第4章:王太子の理解
店の奥。
小さなテーブルの上には、焼きたてのパンと湯気の立つ茶が置かれている。
窓の外では、辺境の風が静かに木々を揺らしていた。
王太子アルドリックは、しばらく黙っていた。
レティシアの言葉が、頭の中でゆっくり形を取っていく。
――王都は、一人の調整者に依存している。
――それが私だっただけです。
――私が戻れば、また私に依存する。
そして。
――私がいなくなれば、また崩れる。
アルドリックは、ようやく理解した。
問題は、レティシアではない。
レティシアを失ったことでもない。
問題は。
最初から王都そのものだった。
王都は、彼女を必要としていた。
だがそれは、
優秀だからでも、聖女だからでもない。
ただ――
構造が、誰か一人に依存する形だったからだ。
アルドリックは静かに息を吐いた。
「……そういうことか」
レティシアは何も言わない。
ただ待つ。
王太子は続ける。
「私はずっと」
「君がいなくなったから崩れたと思っていた」
彼は苦笑した。
「だが違うな」
「崩れる構造だったんだ」
レティシアは小さく頷いた。
「はい」
「王都は、あまりにも精密すぎました」
「一人が全体を調整する仕組みは、効率的です」
「ですが」
彼女は窓の外を見る。
辺境の村。
煙突から煙が上がる。
人々が歩く。
ゆっくりだが、止まらない流れ。
「壊れた時の修復力がありません」
「だから崩れました」
アルドリックは腕を組み、考え込む。
今までの政治。
王都の仕組み。
貴族たち。
官僚たち。
聖女。
王族。
すべてが、頭の中で組み替えられていく。
そして彼は言った。
「……では」
「どうすればいい」
レティシアは少しだけ考える。
パンを一口ちぎる。
静かな時間が流れる。
やがて彼女は言った。
「仕組みを変えます」
王太子は顔を上げた。
「仕組み?」
「はい」
レティシアはパンを皿に戻す。
そして指で机に小さく図を描く。
「今の王都は、こうです」
中央に一点。
そこから線が伸びる。
王太子。
聖女。
貴族。
官僚。
すべてが、その中心につながっている。
「中心が壊れれば」
「全部止まります」
アルドリックは頷く。
「確かに」
レティシアはその図を消す。
そして今度は、いくつもの点を描いた。
点。
点。
点。
それぞれが線で結ばれている。
「これにします」
王太子は目を細める。
「分散……?」
「はい」
レティシアは言う。
「調整者を一人にしない」
「権限も情報も、分散させる」
「そうすれば」
「一人が欠けても」
「国は止まりません」
アルドリックはしばらく黙る。
それは。
今までの王国とは。
まったく違う形だった。
だが。
理解できる。
理屈は、はっきりしている。
王太子はゆっくりと笑った。
「……君は」
「王都を作り直す気か」
レティシアは首を傾げた。
「いいえ」
「壊れないようにするだけです」
その言葉は、あまりにも静かだった。
だが。
その静かな声の中に。
王国そのものを変える設計図があった。
アルドリックは言う。
「つまり」
「君は戻らない」
レティシアは頷く。
「戻る必要はありません」
「ここからでもできます」
王太子は眉を上げる。
「ここから?」
レティシアは言う。
「王都だけが国ではありません」
窓の外を指す。
村。
畑。
人。
「ここも国です」
「まず、ここから作ります」
アルドリックは息を飲んだ。
その意味を理解したからだ。
王都を変えるのではない。
国の構造を、下から作り替える。
レティシアは静かに言った。
「王都は」
「あとで変わります」
王太子は笑う。
「……革命だな」
レティシアは首を振る。
「いいえ」
そして、パンを一口食べた。
「改修です」
静かな店の中で。
王太子アルドリックは、ゆっくりと頷いた。
彼は理解していた。
今。
この小さなパン屋で。
王国の未来が設計されていることを。




