08
「やれやれ、相変わらず面白いな……、お前達は……」
デンさんがクラブハウスの壁にもたれ、そのままずるずると座り込んだ。傍らに俺を招き寄せる。
「あんなに薄情で身勝手な奴らだとは思わなかったよ」
「あいつらはきっとお前の事をそう思っているんだろうな」
「デンさんまでオレのことを責めるのかよ」
不満をぶつける俺の言葉をデンさんは笑っていなした。
ポケットから煙草を取り出し、燻らせる。
デンさんは、そんな姿を実家の畳屋にいるときはともかく、グラウンド内では滅多に見せない。
ぽっくりと吐き出した煙が、風に乗りふわふわと散っていく。
「まあ、いずれこうなるだろうとは、思ってたけどな……」
ぽつりとデンさんがつぶやいた。驚いた顔をする俺の頭に手をのせ、ぐしゃぐしゃと撫でる。
「お前らのとこに転校してきたってあの子だろ、上ノ原の……」
「なんで知ってんだよ?」
「春先からお前達が話してたじゃないか……。皆、興味津々といった感じでな……。可愛いもんな」
「し、知らねえよ……、今、関係ねえだろ!」
動揺する俺を前に、デンさんは大声で笑った。
「大体、なんで俺が責められなきゃ、いけないんだよ?」
「そりゃ、お前が責められる事をしたからだろ?」
「ちょっとリンナをウチに迎えようってだけの、どこがおかしいんだよ?」
「そりゃ、お前があいつらの事を分かってないからだろ?」
デンさんは相変わらずの調子でタバコを吸っている。
「あいつらの事ならよく知ってるよ。学校でも一緒なんだし……」
「お前が知ってるってのは、テストで何点とれるとか、足が速いとか、ケンカが強いといったレベルの話だろ? あいつら一人一人がどんな事に悩み、どんな事に喜び、どう頑張るのかってこと、ちゃんと知ってんのか?」
「そ、それは……」
俺は思わず口ごもる。
「まあ。ガキの頃なんて、どいつもこいつもそんなもんだけどな……。いつも自分の事ばかりで自分だけが正しい。そうして後で気付いて後悔する……。変わらんよな……、まったく……」
デンさんがぽつりとつぶやいた。
「知ってるか?」
デンさんは続けた。
「あいつら、なんだかんだ言いつつ、陰ではいろいろ自主トレしてるんだぜ。少しでもうまくなろうってな……」
「えっ?」
思わぬ言葉に顔を上げる。
「ガジの奴はよくシャドーのやり方を聞いてたし、随分とやりこんでる。ノロの奴はそれによく付き合ってるな。ドンはあの通り小柄だからな、自分の唯一のとりえの足の速さをどうにか生かそうと、あれこれ考え工夫し、わざわざ聞きに来たりする。五年の奴らだって休みの日は、連れだって公園でいろいろやってるんだぜ……。六年の足を引っ張らないようにってな……」
「全然、知らなかった……」
「それもこれも原因はお前だ」
「へっ?」
ポンポンと灰を落とすと、デンさんはゆっくりと煙草を燻らせる。
「あいつらがそうなったのはお前が、一人で練習する姿を見てきたからだ。努力を積み重ね、自分なりに工夫し、いつしか四番を任せられるまでになった。そんな姿を見て自分だってやれるに違いない、やってみようと思ったからだ……」
無人のグラウンドの上に仲間達の姿が一人一人思い浮かぶ。誰もが楽しそうに、打って、走って、投げていた。
「皆、お前の事を認めてるんだ。でも肝心のお前が皆の事を認めちゃいない。自分だけが一番だと思ってるから、周りの変化に気付かない。だから、こういう事になっちまう……」
「ちゃんと認めてるよ。あいつらの事は……」
野球は九人でやるスポーツ。一人だけがうまくても勝てるわけではない。
「いや、認めちゃいない。もしも新しいメンバー迎えたとしたら、誰かが、そのあおりを食う。その事実をきちんと考えてるか?」
「そりゃ、仕方ないだろ……」
リンナが入ればガジはファーストに移動する。おそらく五年生の誰かがベンチメンバーになるだろう。
「でも五年の奴らは来年だってあるんだからさ……」
「隠れて練習して、頑張ってるやつらがそれで納得すると思うか。誰かが一人、必ず弾かれる。当事者になった時、そいつはどんな気持ちになるか、考えたことあるか?」
「それは……」
デンさんは次の煙草に火をつけた。プカッと煙を吐きながら、遠い目で続けた。
「ガジも同じさ。あいつだって頭じゃ、分かってるはずだ。お前の言ってることが正しいってな。でも、卑しくもピッチャーだ。はいそうですかって、やすやすと認めるわけにはいかないんだよ」
「なんでだよ?」
