第二章。ダンシンク・ナイト・フィーバー
ウイリアを出発し三日目の夜。
――三日目だ。
まだ全然、行程でいったら半分。到着前だ。
てっきり目的地まで飛んでいるものと思っていたが、そうは問屋は卸さない。
行程をすっ飛ばして目的地に着けるほど甘くない。
だが、これはもっと別の力が働いている気がする。
誰かの思惑――もっと大げさに言うなら世界の意思か。
淫ぼ――いや、陰謀か。
じゃなければこんな状況になっているわけがない。
これは罠で、陰謀で、策略で――。
「ちょっと、聞いてるの?」
「えっ!? あ、うん、き、聞いてるよ?」
僅かに声のトーンを落としたニーヤに、慌てて返事を返す。
真っ暗な馬車の中。目の前にはニーヤの背中。
昼夜交代で馬車を走らせているから、モミさんとペロ様は御者台だ。
つまりは二人っきりなわけだが。
「だから――鎧解除してあげようかって聞いてんの」
話は少し前に遡る。
運転を代わり、馬車に戻ってさぁ寝ようと言う時だ。
「鎧――解除してあげようか?」
ニーヤが聞き取れるギリギリの声量で、背中を向けたままそう言った。
寝るといっても、ベッドがついているわけじゃない。
敷き詰めた藁の上に毛布をしいて、その上での雑魚寝だ。
そのため、わざわざ着替えるわけもなく。鎧を脱ぐ必要は全くない。
だからどうしてそんな事を言い出したのか不思議がっていると、
「だって――その……溜まってるんでしょ……」
と言った。
そして、僕の思考は停止したのだ。
いや、前兆がなかったわけじゃない。
ナギさんの家での一件から、どこかよそよそしい雰囲気はあった。
僕の身を普段より気遣っていた感じもあったし、御者台に二人で座っていても、あまり話は弾まなかった。
まさかそれが全部この伏線だったとは、一体誰が気づくだろう。
少なくとも僕は気づかない。気づかなかった。
――で、僕は陰謀説に逃げた。
でも、逃げてばかりではいられない。
逃げるが勝ちと言う言葉もあるが、今はその時ではない。
だから、僕は逃げない。
男らしく、決断する。
「いや、遠慮しておくよ」
――英断。再び。
「え? ほ、本当にいいの!? だってアンタ、爆発したら死んじゃうのよ!?」
……そうだ。忘れていた。
僕は知ってしまったんだ。精のエキスパート、サキュバスのナギさんのおかげで知ったんだ。
考えてみれば、極単純の話。同じ出口を持つ膀胱だって破裂するんだ。
破裂しないはずがない。
テクノブレイクは、過発電ではない。
我慢の限界を迎えた、一人遊びの知らない純粋な青少年の死因なのだ。
だが、安心して欲しい。
出してないからと言って、早まって股間に手を伸ばす必要はない。
我々人間は、神が計算して創られた精密機器だ。ちゃんと安全装置がついている。
もうお分かりだろう。聡明な我々なら分かるだろう。
そう。夢精である。
男子なら誰でも持ち合わせている潜在型のパッシブ・スキルだ。
その効果は、憂鬱な朝を連れて来るだけじゃない。
枕を濡らさずパンツを濡らすだけじゃない。
『テクノブレイクを阻止する』優秀なスキルなのだ。
ん? 僕? していない。
ワーワルツに来てから約三ヶ月、幸いにも憂鬱な朝は来ていない。
…………。
ま、まぁ精密機械だって不具合はあるさ!
だから、あまり頼り過ぎるのもダメだって事だね!
目視触診自己管理は大事だよ!
「寝たの……?」
「えっ!? あ、いや、起きてるよ」
背中を向けたまま、ニーヤが肘で僕をつつく。
その仕草も何だか可愛らしく、彼女が女の子だって事、そして僕達が手の届く距離に居る事を再認識させる。
「ホントに……いいの……?」
「えっ!? あ、だ、大丈夫だよ! 身体が覚えてるし! い、いざとなったら早いんだぜ!
『早撃ちケンちゃん』って呼ばれるくらいだ! テクノブレイクに負けたりしないよ!」
「テクノ……何? 何の話? ちょっとアンタ、ホントに大丈――」
「っ!」
テンパった僕の言動が、ニーヤを振り向かせた。
彼女の瞳が。鼻が。口が。すぐそこにある。
心臓が跳ね上がると共に、危険を知らせるアラートが鳴り響く。
これは――頭突きの射程内だ! 衝撃に備えろ!
目を瞑り、歯を食いしばる!
だが――衝撃はこない。
恐る恐る。瞳を開けた僕が目にしたのは、彼女の――寂しそうな顔。
「あ、アタシじゃ……イヤ……かな? やっぱり……」
「なっ!? い、いや、そんな事ないよ!」
「だって……イヤそうな顔してたし……」
「えっ!? いや、それは誤解で……」
くそっ! 何だこれ! 何なんだこれ!?
やはりこれは淫ぼ――陰謀だろう!?
だって、ニーヤがこんなに可愛いはずがない!
