竜に乗り
竜に乗り、パンターはローヨップの北の端スカジーに戻った。小さな、と言っても十分に豪華な邸宅なのだが、パンターはその隅にある竜舎に竜を着地させた。
「パンター御坊ちゃま、お帰りなさいませ。」とこの家を取り仕切る執事のサイランが出迎えた。サイランは老齢のベテランで、パンターが生まれた時から側についていた。
「御坊ちゃまはもう止めてくれ。」パンターは苦笑いした。「知ってるだろ、俺、父親になったんだよ?」
「左様でした。元気な赤子がお生まれになったことでしょう。セロン奥様はご息災で?」サイランは家の玄関ドアを開けた。
「ああ、女児だ。名はチョロリンだ。セロンも元気だ。だが、後ひと月はこっちに戻らないよ。」パンターは玄関ホールの階段を登り、真っ直ぐに自室へ向かった。
「そうでございますか。チョロリン、良い名前です。伝説の花チョロリの名からお取りになったんですね?」サイランはパンターの部屋の扉を開けた。
「その通りだ。少し寛ぎたいな。」パンターはソファに沈み込んだ。
「すぐお茶をお持ちしますよ、御坊ちゃま。」
「言っただろ、その呼び方は止めろ。」パンターはサイランの顔を見上げ、笑った。
サイランが運んできた茶を飲みながら、パンターは憂鬱になった。スカジーの森の事だ。明らかな異変が森で起こっていた。あの魔力溜まりの影響に間違いなかった。あの巨大な魔力溜まりを見つけた日の後、騎士数名を伴って森に戻ったパンターは、手分けして探索魔法スキナを使い、森を探った。確かに魔力溜まりは消えていた。その代わり、サイズの小さい魔力が点在しているのを見つけた。魔物かも知れない。しかし、その魔力を感知した場所には、魔力の痕跡はあるものの眼に見える魔物の様な姿は見つからず、パンター達はほぼ何の成果もなく森を出る羽目になった。
(何なんだろうなあ、あの小さな魔力。まあ魔力はそもそも眼には見えないものだけど。でも、魔力が勝手に動くなんてないもんなあ。誰かが操作してるならともかく。それなら、誰があんな所で魔力操作してんだ?)
するとサイランがパンターの部屋へ戻ってきた。
「来客でございます。ローゼフ様がいらっしゃっております。」サイランの顔に緊張が見えた。パンターはソファから立ち上がるとため息を吐きながら「通せ。今ホールへ降りる。」と言って自室を出た。
ローゼフはスカジー騎士団の騎士団長だ。スカジー騎士団にパンターが副団長として迎えられたのを快く思っていない節があり、パンターはこの騎士団長が苦手だった。
「ようこそ我が邸へ、ローゼフ殿。私はさっきスカジーに戻って来たばかりです。」パンターはローゼフを玄関ホールへ招き入れた。パンターはローゼフの服が騎士団のものでは無いのが気になった。
「うむ。そちらの竜が上空に見えたのでな、寄ってみた。」ローゼフは眉をあげ、微笑んだ。
「そういえば、ローゼフ殿。竜でおいでではないのですね。」パンターはローゼフの竜を見なかったことを思い出した。「まさか歩いてこちらまでわざわざ?」
「そのまさかだ。歩いて来た。というより、散歩がてら寄ったのだ。」ローゼフは顎を掻いた。
「散歩ですか?」パンターは訝しんだ。ローゼフの家からここまで結構な距離がある。パンターは応接間にローゼフを通した。ソファに座り落ち着くと、ローゼフはパンターが父親になった事に祝いの言葉を述べ、そしてこう切り出した。
「パンター殿。ナロスキーノ家に始祖のドラゴンが顕れたというのは本当であるか?」ローゼフの言葉にパンターはたじろいだ。スカジーがローヨップの端とはいえ、その話が届いているのは不思議な事では無い。しかし、自分の家にその事を確かめに誰かが来るというのは、予想外だった。
「本当です、ローゼフ殿。おかげで我が弟ポルダーの五歳の剣の儀を内々で行う羽目になりましたよ。」パンターはローゼフに茶を勧めた。
「それは気の毒であった。矢張り、始祖のドラゴンともなれば、その威光は触れざるべき気高さなのだろうな。」確かに触れたくはないだろうとパンターは思った。予め聞いてはいたが、その全裸の姿を初めて見た時、パンターは反射的に目を覆った。見てはいけない立派なモノがそこにぶら下がっていたからだ。(威光…。威光かあ。まあ少なくとも偉そうではあるよなあ。)パンターがふとローゼフの顔を見ると、何だか普段と雰囲気が違うのに気づいた。
「その、やはり火を吹いたりしたのであるか?王宮で?王宮が焼けたと言う話は聞いてはいないが、その、始祖のドラゴンは火を吹くのであろう?普通の竜は火など吹かないが。」ローゼフは茶にも手をつけず、パンターをしっかり見据えて言った。
「あ、いえ、その、火などは吹いておりません。少なくとも、今のところは…。無論、王宮は焼けておりません。あの、ローゼフ殿はどのような話をお聞きになったので?」パンターは目を瞬いた。
「ナロスキーノ家に伝わる絵が光って、始祖のドラゴンが顕れたのであろう?そして王宮の絵も光って、そこでも始祖のドラゴンが顕れたと。そして謁見の間を飛び回り、何かの怪物を退治したと。何かは判らぬが、そのせいで煙が上がったのでは?」微妙に違う話の内容に、パンターは反応に困り、口が半開きになった。
「そのお姿を眼にしたかったなあ。きっと勇ましかったに違いない。我らが善き者であれば、始祖のドラゴンも世界を滅ぼしはしないだろう。」パンターにはローゼフが少しばかり異様に見えた。普段の厳格な雰囲気は完全に消え失せ、何と言うか、夢みがちな子供の様に見えた。きっと始祖のドラゴンがリューちゃんという名を自称してるとは言わない方が良いだろう。パンターは茶を一口啜った。
「それで、その、ここへはその始祖のドラゴンの話をされにいらっしゃったので?」パンターは首を少しだけ傾けた。
「あ、いや。…。ああ、そうだ。始祖のドラゴンの話をしに来た。」ローゼフの顔が何となく紅潮して見える。
「ここへ歩いて来たのも、そのためだ。竜で来ると目立つからな。」パンターは身構えた。秘密裏に動かなければならない重大な何かでもあるのだろうか?
間が開いた。パンターは茶を飲み干した。ローゼフのお茶はすっかり冷めていた。
「実はな、その、私は始祖のドラゴンのファンなのだ。かっこいいではないか。火を吹き、世界を又にかけ、神と共に世界を正して行くのだぞ?」
パンターは茶を飲み干しておいて良かったと思った。




