第二章。性技、桜十文字。娼館にて散る。
「ここが――娼館――」
娼館自体は何度か見たものの、他のソレとは明らかに一線を画していた。
人通りの少ない町の片隅。しかし、目の前の建物からは気品さえ感じられる。
「よ、よし……」
恐る恐る、その重厚な扉に手をかける。
扉の先で僕が目にしたものは、煌々と輝くシャンデリアが照らす、真っ赤な絨毯が敷かれた大階段。
その存在感に圧倒されていると、突然声をかけられた。
「あら、お客さん?」
声の主は、ボディーラインを強調する真っ赤なドレスに、妖艶な雰囲気を纏わせた女性だった。
「あ、あの……」
緊張で上手く喋れない。そんな僕に、女性はちょっと困った顔で微笑む。
「ごめんなさいねぇ。まだ開店前なのよ」
その言葉に、張り詰めていた緊張が一瞬で溶けた。
「あ、そうなんですか。すいません、じゃあ出直してきます」
出直すもなにも、もう二度と足を踏み入れることはないだろう。
残念だが、どこかほっとした気持ちで店を出る。
「ん? その書状はなに?」
「あ、えっと――」
無駄になってしまったが、一応渡しておいたほうがいいだろう。
女性は書状を広げ、その中身を読む。すると、見る見るうちに表情が変わった。
「じゃあ、僕はこれで――」
扉を開けようとする手を思いっきり掴まれる。
それどころか、僅かに空いた扉の隙間から、なにやら看板のようなものを放り投げるように置き、扉に閂までかけた。
――閉じ込められた?
「いらっしゃいませぇ~。いやぁもう、そうならそうと言ってくださればよろしいのにぃ」
満面の笑みを浮かべながら、僕に腕を絡める。僕の腕は、二つの膨らみで完全にホールドされた。
「え、いや、だって開店前って――」
「ええ! 今日はもう開店しませんわ。皆~お客様よ~!」
女性が手を叩くと、二階から一人、また一人と女性が降りてくる。
そのどれもがとびきりの美人で、その光景は天から女神が舞い降りるようでもあった。
「まぁ、可愛いお客様!」「素敵な鎧!」「頬が赤くなってますわ」
気が付くと、僕の周りには最初の女性を合わせて五人。美女の全方位ブロックだ。
「でも残念ですわぁ。いつもは十人程おりますのに、生憎今日は人が少なくて――。
『桜十文字』は出来ませんが、私もお相手させてもらい事でお許しいただけませんか?」
――桜十文字!? 何だそれは!? 知らない! そんな技――僕は知らない!
「でもでも、マスターが加わるなら『五裏夢中』ができるんじゃありませんか? 最後にアレを使ったのはもうずっと前ですし、考えるだけで私きゅんきゅんしちゃいますわ!」
――五里霧中!? 物事の様子や手がかりがつかめず方針や見込みが立たない事!?
どういう技なんだ!? きゅんきゅんしちゃう技なのか!?
