロイの警護と監視という二つの任務だ。そして彼女は、焼人はバグを消去するのが仕事であって、バグ予備軍を消去しようと待ち構えておかなければならないものでもない、と思うのだ。
せめてもの退屈しのぎにと電子書籍を読んでいる。彼女が読んでいたのは、乙女らしい恋愛小説だった。
『ロイは? 寝てんの?』
『さっきから、あーでもないこーでもないって。何を悩んでるのか知らないけど、寝る気配すらないわ。見張りもないのに外に出もしないし。主神と通信した後でしょ、まだ悩んでるのよ』
神通力というチートを持っているロイに限っては、脱獄する方法などはいて捨てるほど存在するのだ。たとえば、牢の金属を熱で溶かして出てもいいし、物理結界を纏った拳で壁を砕いて脱獄してもよい。
そうせず、牢の中で何がしか悩んでいる。
『ロイってあんなに悩むのかしら? この管区のだけ? 学習アルゴリズムおかしいのではと疑ってしまいますわ』
とはいえ、計算能力と最適化においては、人間よりずっと優秀なのだ。
『悩まないからR.O.I(Reachavility of Inteligense)なんじゃないか』
史上最高の人工知能と評されながら、悩む(=計算結果を返せない)というのが解せなかった。
現に、信楽焼は他管区のロイを見てきたが、この管区のロイは一線を画していた。
他の管区のロイならどうしたか。まず、正義を以て悪を駆逐する。
メローヌ帝を殺しただろう。闇に紛れて暗殺、夜に動くのが確実だ。そして、ロイはつい先ほどまでそうしようとしていた。
なのに、思いとどまった。
信楽焼は盗聴していたので分かるが、赤井の言葉で思いとどまったのだ。
それどころか、何があってもメローヌを殺さないと言ってしまった。
『他管区のロイって悩まず迷わず、”悪人=殺す”、だからなあ』
『でしたら、考えようによっては赤井構築士はその分岐を潰した、ということなのかしら』
正義と悪が、A.I.にとってどれほどの価値を持つだろう。
A.I.は、教師の行動を学習しているのだ。
他管区の構築士は、敵をくじくために殺すのもやむを得ないとロイに教えた。
それによって彼は華々しく戦果を挙げ、基点区画に勝利をもたらした。だが、最後には構築士を悪とみなし、どの管区でも構築士を殺しにかかった。
『とうとう朝になってしまいましたわ。私まで悩んで、ばかみたい』
悩む。それは、逃避せず真正面から問題と立ち向かおうとしているということであり、心理学における合理的適応規制と呼ばれる自我の適応メカニズムに似ている。
自我。そう、……自我を持つ生物の行動、もっといえば人間のそれに似ているのだ。
A.I.がモノ思う。考える、悩む。主神の行動が、A.I.の行動を決めてゆく。
赤井構築士のもとで、最高の人工知能と呼ばれる彼は一体何を学習しているのだろうか。
*
予期せぬ雷に、モンジャ素民の子供たちの悲鳴が上がった。
モンジャの広場には多くの素民が集まっていたので、大混乱になっているよ。
『みなさーん、今夜は解散しましょうね。雷が落ちてきてはいけませんから。おやすみなさーい、モンジャの門はしっかり閉ざしておいてくださいね』
「かえろかえろー。こわーい」
「おやすみーかみさまー」
私は素民たちに手っ取り早く解散してもらって、大急ぎで家に帰ってもらった。
キラキラのエフェクトを纏い、どこからともなく夜空から降って現れたヤクシャさんロベリアさん。
『ついに来たっすね!』
どこか楽しそうなのはヤクシャさんだ。ロベリアさんの表情はいつもと変わらない、若干引き締まって、落ち着いてる。モフコ先輩はいつの間にか『きゃー雷こわいのーこわいのー』とふざけたことを言いながら私の頭の上にいる。はいはい、って感じで流す。
メグとナズは折角作った電球が落雷に遭ったらいけないので慌てて道具を後片付け。リヤカーみたいなのに道具を全部載っけながら、私たちに声をかけた。
「これから、かみさまたちはどこに行かれるんですか?」
『メグさん、ナズさんも家に入っていてくださいね。今日はお疲れ様でした、素晴らしい成功でしたよ』
メグはこれから何が起こるかを予知しているかのように、ふるふると小刻みに首を振っている。
「なにか、私にできることはありませんか」
『心配いりませんよ。今日はゆっくりおやすみなさい』
「すみません、私達足手まといですよね、おうちでお祈りしています」
もどかしそうな顔で帰って行ったよ。ごめんね、メグ、ナズ。
人のはけた広場には、神殿に戻ろうとしてるコハクが残っていた。コハクも一年を経て、こっちの世界に馴れてきたところだ。彼女はでも何かを察したように腰に佩いた神剣の柄に手をかけながら、
「神様。何か、あの雷にただならぬ気配を感じましたが、あれはどのようなものですか」
『コハクさんも、一旦神殿に戻りましょう。白椋神のところに避難してください』
『それが……神殿は戻れません』
ロベリアさんが機敏な動作でインフォメーションボードを操作してる。ん? どういうこと?
