第7章 第1話 When Machines Pray to HIM◇◆
モンジャの民、そして漂泊者ロイ・フォレスタに意識が戻った。
背中が痛かったが、撃たれた胸の痛みは消えていた。
仰向けの状態で、手足は無造作に投げ出されていた。ぴたり、ぴたりと水滴が額を打つ。背中や、体のあらゆる場所がかじかんで冷たい。
再起動してくる感覚から順に、意識を研ぎ澄ましてゆく。
「まだ、起……る気配……ない」
兵士たちの話声が、途切れ途切れに聞こえた。声までの距離は遠い。敵を警戒して首を動かさず、視線だけを右に向けた。話声の聞こえる方に、格子がある。部屋の格子の外には、何がしかの油を燃やしている、そう思しき燭台があった。石造りの部屋の外は、剥き出しの岩壁の廊下に繋がっていた。
神殿のどこかに閉じ込められて、見張りがついているらしい。平和なモンジャに暮らしたロイは牢を知らなかったけれども、肌寒さと水滴から、地下か洞窟だろうと見当はついた。閉じ込められているということは、殺される心配はなさそうだ。最終的に殺される予定ではあるのかもしれないが。
起きてもよいだろうか、起きない方がよいのだろうか。
冷静な判断ができるようになるまで、少しの間休みたいと思ったが、休む時間はなかった。
ゴーヤーの村で、女子供を庇ってメローヌ軍にたてついたのはこの男らしい、と兵士の声が聞こえていた。メローヌ帝に、既に報告は行ったようだ。ロイの処遇について、下知を待っているらしい。明日から、尋問が始まるのだという。彼らがここに来る前に、今夜中にこの場所を出なければ。
そう思っていると……
「しかしあれは断じて人間じゃねえ! 人のなりをした化け物だ、近づいたら取り殺されちまう」
怯えたような、兵士の一声が耳に届いた。見張りであろうに、格子の傍まで近づいてこないのは、どうやらそういう事情のようだった。
「考えてもみろ、炎に焼かれ、胸を撃たれ、それで死なん男だぞ」
「だが、不死の肉体はまさにメローヌ帝の求めておられるものだ。あの男が、何であったとしても」
「俺はそんなのの御守なんざ、まっぴらごめんだ」
兵士たちの会話を聞いていると、マリの話に聞いた通り、メローヌ帝は不死の秘術を求めているのだと分かった。何でも、赤い神の肉体を食めば、永遠の命を得られるのだという。
ロイはしらけた心境でその話を聞いていた。
神を喰らうなど、不遜を通り越して、あまりにばかげている。
また、仮にそうしたとして、赤い神が悪しき者に永遠の命を与える、それを赦すなどとは到底思えない。
赤い神に許されて、その御業によって生きろと命じられたから死の淵から蘇ったのだ。
全ては彼の胸一つなのだ。
ロイは、カラバシュに来てから何度目かになる感謝の祈りを赤い神に捧げた。
***Heavens Under Construction 第7章***
近づきたくないと思ってはいても、黒い筒を構えて数名の兵士が、定期的にロイの様子を見に近づいて来た。というわけで、ロイはこれからの方針が固まるまで敢えて動かずに倒れて狸寝入りを決め込んでいた。動かないロイを見るたびに兵士たちはほっとして、詰所と思しき場所に遠ざかってゆく。
他の囚人の声が隣の壁から聞こえてきたので、複数の牢があるようだった。
真夜中になって、見張りの声がしなくなった。居眠りでもしているのだろうか。ロイは指先で横長のスクウェアを描き、自動的に閉じていたと思しき創造の光板を起動し、目のあたりに張り付けた。
ダイアログボックスには【自動血管縫合および結合組織の修復を完了しました】、とモンジャ語で表示されている。モンジャ語を見ると、いくらか心が安らいだ。
肉体の修復によって赤い神が消費した神力が表示されていた。呼出、というボタンが出ていたので、素直にボタンを押す。点滅していたカーソルが、ボードを移動して呼出ボタンを押し、コールを始めた。呼出中、との表示が待ち遠しかった。
真夜中であるにもかかわらず、赤い神は呼びかけに答えた。些細な事であったが、それは嬉しかった。
赤い神は屋外に、それも神殿の前で子供たちに囲まれているようだった。ところが、陽が高く、昼間のようである。おまけに、神樹の上に雪が積もっていた。ロイはひっかかりを覚えた。今は真夜中で、そして季節は早春の筈だが。遅い雪が降ったのだろうか? どうなっている?
