第3章:見えた街
辺境領へ入ったとき、最初に王太子が気づいたのは――
道だった。
土の道。
だが整っている。
深い轍がない。
ぬかるみもない。
馬車の揺れが、思っていたよりも少ない。
護衛騎士が小さく言う。
「……走りやすい道です」
王太子は何も答えない。
ただ窓の外を見る。
しばらく進む。
すると前方から荷車が来る。
一台ではない。
二台。
三台。
麦袋を積んだ荷車。
木材を積んだ荷車。
干し草の山。
御者たちは慣れた様子で道を譲り合う。
怒号もない。
混乱もない。
ただ流れている。
王太子は眉をわずかに動かす。
さらに進む。
今度は畑が見えた。
広い。
思った以上に広い。
整然と並ぶ作物の列。
土は黒く湿っている。
畑の間には、細い水路が走っている。
排水溝。
雨水を逃がすための溝。
その配置が妙に整っている。
農民たちが働いている。
疲れてはいるが、痩せてはいない。
むしろ手は忙しそうだ。
王太子は黙っている。
馬車はさらに進む。
やがて街の入り口が見えてくる。
木の門。
質素な柵。
だが壊れていない。
門番が立っている。
その横を、人が行き交う。
商人。
農民。
旅人。
街へ入った瞬間、空気が変わった。
声がある。
人の声。
呼び込み。
値段交渉。
笑い声。
市場だった。
屋台が並ぶ。
野菜。
干し肉。
木工品。
布。
鍛冶屋の金槌の音が遠くで響く。
荷車が止まり、人が荷を降ろす。
商人が帳簿をつけている。
そして。
ふわりと匂いが流れてきた。
温かい匂い。
小麦の匂い。
焼きたての匂い。
パンの香り。
子供たちが走り抜ける。
笑いながら。
手にはまだ温かそうな丸いパン。
王太子の馬車の横を、無邪気に駆けていく。
その後ろを母親が追いかける。
「こら、落とすわよ!」
また笑い声。
側近の一人が、思わずつぶやく。
「……繁栄しています」
静かな声だった。
だが馬車の中では、はっきり聞こえた。
王太子は答えない。
何も言わない。
ただ窓の外を見ている。
市場。
人の流れ。
働く音。
焼きたてのパンの匂い。
そして――
生きている街。
王太子は黙ったままだった。




