第二章。お喋りは触られる。
どれくらい経っただろう。
誰も何も言えず、重苦しい雰囲気の中。
「娘は好きにしろ。連れて行きたいなら連れて行けばいい」
ミーが呟くように言った。
「だが忘れるな。その行為に正しさはない。もちろん悪でもない。善悪を決めるのは、俺でも、お前でも、世の中でもない。それを決めるのはいつも――結果だ。お前なら分かるだろ?」
ああ――分かるよ。
僕は絶望岬でさっきの少女達を救った。だが、それだけだ。
僕に救われた少女は、今目の前にいるミーが救っている。
僕がいなかったら、少女は今頃絶望の淵に立っていたかもしれない。
ミーがいなかったら、少女は救われていなかったかもしれない。
僕達がいなくても、少女は救われていたかもしれない。
全ての事象に干渉する事は出来ない。
僕達は無力で、結果には抗えない。
「こんな時……つくづく思うよ。俺にもっと力があれば、世界を変えるだけの力がってな」
彼女が語った心の内は、僕と同じだった。
「最後に一つ、これは俺からの忠告だ。お前は、もう少し狡猾に生きた方がいい。目を背ける勇気を持て。逃げる覚悟を決めろ。誰しもが持っているそんな当たり前の気持ちを、お前は持ってないように思える。まるでお前一人が違う世界から来たみたいだ」
その通りだった。
「このままじゃいずれ――お前は壊れる。その純粋さは、いつかお前を殺すそ」
「僕に純粋さなんてないよ。自分勝手で我儘で、貴族の娘を弄んじゃうような屑さ」
照れ隠しのような僕の冗談にミーが笑う。
「ああ、確かに、お前は健気なお姫様の名前も忘れるようなクソ王子様だったな」
うっ……。それを言われると辛い。非常に申し訳ない。
「い、いや、あの時は色んな事で頭がいっぱいで……すぐガジガラに行っちゃったし……」
「ガジガラだと!? お前、魔界に行って来たのか!?」
「え……? う、うん……一応……」
身を乗り出したミーの剣幕にたじろぐ。
何か粗相をしでかしたかとニーヤ達を見るが、彼女達も不思議そうな顔をしていた。
「ふ――。そうか、お前は運が良かったんだな。どうせ最深部までは行かなかったのだろう? 行ったなら、生きて帰ってこれるはずはないからな」
最深部が何処か知らないが、魔王城までは行った。
徒歩で行ったわけじゃないから良く分からないが、結構奥にあったような気がしないでもない。
「俺も――昔は行ったんだよガジガラに。あの頃の俺はまだ若くてな、誰がつけたかもしれない『神をも殺す凶手』だなんて二つ名に感化されていたんだ」
ミーは突然語りだした。
あの頃は若かった――ってお前いくつだよ。絶対僕とそんなに変わらないだろ。
そんな野暮な突っ込みは入れなかった。
「それでな、ある国の貴族から、魔王を倒してくれと言う依頼があった。報酬も良かったし、断る理由もない。二つ返事で受けたよ。
まぁ、もし仮に俺が魔王を倒したところで、手柄は全部そいつのモノだ。歴史書に俺の名が刻まれる事はない。
だけど、それでも俺は心の何処かで憧れていたんだ。小さい頃、絵本で読んだ勇者達の物語に。魔王を倒す英雄譚の主人公になった気持ちだった」
「それで意気揚々とガジガラに行ったんだが、お前――神秘の森を知っているか?」
「え? あ、うん……」
神秘の森。
それは闇が支配する魔界で、唯一光が差し込む場所。
小川がせせらぎ、小鳥がさえずり、心地良い風が木々の葉を揺らす。
『彼女』が愛した――聖地。
「私は、そこで一人の女性に出会った。上品な銀の髪。すらりと伸びた彫刻のような手足。美しすぎる人だった――」
恍惚の表情を浮かべるミーに、僕達四人は顔を見合わせた。
その特徴は――誰かに似てる。
「彼女は言ったよ。魔王はとても強い、お前が敵う相手じゃないから今すぐ帰れと。命を無駄にするなと。
