あれから更に
あれから更に一週間経ち、俺は考えるのを止めた。神は応えない。そういうものだ。もし貴文が本当に亡くなっていて、女の子に転生しているのであっても、それはそういうものだ。あれは空耳だったかも知れない。神は、応えてくれない。いつでもこっちが一方的に願うだけだ。祈りが届いて欲しいと願うばかりなんだ。虚しいものなんだ。
そしてリューちゃんは相変わらず全裸だ。そして俺はこの全裸ムキムキ胸毛マンの、そのスネ毛を毟らんばかりに足に掴まり、立っていた。俺は九ヶ月を超えた。ハイハイもハイスピードでハイハイハイハイだ。この世界にオリンピックがあるなら金メダル確実だ。そして今はこの通り、二本の足で立っている。スゴイ。何でリューちゃんの足に掴まっているかと言うと、単に床をハイハイした先にあったからだ。流石にフォリーやミュウビーの足に掴まる訳にはいかない。それ位の自制心はある。床をハイハイするのが汚いって?忘れちゃいけない、この世界には便利な魔法、クリンがある。クリンは床を綺麗に清潔にしてくれる。俺の体もピッカピカ。まあ、でも何故かおむつにクリンは効かない。何故だ?ちなみにクリンはフォリーの担当だ。
「お、エローシュ掴まり立ち出来るんだ。」チョロリンを見に寄宿舎から帰って来ていたプース兄さんが俺の部屋に入って来た。
「あーう!」俺はリューちゃんの足を離し、ハイハイの姿勢になると、怒涛の勢いでプース兄さんの足元へ這って行った。
「うお。すっげ。速いな、お前。」プース兄さんがしゃがんで手を広げ、俺を迎えた。そしてプース兄さんは俺を抱えて立ち上がった。「重っ。お前、デカくなったなあ。」プース兄さんは俺に頬ずりをした。くすぐったい。
「ちょっとエローシュ借りて良い?見せたいものがあるんだ。」プース兄さんはフォリーとミュウビーに許可を取ると、俺を抱っこしたまま歩き始めた。するとミュウビーと、例の青い球がくっついて来た。
「プース様、見せたいものって、多分ですけど剣の稽古ですよね?」とミュウビーがイタズラっぽく言った。
「お。良く判ったな。うん。ポルダーが頑張ってるんだ。エローシュも見たいだろ?」えー?ポルダー兄さん、剣の稽古ちゃんとやってるんだ。俺はプース兄さんの頬をちょんちょん拳でつついた。
「あ、は。うんうん。見たいよなあ。」プース兄さんは笑った。「ミュウビーも、見たいの?」
「あたしは、まあ、見たいですけど、エローシュ様のお世話がありますから、エローシュ様から離れる訳にはいきません。」
「ああ、そうだね。俺はおむつ替えられないしなあ。」プース兄さんは屋敷の吹き抜けを、魔法を使って俺を抱いて降りて行った。ミュウビーも当然一緒だ。一階につくと、吹き抜けのすぐ側にある大きな扉を開けた。すぐに幼い掛け声が聞こえて来た。ポルダー兄さんだ。
ここは道場か何かなのかな?今まであまり気にしてなかったけど、この床って大理石?いや、壁も大理石だなこれ。高い天井の明かり取りの窓から光がふんだんに差し込み、防具を付けたポルダー兄さんと、多分教官のガッシリした髭親父がその中に立っていた。
「あー、プース兄さん!それにエローシュも!」ポルダー兄さんが俺たちに気づいて、剣を鞘に収め、頭の防具を外すと駆け寄って来た。「見てたの?」
「いや、今来たばかりだよ。どうだ、剣も悪くないだろ?」プース兄さんは教官に軽く会釈するとポルダー兄さんを見て微笑んだ。
「う、うん…。そうだね。がんばってると…思う…」ポルダー兄さんは弱々しい笑顔を見せた。そっかあ。
「はは。まあ始めたばかりだからなあ。これから、これから。」プース兄さんは近づいてくる教官に声を掛けた。「久しぶりだね、ドグラル。」
「お久しぶりです、プース様。」ドグラルと呼ばれた髭親父はプース兄さんに一礼をした。
「そういうの、いいよ、ドグラル。そっちが先生なんだから。」とプース兄さんは俺をミュウビーに渡した。
「そちらはエローシュ様で?」ドグラルは俺を一瞥し、眉を上げた。
「そうだよ。エローシュはハイハイがすごく速いんだ。きっと運動が得意だよ。将来有望だよ。」
「それはすごいですね。」ドグラルは一瞬ミュウビーの顔を見て、すぐ俺に視線を戻した。ん?顔強張ってない?
「稽古の邪魔してごめん。エローシュにどんな様子か見せたくてね。ほら、エローシュ殆ど部屋から出られないから。」
「左様ですか。」ドグラルはポルダー兄さんに視線を移した。「どうなさいますか、ポルダー様。もう少し練習されますか?」
結局ポルダー兄さんは俺に見せたいと言って稽古を再開した。始めたばかりなので、基本素振りだけだ。真っ直ぐ剣を振り下ろす練習だ。俺はまたプース兄さんの腕の中だった。
「俺もああやって、小さい頃は練習してたんだ。今はあんまりやってないけど。ベクターもああいう稽古やってる。お前も将来剣の稽古をするんだぞ、エローシュ。剣を振るの、カッコ良くないか?ポルダーはあんまり興味無さそうだけどな。」ポルダー兄さんは一心に剣を振っていた。俺はただ、ぼんやりとそれを見てた。
ああ、そうだ。家族なんだ。俺もポルダーもプースも兄弟だ。ベクターも。パンターもピオールも。バロス、ヘラリー。それにセロンも。そして生まれたばかりのチョロリンも。みんな家族だ。そうだ、俺とチョロリンは家族だ。少なくとも親戚だ。チョロリンが転生してきた赤ん坊なら、俺はまた貴文と出会うことが出来たんだ。日本での貴文は死んでしまったかも知れない。でも、この世界で、また、一緒に…暮らすのは無理かも知れない…でも…。
俺の涙腺が決壊し、プース兄さんは慌てて俺をあやし始めた。