「エースナンバーを背負うってのは、そういうものだ。アイツが一番悔しかったのは、ずっと一緒にやってきたチームメートであるお前に信用されてないと感じた事じゃないのか? お前は自分でその気はなくとも、気付かぬうちにアイツのプライドを踏みつけてたんだ……」
言葉を失い、沈黙する。
「いいか、ショウグン、人の心ってのはな、算数の問題を解くようにはいかないんだ」
デンさんは俺を見てにやりと笑った。
「まあ、そんなことが分からないからこそ、ガキで居られるんだけどな……」
なんだかバカにされたようで面白くない。ふくれっ面の俺をみてデンさんは声をあげて笑った。
ひとしきり笑った後で、デンさんが尋ねた。
「しかし、それにしてもやけに肩入れするじゃないか、リンナちゃんだっけ……。やっぱり、惚れたか?」
「違うって言ってるだろ……だから……」
「いいじゃないか、好きな子に素直に好きだって言えるのは、子供時代の特権だぜ!」
「だから、違うって」
そういう茶化され方は大嫌いだ。
「じゃあ、なんだ?」
デンさんの問いに俺は少し考えた。昨日のリンナの話を色々と思い出す。
「なんかさ……、納得いかないんだよ……」
「納得?」
「あんなに実力があるのにさ。それなのに女の子ってだけで、冷遇されたりとかって、なんかさ……、違うって思うんだよ」
「どういうことだ?」
俺は仕方なくリンナに聞いた彼女とエース君の話を、デンさんに語った。
しばらく無言で聞いていたデンさんは、俺が話し終えるとぽつりとつぶやいた。
「そういう事か……、アイツらしいな……」
「アイツ?」
「ん、まあ、ちょっとな……」
暫く俺の顔をじっと見た後で、デンさんは続けた。
「高校の同級生なんだよ。あの子たちの父親とは……」
「マジ……?」
「まあな……」
懐かしそうに遠い目をしてデンさんは笑った。
四月の試合前、デンさんとサングラスのオジサンがネット裏で何やら話していた光景を思い出した。てっきりコーチ同士の話かと思っていたが、そうではなかったらしい。
「同じ野球部でな……。あいつはエース、俺は控えのキャッチャー。もしかしたら甲子園に行って、そのままプロになる奴かも……。そう期待させるほどに、いいピッチャーだった」
煙草を吸い、大きく息を吐き出した。
「でも、運命ってのは無情でな……、最後の夏を前にアイツは肩をやっちまった。それで全ては終わりさ。野球しかとりえのない奴から、野球がなくなっちまえば、周囲はみんな離れていく……。うまい奴の代わりはいくらでもいるからな。俺達はそんなところで夢中になって青春をすごし、その代償を支払った……」
目の前にいるデンさんは、俺の知らない顔をしていた。
「数多の才能の屍を踏みつけた上に成り立っているスポーツ……、それが野球って奴さ。そしてタチの悪い事に一度、その魅力に見入られちまうと、自分が踏みつけられる側だと分かってしまっても、追いかけちまうのさ。悪い女に惚れたマヌケな男のようにな……」
どういえばいいか分からずポカンとする俺を見て、まだまだガキだな、とデンさんは笑った。
「『才能』って言葉がある。俺はあまり好きじゃないがな……。要はスイッチの入り方だな……」
「スイッチ?」
「そう。同じ練習をやって、一回でそれが入る奴と百回やって入る奴、一万回やってようやく入る奴。才能の差ってのは、つまるところその程度の事さ」
よく分からないが、とりあえず頷いてみる。そんな俺の様子にデンさんはにやりと笑った。
「そいつのスイッチを入れてやるのに、今、何が必要なのか……。それを見極めるのが指導者って奴の仕事なんだけどな……。残念ながらどの世界でも、二流どころ、三流どころが、大きな声あげて大きな顔して歩いてるのが、悲しい現実だ。自分で失敗したやり方に固執して、それを教え子に強制し、才能の芽を次々に潰し、負の連鎖を繰り返す。これが正しいやり方だ。こうでなければならないんだってな。要は間違ってしまった自分の人生をどうにか正当化してやろうってことだけが、そいつらの目的なんだな。理にかなわぬやり方を気合と根性論で片付け、後輩たちに過ちを繰り返させ続ける。まったく、救えないってやつさ……」
なんとなくその言葉に棘のようなものを感じた。
「でもな。世の中には時折、そんな二流どころ、三流どころのたわごとを軽く蹴散らしてしまう『天才』って奴らが現れちまうんだな、これが……」
「天才?」
たまにテレビで見かける何ケタの暗算ができるとか、難しい漢字を知ってる、とかいってもてはやされる奴らのことだろうか?