だが、自分の実力に慢心していた俺だ。はいそうですかと帰るわけがない。むしろ意気込んだ。勇者に強敵はつきものだからな」
「そんな俺に、彼女はこうも言ったよ。この先はもっと強い魔物がいる、せめて余を倒せぬようなら、魔王に辿り着く事さえも出来ないと」
再び顔を見合わせる。
口調も似てる。もはや完全に一致している。
皆も分かっているはずだ。
でも――誰も言わない。
「そして、俺は彼女に戦いを挑んだ。俺の強さを分からせてやろうと思った。だが、彼女には敵わなかった。手も足も出なかった。何度立ち向かおうが、あの綺麗な肌に傷をつけるどころか、触れることさえも叶わなかった」
悔しそうに身体を震わせる。
僕達は――やはり黙って聞いていた。
「俺は恐ろしさに震えた。勘違いするな、彼女にじゃない。この先、こんなやつがゴロゴロいる事と、それらを統べる魔王の底知れなさに震えた」
いや、そんなやつはゴロゴロいない。
そいつが頂点だ。
でも――黙って聞く。
「そんな時、彼女は俺を慰めてくれた。震える俺の身体を抱き、「大丈夫。お前は人間にしてそこそこ強い。だからこんな意味のない事はやめて、自分に出来る事をしろ」と言ってくれた。今でも覚えてる。彼女の温もり、どんなに手を伸ばしても届かなかったその肌に触れられた喜び――」
両手を伸ばし、見えない何かをつかもうとしているミー。
完全に自分の世界に陶酔している。
僕達は――何も言えない。
「俺は気づいたよ。自分がどれだけ愚かな事をしているのかと。俺に英雄譚は要らない。勇者にはなれない。たかたが一介の人殺しだ。だが、そんな俺でも出来る事はある。待ってくれているやつもいる。彼女は、それを思い出させてくれた」
何となく、綺麗に締めくくった感を出している。
その表情は満足気だ。
「一つだけ悔いがあるとすれば、俺は彼女に性別を告げなかった事だ。多分、いや、間違いなく男だと、性欲しかとりえのない愚かで卑しい性別だと誤解しているだろう。だからいつか伝えたい。俺は違うと明かしたい。そして呼びたい――『お姉様』と――」
……お姉様?
今おかしなワードが混じっていたのは気のせいだろうか。
「あ――ゴホン! すまん。少し喋りすぎたな。お前の鎧、どこか彼女に似ている気がして、感情がこもってしまった」
うむ。彼女が作ったんだからそうだろう。
でも――それを伝える必要は無いだろう。
「それに、お前は他の男とは違う感じがする。馬鹿で屑で暇さえあれば腰を振る、豚のように卑しい汚らわしい男とは違う」
こいつ……どんだけ男嫌いなんだ。
そんなミーが、少し照れくさそうに手を差し出す。
「柄ではないが、俺と握手をしてもらえないか? お前みたいな男が居た事を、この身に刻んでおきたくてな」
何だか――いちいち格好いい。
いや、かっこいいのはいいんだが、見た目が女子だけに、湧き上がる残念な違和感を拭えない。
「あ、うん……。僕でよけれ――ば……?」
伸びたミーの手を握ろうと視線を移した瞬間、僕の目に衝撃的な光景が飛び込んできた。
突然現れたわけじゃない。
最初からそこにいた。角度の関係で身を潜めていたんだ。
だが、ここに来て、このタイミングで姿を現した。
忘れかけていた横乳が――降臨した。
破れた服、そして手を伸ばした事によって、その隙間が広がり、もう少しで「こんにちは」しそうだ。
決して大きくはない膨らみ。
ペロ様を1。ニーヤが3。モミさんを5とするなら、彼女のそれはせいぜい2。贔屓目で見ても2・25くらい。
だがその光景は、まるで控えめの少女が木の陰からこちらを覗いているようにも思える。
気づいてもらいたそうに、かまってほしそうに。
「ん……やっぱり、人殺しと握手するのは気が引けるか?」
「!? いやっ! そ、そんなことないよ!」
何を考えているんだ僕は! 頭がおかしいのか!?
かまって欲しがっている!? そんなわけがない!