『はいはい、もしもし? おや、ロイさん。……の目ですね。それはどういう状態なんです?』
赤井神の後ろで、ロイさんだって!?
という子供たちの声が聞こえてきた。よく知った、モンジャの子供の声が聞こえてくる。
『そうですよロイさんですよ。彼からの連絡です』
赤い神は苦笑しながら、どうして? どこに? ロイさんどこ? などと質問攻めにする子供たちをやり過ごすためにふわりと浮遊したようで、彼の背景は美しい青空になった。改めて、インフォメーションボードを覗き込んでいる。ロイには赤い神の全身が見えているが、彼からは目もとしか見えないのだろう。
「光板を顔に張り付けたら、手を使わなくても開いたままにできると気付いたんです」
へえ、と彼は驚いていた。
『相変わらず、あなたは賢い子です。私は思いつきませんでしたよ。元気にしていますか? 危険はありませんでしたか? あなたが板を開かないと、私からは連絡ができないのです』
そうだったのか、とロイは納得した。ということは、赤い神もロイの経験した出来事をあまり把握できてはいない、ということを意味した。また、それは当然だと思う。彼はまだ世界を掌握できていないと言っていたから。ロイが滑舌悪くぼそぼそ喋るので、赤井は『ん?』 と耳に手を当てて聞こえないというジェスチャーをした。
『もう少し大きな声で。こちらは聞こえづらいです』
もう強がらずに、ロイは大声を出せない理由を素直に白状した。
「メローヌ軍に捕まってしまいました。地下のどこかに閉じ込められています、大きな声が出せません」
何もするなと言われていたのに、その言いつけを破ってこのざまだ。叱られるだろう、とロイは身構えた。
『怪我はありませんか?』
我が子のように心配をする赤井に、ロイは向こう見ずに突っ込んでいった自らの浅はかさを恥ずかしく思う。死んでいてもおかしくなかった。
『声が出せないなら、念話に切り替えましょう。画面左下に念話というボタンがあるでしょう、それを押してみてください』
ロイは言われた通りにした。すると、ロイのまさに言おうとしたことが、文字となって赤井のボードに転送され、向こう側からはそれを読まれている様子だった。逆に、赤い神の言葉もテロップとなってロイのボードに流れてきた。赤い神の声が見張りに聞かれてしまってはいけない、ロイもこれには助かった。
”黒い筒から出た何かに撃たれました。体を射抜かれましたが、あなたのおかげで俺は命をとりとめました。生体構築といいましたか、それが作動したおかげで”
しかし、それが悪くしたことに、マスク・メローヌ帝の興味を引いてしまったのだ。かの暴君は不死の肉体を得ようとしている。火炎を操り、撃たれても死なない化け物の秘密を暴こうとしている。
『不老不死伝説、ねえ……』
”それは本当なのでしょうか”
『本当もなにも、私の神体はまだ誰にも食べられていないでしょう。ロイさんもご存じのように』
困惑顔の赤井に、それもそうだったな、とロイは気が抜けた。
”では、伝説は迷信なのですね”
ロイはほっとした。もし事実だというのなら、厄介なことになりそうだったから。
『でしょうね。ですが、それが原因で危ない目に遭っているのですね』
今すぐにでも迎えに行きたいが、世界の理に反するのでそちらの世界に迎えに行くことはできない、と赤い神は二度目になる説明を苦しげに聞かせる。
ロイは、事情はよく分かっている、悪かったのは自分だからと何度も伝えた。
”これ以上ご迷惑をかけられません。自分で何とかしてみませます”
『まあ慌てないで下さい。どうすれば迎えに行けるか考えました。こちらとその場所の時間の流れは今、何百倍にも違います。こちらの世界は私の力が及んでいるので、時間を加速したのです。と同時に、僅かにそちらに及ぼすことのできる影響力で、あなたのいる世界の時間を減速しています。それだけは、何とかできました』
ロイは話がこんがらがってしまった。
”時間とは、加速したり減速したりできるベクトルなのですか?”
時が、加速する? どういう秘術を使ったのか、ロイは頭を殴られたような衝撃を受けた。そして、沸々と知的好奇心が湧きあがってくる。知らないことを見つけたとき、そこにあった自然をふいに不思議だと感じる、それはロイにとって喜びだった。
虜囚であることも忘れ、幼児のように無邪気に目をみはったのだ。
どうやって? 加速した時間の中にいるとどう感じるのか? 時間の進みは均一なのか否か? 空間の時間が変化するのか、空間にあるものの時間が変わるのか?