「そいつらは皆、自分独自の感覚を持っている。自分の感じた事に素直に従い、忠実に表現する。だからその姿は自然であるし、絵にもなる。人を引きつけてしまうんだな。リンナちゃん……だったか、あの子のピッチングのようにな……」
「リンナって『天才』なのかよ……」
「この間の試合で俺が見るかぎり、だけどな……」
やっぱりリンナはすごいやつだったらしい。なんとなくそれが嬉しかった。
「俺なんて及びもしない、雲の上か……」
「何、言ってる。お前だってそういう奴らの一人なんだぜ」
「はっ?」
随分とマヌケな顔をしていたのだろう。
「まっ、気付く訳ねえよな、普通……」
「お、俺が天才だっていうのかよ……」
「俺の見る限り、うん、でも、そんな顔されるとちょっと自信がなくなるな……」
ずっこける。デンさんは声をあげて笑った。
「時々、フリー打撃で綺麗なボールを打ち返すだろう。手ごたえが全くないのによく飛ぶ、って首をかしげてたやつ……あれだよ」
それは初めてデンさんに褒められた時のことだった。
「ちょっと、野球をかじった奴なら理屈は誰でも知ってるさ。でもな、それを実行できる奴となると限られる、やっぱり才能の一つってやつなのさ……」
「そ、それは練習をしたからで……」
「当り前さ、努力しなきゃ、いかなる才能も花開かないんだよ。問題なのは『努力』と『忍耐』を履き違えてるやつがあまりに多すぎるってことだけどな……」
よく分からぬ理屈に、俺は首をかしげた。
「お前、よく一人で練習してるだろ? 辛いと思ったことはないか?」
「全然、なんか面白いし……」
「それが『努力』ってやつさ。他人から見て凄く大変そうに、あるいは辛そうに見えても、本人にとっては楽しい、面白い。その瞬間はどんなに辛くとも、最後に大きな喜びが待っている。自分で考え、自分で工夫するから、感覚が開いて勝手にどんどん伸びて行く。逆に嫌な事を我慢し続けるのが『忍耐』だ。ただ言われるがままに、延々と嫌な事を繰り返し我慢するだけだから、ストレスばかりがたまる。当然、才能なんて花開かず、延々と無味乾燥とした時間だけが浪費される。浪費した代償を求め、運動部で後輩いじめに精を出す。あるいは勉強が分からなくて同級生に嫌がらせをする。そういうのは全部、あれが原因だな」
デンさんは、短くなった煙草を地面に押しつけ火を消した。
「じゃあ、頑張って努力し続けたら、俺もプロ野球選手になれるとか……」
「まあ、無理だろな……」
ずっこけた。デンさんは立ち上がり大きく伸びをした。
「そこは頑張ったら、夢はかなうとかって言うのが、大人じゃないのかよ」
「生憎だがな、野球も世の中も、お前が思ってるよりずっと複雑なんだ。それに……」
にやりと俺の顔をみて笑った。
「お前の性格はどうも団体競技向きじゃないってとこが、致命的だな……」
「なんだよ、それ……」
頬を膨らます俺の頭をデンさんがポンポンと叩いた。
「子供の頃の天才ってのは、一瞬の事さ……」
どこか遠い目をして、デンさんは続けた。
「十で神童、十五で秀才、二十歳すぎれば、ただの人ってな……。どんなに優れた才能も、しきたりや偏見というおかしな枠にとらわれ、はめ込まれ、いつしか無残に散っていく。俺の見たところ、この国じゃ才能って花は、望まれぬ場所で咲き誇り、知らずに散っていくものらしい」
「デンさんに才能はなかったのかよ?」
「どんなに頑張っても、俺はしがない控えのキャッチャー止まり、今や過ぎ去った日々を懐かしむだけの、単なる野球好きのおっさんさ」
なんとなくその言葉にドキリとした。
「だからただの野球好きにできる事は、咲き誇る花が少しでも長く咲き続けられるよう、余計な事をせずに黙って見守るだけなのさ……」
デンさんのやり方が、少しだけ分かったような気がした。
「デンさんは、なんで俺達の監督なんかやってんだ?」
「変か?」
「そうじゃないけど……」
なんとなく違和感を覚えた。デンさんが答えたのは、暫くしてだった。
「大人になるってのはな、窮屈で寂しいことなのさ。もうやってられねえ、そう大きな声で叫びたくなる時もある。だから、時々、単純な世界にいるお前らガキ共の相手をしながら、失くしかけた何かを取り戻そうとしてる……のかも知れないな……」
見上げたデンさんの顔に表情はなかった。何かを思い出すかのように遥か遠くを見つめている。
「なあ、デンさん……」
「なんだ?」
「オレ、どうしたらいいんだよ?」
「何がだ?」
「チームの事……」
「素直に謝ればいいだろう? ごめんなさいって……」
「でも……」
「ガジだって言ってたじゃないか。『とめたって、もう遅いからな』って」
「だ、だからさ……」
「分かってないな……。あれは引きとめてくれっていう、アイツなりのサインだろ?」
予想だにせぬ言葉に俺は呆気にとられた。まだまだガキだなとばかりにデンさんは笑っている。
「仕方ないか、これでも一応、大人だからな……。今回ばかりは俺が一肌脱いでやろう」
「ホントか?」
「今回だけだぞ……。それに……、俺も少し気になる事があるからな……」
「気になること?」
「まあ、気にするな。大人の事情って奴だ……」
「あ、ああ……」
デンさんはにやりと笑って親指を立てた。
仕方ない、この場はいったんデンさんに預けるとしよう。
2019/05/21 初稿




