04
目を覚ましたのは保健室のベッドの上だった。
――なにがどうなったんだっけ?
リンナと視線があったところで記憶が綺麗に途切れている。鼻が妙にジンジンするのは何故だろう?
よろよろと起き上がろうとしたその時、声をかけられた。
「大丈夫?」
俺の顔を心配そうにのぞきこんだのは、リンナだった。
「オレ、どうなったの?」
半身を起して室内を見回す。保健室の中にいるのは体操着姿のままのリンナだけのようだった。
扉の向こうから誰かの怒声が聞こえてくる。
「えっと、その、ね……」
なんとなく言いにくそうにしながら、リンナが続けた。
「おぼえてないの、ショウグン。ほら、ボールぶつけられちゃって……」
「そういえば、そんな気が……」
これでもかと言わんばかりの悪意が、ボールに込められていたのは間違いない。
「で、そのまま倒れて、かつぎ込まれたの。結構、大変だったよ……」
彼女は小さく苦笑いした。
ふと、扉の向こうで怒声が聞こえた。
『生徒が倒れているというのに、ガッツポーズをして喜ぶとは何事ですか!』
怒っているのは教頭先生らしく、怒られているのはビビコのようだ。いい気味である。
「……たく、ビビコの奴、少しは手加減しろっての……」
ソフトボールという競技が、一人のプレーヤーをあのような暴君へと育て上げてしまったのだろうか。
リンナがクスリと笑った。
「仕方ないよ、ショウグン、ミミ先生の彼氏によく似てるんだって!」
「ちょっと待て、一体どういうことだ!」
「えっと、それはね……」
ネタ元は、ビビコ経由でパナミのようだ。リンナが面白そうに続けた。
「生意気なとことか、身勝手なとこがそっくりなんだって。今のうちに矯正しとかないと、将来どんなワルになって女の子泣かせるか分かったもんじゃない、ってところかな?」
「そんなことで、俺は理不尽な仕打ちを受け続けていたというのか!」
ベッドの上で一人憤慨する。
あの理不尽な目玉焼き事件の真相をようやく理解した。ビビコのやつ、江戸の敵を長崎で討ち続けてきたという訳か。
「チクショウ、いつか、教育委員会にチクッてやる!」
「えー、かわいそうだよ……。ミミ先生、優しくてとってもいい先生だよ!」
「かわいそうなのは俺の方だ! いいか、ああいうのを極悪人っていうんだ!」
教員採用試験というのは問題だらけの制度のようだ。俺達が大人になる頃には、きっと学校や教育界は大変な事になっているに違いない。
――そういえば……。
ビビコに同情的なリンナの顔を見ているうちに、ふと、大切な事を思い出した。一刻も早く確かめなければならない。
ビビコごときのあれこれなど所詮、些事である。
「リンナ……、あのさ……」
「なあに?」
小首をかしげる彼女。その長い髪は無造作にゴムで束ねられたままである。
「リンナってさ、上ノ原の抑え……やってたよな……。この間の試合で……」
確信があった。
彼女が登板したのは最終回。そして俺が彼女と対峙したのはわずか三球だった。
それでも野球を始めて以来、目にしたどのピッチャーよりも、投球フォームがきれいだったのが印象的だった。
投げるボールが違うとはいえ、ドッジボールを投げた瞬間の綺麗なフォームは確かに同一人物のものだった。
暫し、俺をじっと見つめた後で、彼女は小さく舌を出した。
「へへっ、ついにばれちゃったか……」
「なんで、教えてくれなかったんだよ……」
「だって……、面白そうだったし……。皆も面白がってたし……」
にっこりとほほ笑んだ。どいつもこいつもチームプレイの精神の使い方を絶対間違えている。
「すぐに気付くと思ったんだけどな……」
なんとなく不満そうなリンナ。
「無茶言うなよ」
レギュラーと補欠を合わせてようやく11人のウチに対して、上ノ原には五十人近いメンバーがいる。試合の時は、ベンチの向こうは父兄の大応援団で盛り上がっていた。
「私はすぐに分かったけどな……、ショウグンのこと……」
「えっ、そうなんだ……」
多分、あの夕方に出会った時の事を言っているのだろう。
「でもさ、なんで見和小なんかにいるんだよ?」
「えーと、それはね……」
リンナが言い淀む。それまでの饒舌さが消え、黙り込んでしまった。
気まずい沈黙が訪れる。
不意に保健室の扉がガラっと開いた。
入ってきたのは保健の先生と、ビビコ、そして教頭先生だった。
「頭は痛くない? 気分はどう? 吐き気はしない?」
保健の先生が俺に尋ねた。
「大丈夫だと思います……多分」
鼻と股間が少し痛い事をこの場で言うのは、ちょっとばかり恥ずかしかった。
「悪かったわね……、私も少し調子に乗りすぎたわ」
珍しく殊勝な態度でビビコが反省の言葉を口にする。明日はきっと大雨に違いない。
教頭先生が割って入った。
「とにかく動けるならすぐに、病院に連れて行きましょう」
なんだか話が大げさになってきたような気がする。
「でも、そこまでしなくても……」
不服そうなビビコを、教頭が睨んだ。
「これは、責任問題です。生徒に万が一のことがあったら、どうするつもりですか!」
語気の荒い教頭を前に、ビビコはすっかり小さくなっている。
ああ、これが人並みの扱いなんだ、と思わず感動する。
とはいえ、いつもの半分程度にサイズダウンしてしまったビビコが、少しばかり気の毒な気がした。教頭が続けた。
「君、とにかくすぐに準備しなさい。病院にはこれから私が連れて行きます。保護者への連絡はお任せします」
「は……はい……」
大人の都合とやらで、俺は保健室から連れだされることとなった。
そして、リンナとの会話はそのままうやむやになってしまった。
2019/05/09 初稿