これは罠で、陰謀で、策略で――。
「だったら……させてよ……」
決して静かではない馬車の中。彼女の声だけが鮮明に聞こえる。
「アンタ――さ、いつも誰かの為に頑張ってる。だから……アタシにも……アンタのために……させてよ……」
それを断れるほど、僕は大人でもなく、
「……お願いします」
子供でもない。
「じゃ、じゃあいくわよ……」
ニーヤの手がプレートに触れる。
繰り返し短剣を握り締めたその手は、少しだけ硬いけれど、やはり女の子の手で。
優しく撫でられるたびに、身体が僅かに揺れる。
鎧が消えたのは、一瞬だった。
「や、やっぱ待って! ちょ、ちょっと……恥ずかしい……」
ニーヤが逃げるように背中を向ける。
暗闇に慣れた瞳が、彼女の汗ばんだうなじを認識する。
――モクヒョウカクニン。シンゲキカイシ。
「ふえっ!?」
右手を彼女の首元に滑らせ、左手を彼女の脇腹から前方へ。
後ろから抱きしめるような体勢。
ニーヤの肢体を完全に拘束した――かと思いきや、その両手は彼女に触れていない。
ギリギリ理性がブレーキをかけているが、捕捉している。
「ご、ごめん! 身体が勝手に!」
この言葉で全てが許されると思ってはいないが、実際そうなのだ。
こればかりはどうしようもないのだ。
「は、外してくれるかな……? 僕の意思じゃ……無理っぽい……」
最後の理性を振り絞る。
前方に控えた両手が、いつ彼女に襲い掛かるか分からない。
ニーヤなら易々と押さえ込めるはずだ。
「……いいよ」
だが、彼女の返事は想定外で。
その強張った身体から力が抜けた時。
易々と。
「イヤじゃ……ないから……」
最後の理性を吹き飛ばす。
「んっ!」
首元にかじりつくように、彼女の汗ばんだうなじに鼻を押し付ける。
立ちこめる芳香をかき集め、鼻腔を満たす。
僅かにめくれ上がった服の隙間に手を差し込み、浮き出た第十肋骨の丘をなぞる。
彼女が押し殺した声の隙間から漏れる吐息が僕の欲望を加速させる。
「えっ!? ちょ、ちょっと! ソコはダメだって!」
目標を切り替え、進軍を開始した僕の鼻が足止めをくらう。
脇が閉じられているのだ。
でも、進軍は止まらない。
閉じられた脇を強行突破しようと、地中に埋まったトリュフを探す豚のような行為をやめられない。
止められない止まらない。進撃の鼻。
その先に何があるのか、それは誰も知らない。
「ちょっ! ダメっ……だっ……て!」
彼女の防衛本能が、容赦のない肘鉄を放たせる。
至近距離から、後方に向けた的確な一撃。
「!?」
本能を上回る欲望。
僅かな体重移動だけでソレをかわす。そして、その勢いを利用して体勢を変える。
ポジションを移動する。
仰向けになった彼女の上に。
視野が広がる。眼下に望む二つの膨らみ。
重力に逆らうように突き上げた、まるで彼女自身を象徴するようなソレは、扇情的にめくれあがった布によって、その姿を僅かに晒している。
この手で、いや、この鼻で。布を軽く押し上げてやるだけで。
それだけで――中心部まで辿り着ける。
――時間が止まった気がした。
隠された中心部から視点を移動し、僕を見つめる彼女の瞳を見た瞬間。
その赤い瞳はまるで、ギリシャ神話のメデューサ。
僕の身体は硬直し、吹き飛んで四散した僕の理性が再び構築される。
「あ……僕……」
見られた。
彼女の胸部を凝視する僕を、彼女は見ていた。
どうすればいい。こんな時どうすればいい。僕は知らない。
だが、知らないという事は――知る事が出来るという事だ。
知っている事は知れない。知らない事は知れる。
それが――経験だ。
彼女の目が逸れる。
彼女が目を逸らした。
僕は、それで知った。悟った。
こんな時どうすればいいのか。どういう行動を取ればいいのか。
目を逸らすという後ろ向きな行為が、決して拒絶の意思の表れじゃ無い事を僕は知った。
彼女が――教えてくれた。
身をゆだねるように、目をそらした彼女。
メデューサの呪いも解けた。
そして、僕も身をゆだねた。
「なっ!? ええっ!? な、なんでそっちなのよ!」
エンジョイ! 僕は嗅ぎ続ける!
「ちょっ! ダメだって! その……してないから!」
心躍る! おかわり《アンコール》! ダンス! ダンス! ダンス!
「あっ、アンタ! こっ、腰っ!? なっ、なんか当たってる!」
ゴーイング! 強引! 卒業より――僕は嗅ぎ続ける!
「ちょっ! ホントっ……いい加減にっ」
エンジョイ! エンジョイ! もうちょっと! もうちょ――。
「いい加減にしろおおおおおおお!」
射出。
限界まで溜めたそのパワーは、僕の身体を射出させた――馬車から。
「え……?」
何が起きた。馬車が遠ざかっていく。いや、僕が遠ざかっているのか?
空を飛んでいる。宙に浮くような快感?
いや、快感はない。あるのは腹部に感じる激痛だけ。
何が起きた? 何が起こっている?
それは誰も知らない。
僕の意識は、そこで途切れた。