赤い神を質問攻めにしたい衝動に駆られている。ロイの感情と感受性の昂ぶりは文字となって、赤い神のボードの上に溢れだしてくる。赤い神はそのすべての質問を読み、静かに口を結んだ。
”ああ、それが本当だと仰るのなら……あなたの前に陣取って、一日中でもお話を聞きたいものです”
『本来、時間とは相対的なものです。私はあなたに空間と時間の理を教えていませんでした』
私のいた世界と、この世界の理は違うものですから。赤い神はしみじみと呟いて、悔やんでいるようであった。ロイも悲しくてたまらなかった、どうして自分はこの憎悪に満ちた場所に迷い込んだのか。
モンジャの空の下に帰りたい、皆の顔が見たい、自分をよく知るモンジャの誰かと話したい。
そう思うと……。
”聞きたかったです”
ロイは考える。赤井のいる世界が加速して、ロイのいる世界が減速をすればどうなるか。赤井のいる世界の時間が、より速くなるということだ。
『そうそう、こちらはまた冬になりましたよ。モンジャの皆は、収穫に大忙しです。とても平和です』
ロイのいる世界が一日経つ間に、赤井の世界の1年が経ったのだという。
『何年もは待たせません、そちらの時間で二週間以内には迎えに行こうと思っています。皆、あなたに早く会いたいと言っていますよ。その為に、こちらでも頑張っているんです』
赤井の世界では、何年が過ぎるのだろう。世界の時間を動かしてまで……どうしてそこまでしてくれるのか。彼の存在を感じ、対話をしたとき、ロイの中で煮えたぎっていた先ほどのどうしようもない怒りが、息もできなくなるほどの憎悪が、神の慈愛に触れて浄化され溶かされてゆくのを感じていた。
そうして雑念を振り落した心で、いま一度掌に力を込めれば、神通力が戻ってくる手ごたえを感じる。
ロイはどこか満たされた気分になり、自分は暴君マスク・メローヌ帝を殺したいと思ってしまったが、もうそうは思わない、と彼に告げた。赤い神は、その話を聞いて否定はしなかった。が、最終的には、そうする前に連絡してくれてよかったと言う。
『たくさんの無実の人が殺されている。ですから、命を奪って罰を下さねばならない、と』
”あなたならどのようになさいますか”
『私は、何があっても命あるものは殺さないことに決めています』
”どんな悪人でも、ですか。たとえ人の命を、私欲のために奪ったような者でも……? 殺された人をどう思っておられますか?”
ロイは切りかえすうちに、どこか正当化しようとしている自分に気付いた。
『悪人とは、どのような人間でしょうか』
何故人が人を裁くことができるのか、ロイはその一言でわれにかえった。
毎日のように動物を殺し、蚕を潰し、果物を手折り、木を伐り、生きながらえてきた。
多くの命の犠牲の上に生きている。ロイの身体は、他の生物が捧げてくれた命によってできている。
それを、赤い神は何も言わず、責めることもなく見過ごしてきた。
彼だけが何も食まず、何も持たず、殺生の罪を犯さなかった。
全てを肯定し、ロイたちが生きることを赦してきた。
命の営みを外れた、完全なるもの。どんな民にも等しく分け隔てなく慈愛をそそぎ、何者にも公正な存在。それが神だ。
生殺与奪の権限を行使して……人を裁いてよいのは彼だけだ。
動物は、動物を裁かない。生きるためにこそ相手を殺す。
つまり人が、神の真似事をしてはいけない。
ロイは深く悔いたので、これからどうすればよいかと訊ねた。長い長い問答と、対話を終える頃には、ロイの心は穏やかになった。なすべきことが見えてきた。そしてロイは、マスク・メローヌと話をして、苛政をあらためさせたいと言った。勿論、何があってもメローヌは殺さないと。
それは無謀だ、頼むからやめてくれと何度も諭されたが、ロイは聞かなかった。そこで、赤い神は遂に、命の危険を感じたらすぐに呼び出して欲しいし、非常時には迷わず緊急停止ボタンを押すように、と念を押した。
そういえば、ロイのインフォメーションボードの一番目立つ位置に、赤い飾り枠のついた大きなボタンが鎮座していた。
”緊急停止をかけたら、どうなりますか?”