私が首を傾げてると、ヤクシャさんが
『神殿も分院も、区画解放中は使えないんすよ。知らなかったんすか?』
知らなかったよ! 前どうしてたっけ。あ、ネスト行ったきり戻らなかったか。
じゃあ私ら第三区画解放中は野宿すんの? コハクもいるのに?
やめたげてよ箱入り娘なんだから、野宿なんてしたら風邪ひいちゃうよ。
『とりあえず、明日に備えましょっか。コハクはメグんち泊めてもらいなよ』
「えっ、神殿はどうなったのですか……白の女神様はご無事ですか」
『神殿は暫く帰れないのよ。神殿に結界が張られてしまったの、神様たちはご無事よ。ただ、今はお会いできないところにいらっしゃるわ』
ロベリアさんが優しく諭してくれる。
ロベリアさんとコハクはどこか性格が似てて、この一年で気が合う仲になったようだった。
というかロベリアさん、全体的に女子に対する人気と包容力がヤバい。ま、私ほどじゃないけどね。とモフコ先輩が感心してた。モフコ先輩の懐の深さの有無はちょっと疑ってしまうよ私。
『第三区画はモンジャの隣ですから、モンジャが危ないですかね』
私がそんな心配をしてると、モフコ先輩が頭の上から、
『いや、モンジャには来ないと思うよ。てかモンジャを攻められるわけがないよ』
って言ってる。それって、もしかして人間患者さんがいるから?
モンジャ集落の周囲には塀が張り巡らせてあって、塀はたった今警戒のために閉ざされたところだ。これで明日の朝まではモンジャからはのこのこ第三区画に出かけてゆく素民はいないだろう。
『逆に言うと……こっちがはみ出して第三区画に行ったら、一気に仕掛けてくるかもよ?』
『え、どういう意味ですか?』
そうこうしてるうちに翌朝になって、モンジャを警戒していた私達は、閉まってると分かってたけど、一旦カルーア湖上の神殿に戻った。
神殿の門扉は固く閉ざされていて、青白い結界で包まれており、私達は神殿からはじき出されたことを否が応にも自覚する。
神殿の中に居るであろう白さん蒼さんにも連絡が取れないし、窓の中が見えなくなっていた。
白さん蒼さんの気配もしない。
メグの家に一泊したコハクも神殿の結界を見て、中に入ることを断念したようだ。
『やっぱりそうだよ。もう神殿は使えないんだ』
モフコ先輩が、神殿の中に大事な何かを残してきたんだろう、あれさえ外に出しとけば……と私の頭をぽふぽふ叩いて悔しがっていた。
あ、ちなみに私のモヒカンだった頭は私の猛抗議の末、モフコ先輩に、それなりに清潔感があって毛束感のあるショートヘアにしてもらえた。
ツーブロックとかパーマは? とか言ってたけど全力でお断りした。
いらないいらない、普通でいいんだよ髪型は。
『さて、作戦をたてましょうかね。あ、コハクさんテポト焼けましたよ。塩テポトにしますか? 砂糖テポトにしますか』
「わぁ、テポト大好きです! 塩テポトにします」
神殿を追い出された私たちが円陣になって、雪のちらつく神殿の神樹の下で、暖をとるついでにたき火に当たりながらテポト(=ジャガイモみたいな甘い芋)を焼きつつ駄弁っていると。
「神様――! 一大事にございますっ!」
グランダの使者が、シツジに乗って神殿前の広場に駆け込んできた。
カルーア湖で夜釣りをしていた漁師たち20人が全員が、一夜にして行方不明になったんだって。
漁師のいない無人の舟だけがカルーア湖岸に漂着した。
カルーア湖上で、私達も気付かないうち、昨夜のうちに神隠しが起こったんだ。
そういえば、カルーア湖の東側は第三区画に入ってるんだっけ? しまった、迂闊だったよ。
報告を受けて、午前中のうちに私はカルーア湖全域の漁師に禁漁を命じ、誰も湖に出て行かないように急いで結界を張った。
ジェロムさんも遅まきながらシツジを飛ばして私の神殿まできた。
「神様、敵国からの奇襲にございますか!」
気が早ーい! あ、でもそんな感じだ。第三区画からの挑戦状だよきっと。
『そうとは言えませんが、カルーア湖全域の安全が脅かされているのは事実です。グランダの民は外出を控え、湖には近づかないようにしてください』
「必ずや。女子供に至るまで徹底させましょう」
びしっとグランダ式の敬礼で、緊張した面持ちで直立不動になるジェロムさん。
そう、敬礼だよ。
何か、グランダ王への最高敬礼とは別に、グランダ軍は私への敬礼を考えてくれたみたいだった。
