第7章:お茶
小さな木のテーブル。
窓の外には霧雨。
市場の喧騒は少し遠くなり、店の中は静かだった。
テーブルの中央には、焼きたてのパン。
まだほんのりと湯気が立っている。
そして、素朴な陶器の茶器。
レティシアが湯を注ぐ。
静かな音。
湯気がゆっくりと立ち上る。
王太子は椅子に座った。
王宮の重い椅子とは違う。
少し軋む、簡素な木の椅子。
しかし、不思議と落ち着く。
レティシアがパンを皿に置く。
「今朝の分です」
それだけ言う。
王太子は頷いた。
パンを一口。
外は少し固く、
中は柔らかい。
素朴な味。
だが、確かに美味い。
レティシアが話し始める。
「今年は雨が多いので、小麦が少し心配です」
穏やかな声。
まるで昔の社交場のように、
自然な会話。
「ですが、排水を少し変えたので、去年よりは安定すると思います」
王太子は聞いている。
何も言わず。
彼女は続ける。
「市場も、最近は人が増えました」
「南の村から商人が来ていて」
「井戸も一つ増えたんです」
井戸。
市場。
収穫。
そんな話ばかり。
王都の話は出ない。
王城も。
会議も。
政治も。
そして――
断罪の夜会も。
一言も。
出てこない。
王太子は気づく。
彼女は、
怒っていない。
責めてもいない。
恨みも見えない。
勝ち誇ってもいない。
ただ、
普通に話している。
普通の人として。
普通の町の人として。
それが――
一番苦しかった。
もし彼女が怒っていれば。
もし彼女が皮肉を言えば。
もし彼女が勝ち誇れば。
彼は反論できた。
防御できた。
しかし今、
そのすべてがない。
ただ事実だけがある。
この町。
この市場。
このパン。
そして、
目の前の彼女。
王太子は湯気の立つ茶を見つめた。
その向こうで、
レティシアが穏やかに微笑んでいる。
その静けさが、
彼の胸をゆっくりと締めつけていた。