『あなたの世界の時間が完全に止まります』
ロイは戦慄した。何故とは説明できないが、ロイにとって恐怖だった。時間を、神様に止められてしまう……それは、死を与えられることとほぼ同義だった。止められた時は、動き出すのだろうか?
勿論、動き出すのだろうが、ロイは生理的、本能的な危機を感じた。やめてほしいと思ったが、ロイ一人の為に赤い神の世界の時間を加速して、彼の世界の民も迷惑をしているに違いないのに、意見ができる立場ではないということは、心得ていた。
そこで、”そうします、ありがとうございます” と彼は礼を述べた。
ロイはふと、ある懐疑が頭の中に渦巻くのを感じていた。
神様、この世界はあなたの……もしくは誰かのユメの中にあって、
まさかとは思いますが、ユメを見ない俺は虚構のものなのでしょうか――?
*
国民の皆様お久しぶりです。
私は27管区甲種一級構築士の赤井と申します。なに? 仰々しいって?
グランディアが終わり、あれから基点区画でははや1年が、第五区画では二日が、現実世界では二週間が経ちましたよ。思ってみれば、現実世界ではたったの二週間だ。でもこっちでは色んなことがあったんだよ。
ロイの件については、基点区画が時間を加速して第五区画が減速しまくってる。なので第五区画の時間で二週間以内には迎えに行けるんじゃないかな。それまでに基点区画で何年経つか分からないけれど。現実世界スタッフには、ロイにもしものことが起こりそうになったら管区時間を止めてくれとお願いしてある。ロイもヤバかったら緊急停止ボタンを押すだろう。
第五区画スタッフは、ロイが階層跳躍を使う兆候がない限りは、管区を再生し続けることを引き受けてくれた。
ぶっちゃけると、実はロイが死にかけたって聞いた後、焼人さん達が第五区画に入ってロイの護衛兼監視についてもらった。
ロイは知らないんだけどね。焼人さんたち、ステルスしてるから。
今も近くにいてくれるはずだよ。
【アガルタ第二十七管区 10年275日目 居住者3082名 信頼率96%】
27管区世界は十回目の冬を迎えた。
久しぶりだから、駆け足で近況報告といこうか。
27管区時間を全体的に加速しているから、皆様に話すことがたくさんあるよ。
まずは神殿の様子と、管区の構築士たちの近況から。
神殿では、イヤンさんとヒカリが神官として働いてる。
朝9時から午後5時までの勤務だ。
彼らがいてくれるおかげで、参拝者の列がどっかの遊園地のアトラクション行列みたいにてきぱきと手際よくさばかれて、素民たちはスムーズに参拝できるようになった。
冠婚葬祭の書類作成もラクラク、私もヒカリのおかげで大助かりだ。
マナーの悪い参拝者がいたら、イヤンさんが「ほわたー」と、喜び勇んでしばく。
ヒカリがそれを宥める。そのまま何故かヒカリとイヤンさんの徒手組手が始まる。そんなこんなで日が暮れる。
ちなみに、イヤンさんの奥さんはまだ戻ってきてくれない。
それには誰も触れないことにしてる。
そういえば、ヒカリは参拝者への気配りから、「只今の参拝までの待ち時間は~」、とか表示してくれだした。そのうち、当日限りの参拝引換券を配りだして、身体の悪いお年寄りがずっと参拝の列を待たなくていいようになった。
引換券を持った人が、番号を見てそろそろ自分の番かなと思ったら神殿に来る、そんな参拝スタイルになった。待ち時間で、グランダの市場で夕飯のお買い物、なんて時間の有効活用も。
構築士の近況はというと。
エトワール先輩は、まだ出勤してこない。現実世界側スタッフに聞いても首を振るばかりで、連絡はないって。理由が分からないから、欠勤扱いにされてる。
砂谷さんは、ようやく修理されたヤクシャさんのアバターに乗ってる。
白さんと蒼さんは、もうじき留学期間が終わるので、春になれば帰らないといけない。
何か色々とこの管区に関する分析をまとめているみたいだけど、私はその分析結果を教えてもらってない。管区主神に言っちゃいけない決まりでもあるんだろう。
水埜さんは、新しいプロマネに許可を得てから第三区画を解放するらしい。
それがいつなのかは分からない。分からないままに、数カ月が経ち、一年が経とうとしている。
