06
練習を中断し、俺達はクラブハウスへと向かった。カバンから水筒を取り出したリンナは、俺にお茶を分けてくれた。
リンナが口を開いたのは、それからしばらくしてだった。
「私ね、弟がいるんだ……」
「弟?」
「うん、知ってるでしょう? ウチのエース……」
瞬間、上ノ原の背番号1番の嫌味な顔が脳裏を過った。
「ちょっと待て、弟って……、同級生?」
「私達、双子なんだ……」
意外な事実を告白する。小学校に入ったとき、同じ顔をした双子の姉妹が並んでいた事に、大きなカルチャーショックを受けたのを思い出す。
「あれ? 双子なのに……、リンナだけ……」
訳が分からず困惑する俺に、リンナが小さく微笑んだ。
「お父さんとお母さんがケンカしちゃってさ、別々に暮らす事になったんだ、私達……」
ヘビーな事実に、俺は言葉を失った。誰にも内緒だよ、とリンナは小さくつぶやいた。
「お父さん、チームのピッチングコーチしてるんだ」
「ピッチングコーチ?」
その言葉は、確かプロ野球とかいう世界の話だけだとばかり思っていた。
「じゃあ、もしかしてあの黒いサングラスのちょっとカッコイイ人が、リンナ達の……」
一月前の試合で、上ノ原のピッチャー陣の後ろで腕組みをしていたおじさんの姿を思い出す。
「家の中じゃ、だらしないんだよ。お腹出して寝てたり、平気でおならしたり……」
その辺は俺の父親も同じだろうか?
「実を言うとね、私、ショウグンに謝らなきゃ、いけないんだ」
「謝る?」
「ほら、この間の試合のデッドボール……」
「ああ。あれね……」
すっかり治ってるはずの痛みが、ふと思い出された。
「あれ……、実は、わざとなんだ……」
「やっぱり、そうかよ……」
あのボールには確かに悪意が込められていた。大体、他人にボールをぶつけておきながら、帽子すら取らないのは、マナーに反している。
「あのインケン野郎め……」
「ゴメンね、我が弟ながらとても情けない話で……」
「別にいいよ、ぶつけたのはリンナじゃないんだし……」
「ホントにゴメンね……」
弟をかばって代わりに頭を下げる姉の姿が、なんとなく面白くなかった。
「もういいさ、済んだことなんだし。それに次こそはリベンジを……」
リンナがくすっと笑った。
「実はね、こっちに来るって決まった時、その弟に頼まれたんだ。ショウグンって奴の事、調べてきてくれって……」
「俺の事? なんでだよ?」
「私も興味あったし……。見和小チームって結構有名なんだよ。ゲーム中の野次が面白いって……」
思い切りずっこけた。確かに、俺達が実力のみで有名になることはないだろう。
「いや、そりゃまあ……ウチはチームの伝統みたいなものだし……」
チームに入って最初に教えられるのは、ランニングでもキャッチボールでもなく、野次の飛ばし方だった。
声を出すことで、瞬間の反応が速くなるのは周知の事実だが、ウチのチームはさらにそこに野次が加わる。やらなければ先輩風を吹かせる奴らに文句を言われるのだから仕方がない。尤も去年やり過ぎて、相手チームから二、三度クレームがきてしまったのは、苦い思い出である。
「それにしても、野次が有名なチームって……」
「それだけじゃないんだけどね。何をしてくるか分からないチームだって。特に背番号8番は……」
「何だよ、それ……」
8番。それは今年の俺の背番号である。
「つまんない球を三振したかと思ったら、難しい球をホームランにしちゃうし……。ファインプレーした直後に、凡ミスするし……」
「それ、誉められてるのか?」
「半々だね」
リンナは面白そうに笑っている。
「でもここのチームって、なんだかいつも楽しそうなんだよね……」
「楽しそう?」
「楽しそうにのびのびと野球しているっていうのかな? ほら、よくいるでしょ。失敗したからって大声で怒鳴りつけたり、試合に負けたからって、正座させたりとかさ……」
「ああ、成程……」
たかが子供の野球ゲームに熱くなりすぎた大人達の暴走で、肝心の子供たちが、すっかり委縮してしまっているのは、よくあることである。親同士の軋轢が、子供たちのチーム内にまで不協和音を生み、ぎすぎすしたチームになることもあるらしい。
「ウチのお父さんも結構、熱くなっちゃう方だからさ……特に野球のことになるとね……」
リンナは少し寂しそうに微笑んだ。
「ショウグンってさ……、いつ野球を始めたの?」
「四年の時かな……」
運動神経のよかった同じクラスの奴に誘われて、なんとなく入ったのがきっかけである。俺を誘った奴はすぐに辞めてしまったが、そこで仲良くなったやつらと一緒に、なんとなく続けていた。
もともと運動は苦手な方で、やめようと思った事など幾度もある。運動部特有の理不尽な上下関係は、やっぱり好きになれない。
そんな俺を野球につなぎとめたのは、フリーバッティングでいい当たりをしてデンさんに褒められたことだった。