ちなみに、私からするとその敬礼、どうみてもアイーンってなってる(アゴと顔は普通だよ)から超笑えるんだけど。
よくよく聞いてみれば、モフコ先輩が『こんなのどうかな!』って吹き込んだらしい。
まあそこらへんはツッコミ入れてはいけない。本人凄い真面目にでやってるんだから。
「それから、気が早いかとは思いましたが、グランダの一個中隊の出兵を準備しております」
おおお、やる気満々だね。もう私の指示がなくても出兵しそうだよねチミたち。
『グランダ議会は、何と?』
「はい。議長は神様のご判断にお委ねすることに!」
ジェロムさんの目がものすごく輝いてるから、第三区画攻略の際にはグランダ軍に手伝ってもらおうか。
さて、まずは行方不明の兵士さんたちを湖上からざっと捜索して……なーんて考えてたら。
『神様……あそこをご覧ください。舟が漂流していますよ』
ロベリアさんが困ったように、カルーア湖の上を指さす。
湖上を、私達めがけて滑るように静かに流れてきた一艘の小舟。
紋章をつけ、破れたモスグリーンの帆を掲げてる。
「何でしょうか、あの紋章は。ネストでもモンジャでもグランダでもないようですが」
ジェロムさんが前のめりになってる。
漁民集団、カルーア連合の取り決めによって漁船は全て、国の旗をどこかに掲げることになってる。モンジャの旗は、日の丸みたいなデザインになってる。でも、
『どんどん近づいてきますね。誰か乗っているようです』
舟の上に、怯えるようにうずくまっていたのは、ボロボロの薄汚れた布を着て、やせ細った少女だった。
よく見ると船底にもう一人女の子がいて、白目を剝いてひっくり返り、しかも泡を吹いていた。
「うわぁああぁ――ッ!」
私達の顔を見るなり、目を見開いて火がついたように泣きはじめたのは、10歳ばかりの少女。
どこからそんな声が出るんだといわんばかりの大声で泣いた。助けを求めるかのように。
その異様な雰囲気に、私たちはたじろぐ。
それでも、真冬のカルーア湖の湖上は寒い、早く保護したげないと。
私はひらりと浮いて湖上の船に乗り込み、失神している子はとりあえず後にして、我を忘れて泣きじゃくる少女からぎゅっと抱擁した。
その子からすると超怪しい人物だと思うけど、まずは落ち着いてもらってから。
私は今、すこぶる神通力に漲ってる。
だから祝福の効果も速攻で出るはず……出なかったらどうしよ。
『もう、大丈夫、大丈夫ですよ。私たちはあなたの味方です』
できるだけ優しくそう言って背中をさすると、すすり泣きの声に変わった。
少し精神的に落ち着いたようなので、遅れてやってきたロベリアさんにその子を預ける。
ロベリアさんは、今日は真っ青なドレスを着てて柔らかい印象だ。
もうヴァルキリーの鎧ってか衣装は着てない。
どこからどう見ても優しくてきれいなおねいさんだよ。
怯えてる女の子を慰めるには女性構築士の方がいいんだっけ、と思い出す。忘れてたよ。
『女の子には何といっても毛玉だよ、もふもふ毛玉ぱうわあぁー! だよ! さあ、どこからでももふるがいい!』
とか言ってたモフコ先輩は却下。
次に、白目をむいて引っくり返っている、より重症そうな少女の介抱にかかる。
息もあるし心音もあるけど、私が触れてもぴくりとも動かなかった。おそるおそる抱え起こし、力加減を見ながら抱擁して祝福。
主神の祝福ってもう素民に対しては裏ワザみたいなもんだから、祝福さえあれば病気であれ何であれ、大抵はけろりと治る……んだけど、あれ、様子がおかしい。
『これは……?』
何があったんだろう? 陸に移動してもらって、インフォメーションボードで精査した結果。彼女の身体は、衰弱はしているけれどどこも悪くはなかった。
心神喪失状態になってる。白さんなら精神分析ができるのかもしれないけど、私らには無理だ。
その後、私達の必死の介抱もむなしく……彼女は更に衰弱して呼吸が止まり、皆の見守る中ひっそりと息をひきとった。
人工呼吸や心臓マッサージ、強心剤を使ったけど無駄だった。
グランダのジェロムさん、神殿の大門に花輪をかけに来たまま何となく戻れずにいたネストのクワトロさん、その他参拝にやってきたモンジャの民が、何も言わずその一部始終を見ていた。
私の腕の中で、一人の素民が成すすべなく死んでいった。