というわけで、伊藤さんの代わりに新しい27管区プロマネが選出される予定なんだけど、誰になったのかまだ連絡ないな。
希望者が多くて選考が長引いているうえに、技術顧問の蘇芳教授がなかなか人事に首を縦に振らないんだって。蘇芳教授……スオウシリーズというか、キララを創った教授だ。国内では相当凄いと評判の人らしいけど、私はまだお会いしたことない。
その伊藤さんは、現実世界に帰還する患者さん、まあメグたちのために、天御中主神のアバターに乗って、社会復帰用の馴化管区というのを準備してくださってる。
これは現代地球と全く同じ世界を再現するらしくて、その場合だと創世は最初から行わないといけない。
相間転移星相装置という超神具を使ってやってるらしい。
私の背中でいいとこなしの至宙儀も超神具だから、創世とかできるらしいんだけど……なにこの圧倒的な持ち腐れ感。
構築マニュアルと融合した疑似脳で半自動化しながらやるから、退屈も孤独も不安も感じないらしい。人間的思考、雑念をクリアにした状態で加速しながら構築するとはいえ、137億年、地球だけでも46億年もかけて構築するなんてもう、考えただけで気の遠くなるってか、構築士の鑑だよ。
今、40億年まで進んだって言ってる。カンブリア大爆発のあたりか……。
マジでそういうレベルでやってんの? 人生観とかどうなんのかな。
あ、そうそう。
黒澤さんが教えてくれた噂なんだけど……二十七管区を惑星型にしようって話が出てるらしい。
地球と全く同じサイズで……地球と全く同一の物理法則を作用させよう案が出てるらしいんだ。
一体何のためなんだろうね? そもそも、アガルタって全くの異世界をヴァーチャルで創りたいって話じゃなかったっけ。地球と同じにして、何のメリットがある?
普通に考えると、27管区での結果をそのまま現実世界に反映させて患者さんの治療なりなんなりに役立てたいってことかもしれない。てか、途中から平面だった世界をいきなり球体に、ってできるもんなの? この世界、ガタガタになったりしない? うまくいってたものが、崩れちゃったりしない?
――その判断も、日本アガルタ上層部が紛糾しててまだ保留。
私はどう思うかって聞かれたから、民の生活が何も変わらないならよいと思います。
とだけ言っておいた。
私は今日も第三区画解放に備えつつ、自身もトレスポでトレーニングは続けながら、素民や構築士たちと穏やかに暮らしている。
まずはグランダ。
キララへの造血幹細胞移植は無事に成功したらしく、キララは、今では元気にグランダの執務にあたっている。グランダでは、メグの議会制民主主義の素案をもとに、初めての国民議会を招集した。
王を世襲ではなく10年の任期ごとに民が選ぶことにした。
いわゆる選挙君主制だ。私がこうしろと言ったわけじゃない、最終的にはキララが考えた。
「王の血筋が国を支配するのではなく、民が民を支配するのだ。これからは民に選ばれし者が、国を治める」
キララはいきなり国中にそんなお触れをだして、一か月後ぐらいにグランダの納税者にのみ選挙権を許した第一回の匿名選挙が行われ、王と議員を選出したんだ。
だからこれは何ていうんだろ、私政治とか全然詳しくないんだけど、いわゆる君主と議会制の併用とでもいうべきか。
王様は立候補もしてないのにぶっちぎりでキララが選ばれ、議員は三十人が選出された。
議員の顔ぶれは、地元の商人だったり兵士だったり、貧しいけど人望ある人だったり色々。
元々、グランダには貴族や領主がいないから、金権政治みたいなことはまだ避けられてる。
国民審査みたいなのがあって、王城の意見箱に一定の不信任票が溜まると議員がリコールされることもある。
結局キララは王様は続けるんだけど、世継ぎがどうこうという重圧から、精神的な意味で解放され、今は少し肩の力を抜いて執務にあたれるようになった。
まだ、三権なんて発想もないし、立法、司法、行政は分離してないけど、国民が少ないから議会だけで上手くいってる。まさか27管区世界に先駆けてグランダがこうなるとは思わなかったよ。だって絶対王政みたいになってた国じゃんここ……。
