09
ガジ達が戻ってきたのは、それから四日後のことだった。
学校内では暫く無視されていたが、デンさんの説得で戻ってくることにしたらしい。
「悪かった」と頭を下げた俺の姿に、二人はかなり驚いていた。
そして、その日現れたのは、もう一人。
練習用のユニフォームに上ノ原の野球帽をかぶり、髪を三つ編みでまとめたリンナがデンさんとともに現れた。
「今日からウチのチームに、コーチ兼マネージャーで入る事になったリンナだ。大事に扱えよ」
デンさんの言葉に、誰もが驚きを隠せなかった。
学校でそんな素振りすら見せなかったリンナに、俺が慌てた事は言うまでもない。
「よくお母さんが許してくれたな……」
「デンさんが来てね、説得してくれたんだ。というよりあれは、丸めこんだのかな……」
デンさんは一体、何をしたんだろう。
「ところで、なんで黙ってたんだよ。チームに入る事……」
「びっくりした?」
「当たり前だろ」
「よーし、大成功!」
小さくガッツポーズをするリンナに、俺は呆れた。
「こらー、ショウグン、いつまでもイチャついてないで、さっさと守備につけ!」
気付けば皆、それぞれの場所へと散っている。
その日のデンさんは、やけに横暴だった。
バットを手にするや否や、俺達に千本ノックの雨を降らせた。どういう訳だか、いつもならすぐに音をあげるドンちゃんまでもがボールにくらいついていく。きっとデンさんの傍らでボールをトスするリンナの存在のせいだろう。
はじめこそぎくしゃくしていたが、新入りに舐められてはたまらないとばかりに練習に励むうちに、俺達はいつもの調子を取り戻していた。
それから数日――。
リンナの加入によって俺達のチームは、少しずつ変わり始めていた。
いつもなら途中でなんとなくだらけかける練習の空気は、終始緊張し、限られた時間の中で誰もが練習に集中する。
なれないサーキットトレーニングを、皆で悲鳴を上げながらこなし、もつれる足でベースランニングに挑む。
フリー打撃の投手を買ってでたリンナは、持ち前の速球を気持ちよく投げ込み、俺達を翻弄した。
特に俺に対しては容赦なく、どうやら練習で自信を失わせるつもりらしい。やはりリンナがウチに入った真の目的は、弟の援護に違いない。
練習の負荷は日ごとに高まっていたが、不思議とその事に文句を言う者はいなかった。
いつしか、練習が終わった後の仲間達の顔には、充実感と自信がみなぎりはじめていた。
「なんかさ、俺達って、強くなってない?」
時々、誰かが思い出したようにそんな言葉を口にした。そしてそれが実証されたのは、月の半ばに行われた六月度の試合だった。
一回戦、二回戦ときわどいながらも勝ちを拾い、準決勝へと初めて駒を進めた。そこで俺達は、上ノ原と同じく強豪といわれるチームに完敗した。
大きなミスこそなかったが、地力そのものが違う潔い負けっぷりは、逆に俺達を発奮させた。
「相手は同じ小学生なんだぞ。大した差なんてないはずだぜ」
相手チームに小学生離れした体格の持ち主が一人いたことを無視して、デンさんは俺達を焚きつけ、俺達はそれに素直に乗せられた。
その傍らで、真新しい見和小チームのユニフォームを着たリンナは、スコアブックをカバンの中にしまっていた。
その背にはデンさんと同じく背番号はない。ぽっかりと空いたその背中を目にして、俺はなんとなく居心地の悪さを感じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
翌週の日曜日――。
練習休みのその日に、俺はリンナを誘って自主トレをすることにした。
場所はいつもの見和小グラウンド。
早朝ソフトが終わった頃を見計らっての時間帯である。
梅雨空になりかけた空は、少しばかり曇っていた。明日あたりから本格的に降りだすだろうというのが、当たらぬと評判の天気予報である。
ジャージ姿に三つ編みの彼女は、俺達、見和小チームの野球帽をかぶっている。
「なあ、リンナ、野球……、楽しいか?」
キャッチボールを終えて汗をふくリンナに俺はふと尋ねた。
「楽しいよ。身体動かせていろいろすっきり出来るし……。どうかしたの?」
リンナは首をかしげた。
先週の試合での光景を思い浮かべる。
二回戦の最終回、五回の裏。一点差でありながらワンアウト満塁。長打一つでサヨナラのピンチに、俺達は追い込まれていた。