僕がする事は、彼女の手を握る事だ。
男嫌いの彼女が、僕を認めてくれた。
人殺しだろうが関係ない。その気持ちに感謝して、綺麗に締めるんだ。
余計な事は考えず。ただ握ればいい――。
「なっ!?」
「あっ!」
握っていた。握り締めていた。乳を。
自分が何をしたのか分からない。いつのまにか彼女の後ろに移動して、その隙間に手を差し込んでいた。
「ちちちち違うんだ! これには深いわけが!」
「こ、このっ! 離せっ!」
彼女が身体をよじるが、僕の手は離れない。
放たれた肘打ちに合わせるように僕の身体も一緒に回る。
まるで息がぴったり合った、アルゼンチンタンゴを踊っているかのように。ぴったりしているのは僕の手と彼女の胸だが。
「や、やっぱ男なんて最低だああ! 殺せええええ! 犯せええええ! お姉様ああああああああああああああ!」
泣き出した彼女に、慌ててニーヤ達が僕をひきはがそうと飛び掛る。
混沌は――いつも呪いと共にあった。
必死の説得と渾身の土下座によって、何とか事を収めた時には、すでに夜は明けかけていた。
突然無理矢理胸を揉みしだかれるという、時代が時代なら通報モノの(いや、時代は関係ない。いつだって普通に犯罪だ)陵辱を受けながらも、ミーは途中まで送ると言って馬車を出してくれた。
アジトの場所を把握されたくないともっともらしい前置きがあったが、それは彼女の優しい嘘だ。
何故なら、他の皆は幌馬車の中にいるが、僕は違う。
ミーが手綱を握るその横で、御者台に座らされているんだから。
初めて会った時と同じように、黒い布を巻きつけたその顔からは表情を読み取る事は出来ない。それでなくてもあんな暴挙に出てしまった後だ。気まずいというか、言葉も無い。
それでも、やはり黙っているよりはマシだと思った。
「あ、あのさ。これからも――やっぱり続けるの?」
そんな僕の質問に、彼女は前を向いたまま答える。
「当たり前だ。俺にはこれしかない」
予想通りの答えだった。
「そっか……」
何も言えない。何も言うべきじゃない。
彼女には彼女の覚悟がある。それを僕が否定する事は出来ない。
これからも彼女は人を殺し、その対価としてドラーシュを得るんだろう。
そしてドラーシュの不幸を、心の闇を、彼女は喰らって生きていくんだろう。
その現実が、何となく寂しかった。
「ここでいいだろう。さっさと行け」
馬を止めると、彼女は吐き捨てるように言った。
その表情は読めない。
あれ、そういえば僕。小便かけたんだよな……。
あの時は男だと思っていたから「ざまぁみろ」くらいにしか思ってなかったけど、今思えば――。
「あ、あのさ、ホントごめん」
「何の事だ?」
「あの……おしっこかけたこと」
彼女が慌てて口元を押さえる。
「い、今更謝るな! くそっ! 折角忘れていたのに……」
恨むような瞳はうっすら涙が浮かんでいるようにも見えた。
余計な事をしてしまったらしい。
どうしよう、雰囲気が悪い。
「あ、あのさ! 握手――してもらえるかな? さっきはあんな事になっちゃったから。あ、嫌ならいいんだけど……」
彼女に向けて手を差し出す。
思い出したように言ってみたけど、これで断られたら目も当てられない。軽い黒歴史として記憶の片隅行きだ。
「……また胸を揉む気じゃないだろうな?」
「ない。……と思います……」
そもそも揉む気は最初から無い。
「ふん。しょうがない」
そう言って、彼女は僕の手を握った。
「ケンセイだったな。二度と会うことは無いと思うが。お前の事は忘れないぞ。『色んな意味で』な」
「ああ。僕も忘れないよ。ミー」
人喰らいの凶手。
その黒い布の下にあるのは、優しくて、心配性で、泣き虫で、お喋りで。
そんな、どこにでもいる女の子だった。
僕は、その事を一生忘れない。
手の骨が軋む音を聞きながら、そう心に決めた。
その後――。
ヴィクトラードさんの屋敷に戻った僕達は、凶手から買い取った事にして、娘と花文を渡した。
買取代金として大金を貰ったが、決してお金が欲しかったわけではない。
これからも続いていくだろう、ミーの名声を守るためだった。
約束通りヴィクトラードさんはトートさんに全てを話した。貴族も商人も、そんな肩書きを投げ捨て、謝り、怒り、殴り、殴られ、そして、少女の無事を喜んだ。
果たして、これで良かったのかは分からない。
ミーの言葉が頭の中で繰り返される。
それでも僕は、希望を持つ。
この過ちを、彼らが二度と繰り返さない事を願って。