その時の不思議な手ごたえをもう一度味わいたくて、いつの間にかバットを振るのが日課になってしまった。
「リンナはどうなんだよ?」
「私は……、ううん、私達はずっと小っちゃいときからだな……」
それは双子の弟のエース君も一緒だったということだろう。
「物心ついた頃にはもう傍にボールとバットはあったかな、ほらプラスチックの玩具の……」
「たまに掃除用具入れで見かけるやつね」
誰かが持ってきては、休み時間になると廊下で三角野球をする。
パナミ達女子の告げ口でビビコに取り上げられると、バットは箒になり、プリントを丸めてボールを作り、プロ野球選手の物真似をしたりする。すっぽ抜けた箒がガラスを割って、大目玉をくらうのは日常茶飯事。箒がダメなら最後は手でひっぱたく。
野球はなんとなくいつも身近にある遊びだった。
「昔から私の方が運動神経よくてね……。でもお父さんが期待したのはいつも弟の方だった。ほら、男の子だからね……」
男の子という言葉の中に、リンナの複雑な感情が混じっていた。
「弟もね、覚えは悪いけどやればできる子っていうか……。お父さんの期待に一生懸命に答えようと努力して……。私達はいつも一緒にいる事が当たり前の……、お互いに必要な練習相手だったな……」
懐かしそうな表情を浮かべる。
「仲、いいんだ」
「それが、全然!」
リンナは笑う。
「ケンカなんて日常茶飯事だよ。よくボールの投げ方のコツなんての聞いてくるんだけどさ、そんなの分かんないんだよね……」
立ち上がり、振りかぶってシャドーをする。相変わらず無駄も無理もない綺麗なフォームだった。
「どこに力をいれるとか、どんなタイミングで投げてるのか、とかさ。細かい事、聞かれてもね……。投げた瞬間に、キモチイイって感覚がある時は、たいていうまく行くっていったら、そんなの分からねえっとかいって怒りだすし……」
せっかく教えてあげてるのにさ、とリンナはプンとむくれた。エース君は意外に悪い奴ではないのかもしれない。
「じゃあ、エース君よりもリンナの方が速いってことか?」
「今のところは……ね」
複雑そうな表情を浮かべる。
「子供のころは、いつも私の方が上だったんだけど、身体が大きくなり始めて、最近はどんどんその差が縮まってきてたんだ。そのうち抜かれるのは時間の問題だろうな……。ずるいよね、男の子って」
多分、リンナの気持ちは俺には分からないだろう。
「エースナンバーをどっちにするかって時も、結局、男の子ってことで弟が持って行っちゃったし。チーム内でも女の子ってだけで色々とね。なんか最後の方は野球が嫌いになりそうだったな……」
確かあの日のリンナの背番号は、10番だった事を思い出した。
「昨日の試合見に行った時ね……。たった一カ月離れただけっていうのに、もう、あそこに私の居場所はないんだって思い知っちゃった。私の代わりなんていくらだっているんだよね、あそこには……」
少しだけ泣きそうな顔をしたリンナは向こうを向いてしまった。そのまま何かを振り払うようにシャドーをする。
「それでもね、弟はいつも練習頑張ってたからさ、まあいいやって感じで……」
それでも彼女はエース君の姉なのだ。
「実はね、この前の試合の時、投球練習の後で珍しく私のところにやってきて、なんか分かったかもしれないとかいって、はしゃいじゃってさ……」
多分、感覚をつかみかけてたんだろうね、と振り返ったリンナは笑った。
「でも、自信を持ちかけてたところを、いきなりホームランにされちゃって……」
「ひでえ奴がいるもんだな……」
空気を読まずに他人の努力をあっさり水泡に帰した見知らぬバッターを非難する。リンナがにっこりと満面の笑みを浮かべた。
「それがキミなんだよね、ショウグン!」
目が点になる。
デッドボールの意味がようやく分かったような気がした。
「ホントにひどいやつだよねえ……」
リンナは悪戯っぽく囁いた。
「その……、ゴメンナサイ……」
リンナは大爆笑する。
「いいよ……、勝負だもん。打たれちゃうのが悪いんだし……」
「そ、そうだよな……」
「それに弟の仇は、姉の私がやっつけちゃったわけで……」
ペロッと舌を出す。一番すごいのはやっぱりリンナだったという訳だ。
そんな凄い奴がすぐ傍にいる。やっぱりこのままでいい訳がない。だから俺はもう一度尋ねてみた。
「なあ、やっぱりウチで野球やらないか?」
「えっ、それは……」
リンナの中に迷いの表情が見えた。如何にか首を縦に振らせようと、俺はたたみかける。
「うちのチームなら即レギュラー、いやエースだって夢じゃない、それに弟も父親もいないわけだし。今度こそ自由にやれるんだぜ!」
だが、リンナは決して首を縦に振ろうとはしなかった。やがて絞り出すように口を開いた。
「お母さんがね……いい顔しないんだ……。だから……ごめんね」
それは、俺達子供にとって、どうしようもなく重い一言だった。
2019/05/15 初稿