「さぁ、今夜はたっぷりと――た・の・し・み・ましょうね――」
耳元で囁く甘い声に、僕の意識はピンク色の霧の中。
そして目の前の大階段を。
大人の階段を一歩づつ上がっていくのだった。
「……あの、そんなに落ち込まないで下さい」
「そ、そうですよ! こういう日もありますから!」
十分後。
女神様に慰めの言葉をもらいつつ、僕は上ったはずの階段を下りていた。
足取りはふらふらで、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。
別に――足腰を酷使したわけではない。
「脱げない鎧ねぇ――。そんなの初めて見たわ」
そう――鎧が脱げなかった。
解除できなかった。誰も魔力なんてもってなかった。
僕は気づくべきだった。ここに入る前に気づくべきだったんだ。
そしたらこんな辛い思いをせずに済んだのだ。
「……五里霧中……。知りたかった……」
階段を下りたところで、全身に重く圧し掛かる虚脱感に膝が負けた。
「ほら、そんな落ち込むな少年! また今度来た時にサービスしてあげるからさ」
赤いドレスの女性。この店のマスターが快活に笑いながら言った。
いつの間にか、甘えおだてるような口調も消えている。こっちが素なんだろう。
「はい……すみません……」
その優しさが余計に辛かった。
僕は幸運の後ろ髪をつかみそこねたのだ。多分この店に来ることは二度とないだろう。
セクシーアーマーの呪い。
その恐ろしさを初めて知った気がした。
「こういう時は飲んで忘れるに限る! ほら、二人貸してあげるから行ってらっしゃいな」
「え?」
「ん? いや、書状に書いてあるからね。酒場に付き添う女性を貸してくれって」
その言葉に、脱力しきっていた身体が反応する。
そうだ。僕の目的は大人の階段を上ることじゃない。
こんなとこで絶望に打ちひしがれている場合じゃないんだ。
「じゃあ――お願いしてもいいですか?」
「あいよ! アンタ達、少年が酔いつぶれたらちゃんと介抱してあげなよ! 股間は開放できないけどね!」
マスターの洒落に皆が笑う。僕は苦笑いしかできなかった。
酒場の扉を開けると、店内の視線が一斉に集まった。
無理も無い。
白銀の鎧、セクシーアーマーだけでもそこそこ目立つのに、そいつが両脇に携えた美女の腰に手を回しているとすれば、注目せざるを得ないだろう。
(どうか腰に手を回させてくださいと頼み込んだとき、「いっそ胸に手でもつっこんでみる?」と言われたので丁重にお断りした)
正直めちゃくちゃ恥ずかしいが、今の僕は目立つのが仕事だ。
「あれ? 昨日の――」
女性が近づいてくる。そう、ここは昨日来たお店。
時間も時間だ。昨日とは違い、人が溢れている。
「えっと――と、とりあえずこの店で一番高いお酒をもももらおうかなっ! 後は食べ物を適当に頼むよ!」
「えっ!? あ、わ、わかり――ました……」
状況が理解できていないのか、困惑した表情を浮かべる。
当然だ。僕達が昨日まで無一文だった事を知っているんだから。
「それと――ここにいる皆にも振舞ってあげてくれないか!」
わざと大声で言って、金貨の詰った袋を高々と上げる。
一瞬静まり返る店内。
だが、次の瞬間には大歓声に包まれた。
――うん。悪くない。
一番奥の席に座り、店内を眺める。
凶手が僕より先に居る可能性は低い。新しく来た客だけに注意を払っていれば大丈夫だろう。
「お客さん――何かあったんですか?」
酒瓶と料理を持ってきた女性が耳打ちする。
「何かあったって言うか――これからあるのかも?」
何を言ってるのか分からないと言った様子で「ふぅん」と生返事をした。
「でも、ちょっと残念だなぁ。もうちょっと真面目な方だと思ったんですけど――」
「えっ!? あ、いや……これには深いわけが」
「まぁお金さえ落としてくれれば大歓迎ですよ!」
そう言って去っていった。
――何だろう。この喪失感。
周囲に気を配りながら、どれくらい時間が経っただろう。
料理をつまみながら、お酒を飲むフリを続けていたが、時間が経つにつれ、状況が悪化していくのがはっきりと分かった。
他のお客さんが僕のところへお酒を注ぎに来るのだ。それも一人や二人ではない。
目立つため、全員にご馳走するなどと大見得を切ったのが裏目にでた。
さらに悪い事に、店には続々と客が押し寄せていた。どうやらタダ酒が飲めると噂だっているらしい。こうなってしまうと、人の流れなど把握できるはずもない。
さらにさらに両隣の美人さんが酔っ払って仕事の愚痴をしだしたからたまらない。
普通の愚痴ならまだ聞き流せるが、彼女達は仕事が仕事だ。どうしても内容がソッチ方向に行ってしまうので、どうしても気になってしまう。
綿密に練られた計画は、既に破綻しつつあった。