デンさんの隣でスコアブックをつけていた彼女は、控えの四年生達と一緒に大声で応援していた。でもその姿に、今すぐにも飛び出していきたいという、そんな感情を感じた。
幸いその場は内野ゴロ、ゲッツーで試合終了となった。
その時、リンナが投げれば……、そんな風に思ったのは、もしかしたら俺だけではなかったのかもしれない。
今のままでは、俺達がリンナを利用しているだけのような気がして、どうにも居心地が悪かった。これではリンナを冷遇したという上ノ原チームよりもタチが悪い。
「あのさ、試合で投げてみたいとか……、思わないのか?」
俺の言葉に一瞬、リンナは目を見張る。わずかにうつむくと口を開いた。
「思わないよ……、全然……」
「ホントか?」
「やだな……、思ってないよ……」
「ホントにホントか?」
食い下がる俺をリンナは少し驚いたような顔で見る。やがて視線をそらすとぽつりとつぶやいた。
「へへっ、ばれちゃってたか……。やっぱり……」
少しだけ寂しそうな顔をする。リンナのそういう表情は好きではなかった。
「ゴメンな、俺がチームに入ってくれって言ったばかりに……」
リンナは首を横に振った。
「ちがうよ。私、このチーム、気に入ってるんだから……」
「そうなのか?」
「うん」
彼女は一つしっかりと頷いた。
「私、結構、大事に扱われてると思うな、皆に……」
バッグから水筒を出し、コップを口にする。
「向こうは人数が多いでしょ。だから、色々と競争が激しくてね……」
野球は九人でやるスポーツ。一試合に登録される人数も限られているから、当然、あぶれる者が出る。
「実力があって女の子だから、生意気だってね。道具を隠されたりしたこともあったな……。結局、やった子の事を弟がぶん殴っちゃたんだけどね……」
「マジ?」
「うん、親同士もいろいろあるんだよ。監督やコーチに取り入ったりとか……。皆、そういうの知ってて、それでも素知らぬふり、みたいなね。何年か前には分裂の危機もあったとか、なかったとか……」
「なんか……、すごい世界だな……」
『野球も世の中も、お前が思ってるよりずっと複雑なんだ』
デンさんの言葉が思い出された。大所帯には大所帯なりの苦労があるようだ。
「それにね……、デンさんにも、言われてるんだ。しばらくはこらえてくれって……」
「デンさんが?」
リンナは一つ頷いた。背番号が与えられていない以上、リンナは登録メンバーにも入れない。
「ほら、やっぱりチームじゃ新参者だし……。それに……、私の事でキミもチームの子達と色々あったんでしょ? デンさんに聞いたよ」
「もう、終わったことさ……」
思い出しても冷や汗ものだった。でもあの出来事のせいで、雨降って地固まったような気もする。
「ゴメンね、その……、迷惑かけちゃって……」
「別にいいよ、リンナは何も悪くない……」
勝手に暴走して、勝手にしくじったのは俺である。リンナは小さく微笑んだ。
「それにね、今は、野球をして、身体が動かせてるだけで、とても幸せなんだ……」
「そうなのか?」
こくんと一つ彼女は頷いた。
「こっちに来てからはさ、学校が終わっていつもお母さんと一緒なんだよね。二人だけだとなんかお互いにイライラして、ケンカになっちゃうし……」
世間でいうところのベッキョとかリコンとかいう事態に、リンナが巻き込まれている事を思い出す。
「クラスの子達も、うすうす気づいてるみたいだしね……」
狭い町である。そういった噂は人の耳に入りやすい。
「だからさ、こうやって誘って連れ出してくれるのは、嬉しいんだ……」
リンナはにっこり微笑んだ。曇天には似合わぬ明るい笑顔だった。なんとなく嬉しくなる。
「そういう事ならお安い御用だよ。毎週だってかまわないぜ、俺は……」
「ホント? 約束だよ……」
「オッケー。じゃあ、俺達が引退するまで、自主トレは一緒な……」
リンナが差し出した小指に自分のそれを引っかけ、指きりをする。少しばかり照れ臭かった。
にっこりほほ笑むリンナの視線を避けるように、慌てて立ち上がり、トスバッティング用のボールをとりだそうとクラブハウスの扉を開いた。
「リンナ、これ、持ってって!」
だが、外にいるはずの彼女の返事がない。
「リンナ?」
ドアから外をのぞくと、リンナはドアのすぐ傍に立ったまま、グラウンドの向こうを見つめていた。
「あっ……」
小さく叫んで、リンナは口元に手をやった。
2019/05/24 初稿