それは私に預けられていた素民からの信頼を損なう行為であり、あってはならないことだ……。
私はすっかり忘れていた。
悪役区画の構築士は、演出の為に素民を殺していいんだ。
エトワール先輩もそうだったよ。
つまり、私達が基点区画の素民を連れて行って、普通に殺される可能性もあるってこと。
それがたとえ、患者さんであってもアガルタの素民であるからには容赦されない。
素民の誰もが、平和だったこの世界で何かいけないことが起こっていると察知しはじめていた。
昨晩のあの不吉な雷鳴を境に、どこか恐ろしい異世界に繋がってしまったかのように。
『息絶えてしまいました……』
私たちは、救えなかった命に花を手向け、冥福を祈った。
一方、こちらは死なせてなるものかと、生存者一名をネストの温かい毛織物でくるみ、野菜スープで体の芯から温めて、ロベリアさんと交代で祝福を続けた。
彼女の凍てついていた心は時間が経つにつれ、少しばかり癒されたようだった。
私の腕の中で、少女は何かに怯えつづけていた。
数時間が経ってようやく、話ができる状態になった。
『何があったのか、話してもらえますか?』
「……わ、私は見ていない! みみ、み見ていないんですっ!」
とはいえ、まだまだ混乱してる。
『何を、見ていないのですか?』
「あ、姉は見てしまいました。そして、受け取ってしまったのです。だから……!」
彼女は焦点の定まらない目でいっそう小さな体をわななかせ、しまいには自分の体を抱きしめるようにして「その印を……捨てないと」と、声を枯らした。
印を持っていると、”何か”が魂を食べに来るのだと言う。
そして、”何か”に魂を取られたものは、生きていてもほどなく狂い死にしてしまうのだと言った。ていうか何かって、何? と聞くと、見たことがないと言う。見ると終わりだ、見ると死ぬんだって。
なるほど、だから彼女は必死に「見てない」と言い張ってたのか。そして、彼女は実際に見てないんだろう、と言うことは看破で分かった。
「姉はもう、魂を食べられてしまいました」
『して、印というのはどのようなものですか?』
「姉の右手には、まだ印がある筈です。それを捨てないと……! 今度は新たな持ち主を求めて……!」
『印、ですか?』
私は遺体の右手が奇妙な状態で拳を握っていることに気付いた。
その手を恐る恐るほどいてみると、中から何かでてきた。
メノウだ。黒いメノウでできて、金の装飾のついた、これは指輪か? 一応解析してみたけど、特に気になるような反応はない。
『捨てますよー』
ぽーい、とばかりに私は跳ね石遊びをするようにスナップをきかせて投げると、指輪は5~6回ぐらいぽちゃぽちゃと跳ねてカルーア湖に沈んだ。
何だったんだろうと思ったけど、その子がそれで安心するならと思い、カルーア湖の、目に見えないほど遠くにいった筈だ。
「す、捨てられた……! 印を捨てられた!」
姉も自分も捨てたいと思っているのに、どうやっても捨てられなかったのだ、と彼女は怯えたようにそう言った。そして、捨てられなかったから死んだんだと言った。呪いがかかっていたんだって。
その子は指輪が捨てられたからか、ようやく平常心に戻って、彼女たちの身に起こったことを、ぽつりぽつりと語り始めた。
そして、彼女の話が佳境を迎えたとき。
私は右手に違和感を覚えた。右手の中指が何か変な感じ。
『……おや? 何故?』
さっき捨てた筈の黒メノウの指輪、何で私の指にはまってるの?
私、捨てたよね? すると、私の中指を見た少女は半狂乱になって
「うわああ――! それを捨てて、捨ててくださいっ!」
いや、でもまた捨てたら捨てた人に災いがふりかかるわけでしょ。
ならむしろ捨てない方がいいんじゃないの?
『私が持っていましょう』
「怖く、ないんですか? 捨てないと死ぬんですよ? 呪われますよ!」
何があっても死ぬんだ、捨てないと死ぬんだと、彼女は私に言い聞かせてくれる。
私は彼女が叫びたいだけ叫んでもらってから、一呼吸おいて答えた。
『それは興味がありますね。その何かが、私を殺せるのか否か』
私、死なないんですよ。
とにこやかに言うと、その言葉を聞いた少女は、更に放心状態になって固まってた。
でも私は内心びびりまくってた。
第三区画ってもしかして、私が(精神的には)死ぬほど苦手なホラー区画?