議会では、国の農業化に力を入れ、グランダの南の荒地を国が公共事業として計画的に開墾して食糧増産に務め、海洋漁業をはじめ、インフラを整備して国民を増やそうということになった。
まだ開墾してたり、灌漑設備を作ってる状態だけど、農地は拡大したよ。
上手くいくかはわからない、とにかく何でもやってみればいい。
国家予算は、税を上げることで賄ってるけど、国民に還元されるものだし、民が納得してるから不満は出てないみたい。政策が失敗しても、民が考えた政策だ、失敗から学ぶことはある。
グランダの軍隊は重装歩兵中隊長ジェロムさんの号令のもと、副隊長ヌーベルさんを中心に、前にもましてよく訓練してる。
グランダ軍は、グランディアを契機に私に対して少し軟化姿勢を見せてくれてる。
前はもう、何か刺々しかったからね。
面従腹背を絵に描いたような感じで。今はそんなことはない。我々は今年のグランディアも連覇する、なーんて会うたび毎回言ってくるから、グランディアを楽しみにしてるんだろう。
そんで、ジェロムさんは他国、まあ第三区画との戦争になった場合や、国内の暴動などに備えて、非殺傷武器の開発協力を私たちに求めてきた。
グランディアで使った、あの半物質の素材を使わせてくれないか、と言ってきたんだよ。
私達は日本アガルタに問題ないか確認したうえで許可して、半物質が産出される鉱山をグランダに与えた。そして、他の国にも分け与えるように言った。掘り出された半物質は、モンジャとネストにも均等に分けられた。
ジェロムさんは、私が殺生をよくないものだと思っていると知っていた。
だから、戦争になっても私が殺生を許さず、王や議会も軍に出撃命令を出さず、国防ができないと思ったんだろう。彼らは兵士だ、折角訓練したのに、国の一大事で戦えないのは困る。
そこで彼らはどうやって相手を傷つけず戦えるかを考えるしかなかった。
考えた結果、グランダで自生してる、噛むと痺れる草から抽出した汁を半物質の刃にべっとり塗って人を斬ると、痺れる成分だけが体の中に入って、動けなくなるということを発見した。
刃に塗る量に応じて、五分で回復したり、一日で回復したりした。
グランダ兵士は、いい塩梅に痺れる量を研究して、それを武器に塗って実戦に備えた。
人を傷ひとつつけず行動不能にする方法を、彼らは手に入れたんだ。
これにはキララも、グランダ国民も、ついでにモンジャ民もネスト民も大いに喜んだ。
たまに自分に刃が当たってビリビリなってる兵士さんも出るのはご愛嬌。
この、半物質の武器、通称「危なくない武器」は、モンジャやネストでも生産、改良されはじめてる。
モンジャ民の狩人、ソミオソミタはむろん、「危なくないモリ」を作った。
次はネストの話。
クワトロさんの呼びかけで、ネストには騎馬隊ならぬ、騎シツジ隊ができた。
世界が広くなって御家人たちの移動が不便じゃね? ということで、牧場で遊ばせていたシツジを訓練して、パウルさんが一頭ずつ御家人たちに騎乗用のシツジをプレゼントしたので、彼らはそれに乗ってネストやグランダ、モンジャまで疾駆した。
そのうちシツジどうしの衝突で交通事故が問題になった。
列を作って走らないと高架橋を渡ったりするときに危ないので、行進とか訓練とかやってるうちに、馬上ならぬシツジ上から戦ったほうが何か強いしカッコいいし機動力があるじゃん、ということに気付いた。
ちなみに、これを境に道路は右側通行になった。
グランダにもシツジ兵団ができた。
最後に、モンジャ。
この一年で、モンジャが一番とんでもないことになってるかもしれない。
メグとナズはグランディアの後、「この世界を電気の灯で明るくしたい」、とか言い出した。ピリカラさんをメグが自分の手で救えなかったのが、相当悔しかったみたいだ。
で、ででで電気? と私は耳を疑った。
やべえ……メグが高次脳機能障害から治癒しすぎてる。東 愛実として現実世界に帰還でき、多分社会復帰もできる見通しが立ってきたのは愛実としてはよいことなんだけど。
これ、もしかして27管区文明の進歩に与えるインパクト大きすぎやしませんかね?
