第6章:条件
店の中は静かだった。
テーブルの上には、王国改革案の紙が広がっている。
王太子アルドリックは、それをじっと見つめていた。
やがて顔を上げる。
「……待て」
レティシアはパンを切っている。
いつもの調子だ。
アルドリックは言う。
「今、君は言ったな」
「一緒にやると」
レティシアは頷く。
「はい」
王太子は驚きを隠せなかった。
「君がやるのか」
それは、王国を作り替える計画だ。
制度改革。
行政再編。
地方分権。
聖女制度の変更。
どれも国を揺るがす。
それを。
この辺境のパン屋で暮らす元公爵令嬢がやると言う。
だがレティシアは落ち着いていた。
「正確には」
彼女は言う。
「支援します」
アルドリックは眉を上げる。
「支援?」
「はい」
レティシアはパンを皿に置く。
「実行するのは王太子殿下です」
「私は設計と調整」
「それだけです」
アルドリックは苦笑する。
「それを“だけ”と言うのか」
レティシアは答えない。
代わりに静かに言った。
「ですが」
アルドリックは身を乗り出す。
「ですが?」
レティシアはまっすぐ彼を見る。
「条件があります」
王太子は思わず笑う。
「当然だな」
「王国改革をやるのに条件なしはあり得ない」
レティシアは紙を裏返す。
そこには三つの項目が書かれていた。
条件①
王妃にならない
アルドリックは固まった。
「……は?」
レティシアは淡々と言う。
「私は王妃になりません」
王太子は思わず聞き返す。
「いや待て」
「そこは普通」
「最初に交渉する場所じゃないだろう」
レティシアは首を傾げる。
「重要です」
アルドリックは腕を組む。
確かに。
王都の貴族たちは、すでに噂している。
元婚約者。
聖女の影響。
そして王太子の訪問。
もしレティシアが戻れば――
王妃になる。
それが自然な流れだった。
だがレティシアは言う。
「王妃は象徴です」
「政治ができません」
アルドリックは黙る。
確かに王妃は政治をしない。
いや、できない。
それは慣習であり、制度であり、空気だった。
レティシアは続ける。
「象徴になると」
「調整ができなくなります」
「だから」
「王妃にはなりません」
アルドリックはため息をついた。
「いきなり王都がひっくり返る条件だな」
レティシアは静かにパンをちぎった。
条件②
王城に住まない
アルドリックはすでに嫌な予感がしていた。
「……次だ」
レティシアは読む。
「王城に住みません」
王太子は天井を見上げた。
「やっぱりか」
レティシアは説明する。
「調整局は独立機関です」
「王権から距離を置きます」
アルドリックは考える。
確かに。
もし調整局が王城の中にあれば。
それは結局、王の役所になる。
そしてまた。
権限が集中する。
レティシアは続ける。
「場所は王都でもいい」
「ですが」
「王城の外」
アルドリックは苦笑する。
「貴族が嫌がるぞ」
レティシアは言う。
「だから効果があります」
王太子は小さく笑った。
確かに。
条件③
権限は制度に帰属
アルドリックは最後の項目を見る。
そこには短く書かれていた。
権限は制度に帰属
個人ではない。
アルドリックはゆっくり読む。
「……つまり」
レティシアは頷く。
「個人の権力にしません」
「調整局の権限は」
「制度のものです」
「私のものではない」
彼女は静かに続けた。
「だから」
「私がいなくなっても」
「回ります」
店の中が静かになる。
アルドリックはその言葉を噛みしめた。
王都はずっと。
誰かに頼っていた。
王。
宰相。
聖女。
そして。
レティシア。
だが彼女はそれを拒否している。
自分が必要な構造を。
最初から作らない。
アルドリックはゆっくりと言う。
「……君は」
「権力が欲しいわけじゃないんだな」
レティシアは首を傾げる。
「欲しいですよ」
王太子は目を見開く。
「欲しいのか」
レティシアは頷く。
「制度の力が」
アルドリックは思わず笑った。
「なるほど」
「君らしい」
レティシアは静かに言う。
「個人の力は不安定です」
「制度は残ります」
窓の外。
風がまた畑を揺らす。
アルドリックは紙を見つめる。
三つの条件。
王妃にならない。
王城に住まない。
権限は制度へ。
それはすべて。
レティシアを特別にしないための条件だった。
王太子はゆっくり言う。
「……分かった」
「その条件」
「受けよう」
レティシアは静かに頷く。
その瞬間。
王国の未来は、
この小さなパン屋で
新しい形に決まった。