などと、私たち構築士は顔を見合わせながらも新プロマネがいないので、ひやひやしながらメグのすることを見守るしかない。
仮想世界の中で治癒した人間患者による素民への知識の漏えいが、全世界のアガルタにさきがけて27管区で初めて問題になったんだよ。
この問題で、世界中のアガルタ関係者に激震が走った。
メグが回復すればするほど、メグを外に出す必要がある。
なのに、現実世界側の受け入れ態勢がまだ十分に整ってない。
だからそこで、伊藤さんの現実世界馴化管区が見直されることになった。
メグはいきなり現実世界には戻らず、そっちで暫く過ごすことになる。
私も馴化管区にメグの様子を見に行っていいかな? とか密かに計画してる。分身の術的なアレができないと話にならないけど。留学制度あんじゃん、あれつかお。
メグは蒼さんに医学を学び、それを本にまとめながら、尚且つロイの残したメモを総復習して電気を利用する装置、のみにとどまらずエネルギーを仕事に変換する装置をナズと一緒に考え始めた。
最初、メグは電解質水溶液に異なる二枚の金属板をさし、金属のイオン化傾向の差を利用し起電力とするという原理から、持ち運びのできる果物電池を作ろうとした。
モンジャには、トントトというレモン以上に酸っぱい果物がある。
しかもわっさーってモンジャに自生してる。
メグはグランダから銅板と亜鉛板を取り寄せて回路を作って、切ったトントトに金属板をさした。電流が発生しているということは、水に浮かべた針磁石が、銅線に向けてわずかにふれることで確認した。
何という小学生の夏休みの実験だよ。
でも、最初から彼女はできることを一つずつ確認していった。
次に、電流が弱いトントト電池を直列につないで、積層トントト電池を作りだした。
そして積層トントト電池は、私が内緒で測定したところによると電圧がレモン電池より断然強力だった。トントトやべえ、レモンより断然凄いよ。
でも、どれだけ直列にしても、抵抗が大きくて豆電球一つも光らないだろう。
そして豆電球も、この世界にはまだないけどね。
現実世界における彼女……東 愛実は物理数学化学は勿論のこと、医学薬学まで、何でもそつなくできる子だった。
複雑な計算も暗算で簡単にできたし、努力型だった私より頭の回転もよかったと思う。
そんな秀才が、小学生の夏休みの実験みたいな装置を作って一つ一つ、涙ぐましい努力の末にその理論を確かめてゆかなければならない姿を見ると、心が痛い。
メグは現代人だ。メグがしていることは、テキストを斜め読みすれば思い出すことだ。
でも、何の書物もなくその知識をアガルタの世界に蘇らせようとするのは、並大抵の事じゃない。
国民の皆様が、何もテキストを見ず、うろ覚えでいきなり身の回りの機械を作れる自信はある?
しかも、材料も道具もない中で、構築士でもないのに。
……できるなら天才だ。
そして中学校で書いてあるような教科書の一つの法則を見つけ出す為にだって、数えきれないほどの天才たちが人生をかけ、時に無駄にし、血を吐くような苦難の道を歩んできた。それらの人生の集大成なんだよ。
私は改めてそのことを思い出す。
私達の先祖が一歩一歩積み上げてきた技術と知識、
それを、メグは曖昧な記憶をもとに、実験によってナズと二人で復元しようとしている。
彼女と付き合っていた頃から知っていたけど、メグには胆力と忍耐力がある。
私は愛実のそういうところも、好きだったんだなと思い出す。
ナズも工学の才能に恵まれている。ナズの方がまだリハビリが進んでいなくて記憶が回復していないので、少しずつの進捗ではあるけど。
二人とも、失敗に次ぐ失敗で心が折れたら、へとへとになって私を訪ねてきた。
私は彼らの求める、全ての答えを知っている。
でも、メグとナズはそれを求めなかった。
私は何もしてあげられないながら、それでも思い切り祝福してあげた。
彼らが癒されるまで。
メグは祝福のたびに、私にしがみつき、この手を力強く握る。
何千ボルトの神雷を生じる私の手が近くにありながら、彼女はわずか1ボルトの起電力を出すにも苦しんでいる。でも、彼女は神の力ではなく人間の力を手に入れようとしているんだ。
その努力を、私が挫くことはできない。
ナズとメグは、失われた彼らの記憶を相補いあってゆく。
最初のトントト電池から、強力で安定した電池ができるまで。
彼らにとって気の遠くなるほどの歩みだったことだろう。
ありとあらゆる金属の組み合わせのイオン化を試して二か月、電解質を研究して一か月、
上質のアルミニウムを採掘し、それを箔にするのに三か月かかった。
更に不純物の少ない固い活性炭を造るのに、一か月。
トントト電池は改良され、最終的には活性炭とアルミニウムの電池になった。
酸素を排除するため、ネストのガラス瓶ができるのを待って三か月。
そして――。
アガルタ27管区歴 10年目の1月20日。
今宵、いつになくモンジャの広場には大勢の素民が集まっていた。
集まったモンジャの民の前で、メグとナズによって世界初の電球の試作品がお披露目された。
できるだけ多くの人に見てほしい、メグがそう言わなくても、モンジャ中の人々は集まってきた。この始祖と呼ばれる二人が何か、わくわくするような事を見せてくれると思ったからだ。
私も当然、その記念すべき場所に立ち会った。
メグは集まった人々を見回すと、灯を手に入れ、夜を明るく照らすという事が、人が生きる上でどんな意味を持つかを考えながら見てほしいと伝えた。
何故、その現象が生ずるのか、メグはまず素民たちに原理を説明した。
「へー、そういうことか!」
「新しい発想だなあ」
「メグもナズも、始祖だからなあ」
「始祖って僕たちより賢いの?」
モンジャの集落で何年もかけて培われてきた基礎教育のおかげで、大人たちはみなメグが何をしようとしているのかを理解できたようだった。
原理を理解したうえで、火と何が違うのか、火より明るいのかと誰かが質問した。
思えば、最初にモンジャに火を持ち帰ったのも、メグだった。
素民たちは期待に目を輝かせていた。
これは私達の二番目の火だ。とメグは力強く言った。
これから点る灯は火より明るくはないけれど、これは私達にとっての最初の一歩で、この電気という物理現象、エネルギーこそが、人々の生活を助け、人に寄り添い、心を豊かにしてくれる。
そしていつか、この灯で地上を一杯に満たし、地上の星を瞬かせるのだ、と。
素民たちが固唾をのんで見守る中。
電気回路に電流が流れ始めると、最初は暗く、しかし段々と明るく炭素フィラメントに放電と白熱光を生じた。わあっ、と言って子供たちが喜んだ。
炭素フィラメントを内部に持つ拳大の瓶の中の白熱電球は、精一杯の輝きを夜闇に残し、素民たちの目に光の残像を映じた。炭素フィラメントは周囲の酸素と反応してアークを生じて焼き切れ、燃え尽きた。んー、切れちゃったか。酸素をなくせばいいんだけど、まだガラス瓶の中を真空にする技術もなければ、ガラスを造る技術も未熟だ。
でも、大成功だよ。
モンジャの子供たちの大部分は、その光がどう凄いのか、あまり分からなかったみたいだ。
けど、それは炎の光より鮮やかで鮮烈で、明らかに炎とは違う輝きだった。
きれいだった。また見たいね、と、子供たちも電球の点灯とメグたちの成功を拍手とともに喜んだ。
それは27管区史に残る、記念すべき夜だった。
しかし突如、その祝賀ムードをぶち壊すかのように。快晴の夜空を覆い尽くすほどの大放電が数十秒にわたって生じた。紫電は竜がのたうつように夜空を駆け巡り、耳を劈くばかりの雷鳴が轟いた。素民たちの悲鳴が上がった。
私のインフォメーションボードは自動的に立ち上がり、ワールドマップが拡張してゆく。
モンジャの東。カルーア湖の北東に、新たな区画が出現し「NEW!」という赤い注釈がついた。
【第三区画 臨湖・山岳共和国連邦 タコヤキ】
タコヤキ? 思わず吹き出しそうになったけど、そこは我慢だ。
笑ってる場合じゃないよ。
真面目な顔をこしらえて、一言唸る。
きっとそんな生半可な区画じゃない。
『遂に、きましたか……』
「あかいかみさま。また、世界が広くなったのですか?」
メグがぎゅっと、私の手を握ってきた。ナズも私の腕にしがみ付いている。
私もメグの手を力強く握りかえし、ナズの頭に手を置く。この一年、色々なことがあった、私もまた、メグや素民たちと共に成長してきたのだろうと思う。
もう、右も左も分からなかった頃の新神じゃない。
モンジャ集落の隣の第三区画。そこには今も悪役構築士によって虐げられ、抑圧された素民がいることだろう。彼らを一刻も早く解放し、同時に基点区画を死守しなければならない。
第三区画が解放され、基点区画と物理的に繋がった。
空気が、気圧が、雲が第三区画との境界を破って流れ始める。
世界はまた少し、大きくなった。
第三区画の悪役構築士 水埜さんとの真っ向勝負だ。




