第十話 Hollywood 銀幕の大スター、 ディートリヒの脚線美 と ガルボの低い声
第十話 Hollywood 銀幕の大スター、MGM ディートリヒの脚線美 と パラマウント ガルボの低い声
一九三〇年、ベルリン。
映画『嘆きの天使』のスクリーンに、ひとりの女が現れた。
マレーネ・ディートリヒ。
舞台の上には、椅子が置かれている。彼女はそこに腰を下ろし、片脚を持ち上げた。白い肌、網タイツ、そして観客の視線を正面から受け止めるような表情。
その脚は、ただ長いだけではなかった。
膝の曲げ方、足首の角度、裾からのぞく肌の見せ方。何気ない仕草のはずなのに、そこには不思議な計算が感じられた。
観客は、彼女を見た。
そして、彼女を見たことを、なかなか忘れられなくなった。
ディートリヒを世界的なスターへ押し上げたのは、映画監督ヨーゼフ・フォン・シュテルンベルクだった。彼は彼女の顔に、光と影によって変化する豊かな表情を見いだした。
頬骨の線。伏せたまつ毛。わずかに開いた唇。
光が当たれば、彼女は妖艶な女になる。影が落ちれば、何を考えているのかわからない謎めいた女になる。
そして、脚。
彼女の脚線美は、やがて伝説になった。
だが、伝説というものは、いつも事実だけでできているわけではない。
ディートリヒには、頬をこけさせて美しく見せるために奥歯を抜いた、という噂があった。若い女性たちが、あの頬のくぼみを再現しようとしたという話まで伝えられている。
しかし、ディートリヒ本人は、奥歯を抜いたという話を否定している。彼女の説明によれば、『嘆きの天使』では、むしろ顔の丸みを際立たせるような照明が使われていたという。
では、あの頬のくぼみは何だったのか。
骨格か。化粧か。光の当て方か。それとも、スクリーンの向こうにいる女を、観客が自分の想像のなかで作り上げていった結果なのか。
少なくとも、奥歯を抜いたという噂を、事実として受け取ることはできない。
けれども、ひとつ確かなことがある。
彼女の顔は、それほどまでに人々の関心を集めていたのだ。
## 一 脚線美は、偶然の産物ではない
スターの伝説は、顔だけでは終わらなかった。
ディートリヒの脚には、莫大な保険がかけられていた――そんな話も、彼女をめぐる逸話のひとつとして広まった。
本当に保険がかけられていたのか。どれほどの金額だったのか。
確かな事実として断定するには、慎重でなければならない。
それでも、この話が生まれた背景は想像できる。
彼女の脚は、ただ身体の一部ではなかった。映画の宣伝写真にも、舞台の姿にも、観客が彼女を思い出すための象徴として刻まれていたからだ。
伝説は、本人が作るものばかりではない。
観客が驚き、記者が書き、誰かが話を膨らませ、やがて最初の出来事がどこにあったのかさえ、わからなくなる。
ディートリヒの脚線美もまた、そうした伝説の中心にあった。
ただし、彼女の美しさを、長い脚という生まれつきの条件だけで説明することはできない。
舞台で、どちらの脚を前に出すか。腰をどう向けるか。歩き出す前に、どれほどの間を置くか。衣装の裾が動く瞬間をどう見せるか。
舞台上で脚を美しく見せるため、立ち方や動きを工夫し、リハーサルを重ねたという逸話も伝わっている。
細かな手順のすべてを確実な史実として語ることはできない。だが、彼女が舞台上の自分の見せ方にこだわったことは、映画や舞台の仕事を通して考える価値がある。
美しさは、ただ与えられるものではない。
姿勢があり、歩き方があり、照明がある。衣装の切れ目から何を見せ、何を隠すのかという判断もある。
ディートリヒは、自分の身体が観客にどう見えるかを、ひとつの表現として扱った。
だから、彼女の脚線美は、単に脚の長さを褒める言葉では終わらなかったのである。
## 二 男の服を着た女
一九三〇年、ディートリヒはアメリカへ渡り、パラマウント映画のスターとして新たな道を歩み始める。
ハリウッドで彼女が身につけた衣装のなかでも、強い印象を残したものがある。
タキシードだ。
当時、男性の正装として広く認識されていた服を、彼女は堂々と着こなした。
女性がズボンをはくこと自体は、すでに一部の場面では見られた。だから、彼女が世界で初めて女性にズボンをはかせた、というわけではない。
それでも、ディートリヒがスクリーンでタキシードを着た姿は、強烈だった。
男性の服を借りた女性ではない。
男性の服を、自分の魅力の一部に変えてしまった女性だった。
すらりとした脚は、スカートからのぞくときだけ美しいのではない。ズボンに包まれ、まっすぐに伸びたときにも、別の美しさを生み出す。
そこには、服の意味を変える力があった。
女性の身体は、こう見せなければならない。女性は、このような服を着るべきだ。
そうした決まりを、彼女は長い説明によって論破したのではなかった。
ただ、着てみせた。
そして、観客に問いかけた。
なぜ、女性がこの服を着てはいけないのだろう。
ここで、エルザ・スキャパレリの仕事を思い出したい。
エルザは、服に意外な形や視覚的な仕掛けを持ち込み、着ることそのものを芸術的な表現へ変えようとした。
ディートリヒは、服を身につける身体そのものを、ひとつの表現にした。
ふたりは同じ仕事をしていたわけではない。エルザはデザイナーであり、ディートリヒは女優であり歌手だった。
しかし、服は布だけでは完成しない。
誰が着るのか。どう動くのか。どんな表情をするのか。どのような光のなかで見られるのか。
そのすべてが重なったとき、衣服は観客の記憶に残る。
ディートリヒは、そのことを全身で証明した女性だった。
## 三 もうひとりの女王、グレタ・ガルボ
同じ時代、ハリウッドにはもうひとり、観客を魅了する女性がいた。
グレタ・ガルボ。
スウェーデン出身の彼女は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー、通称MGMを代表するスターのひとりだった。
ディートリヒがパラマウントで輝いたのに対し、ガルボはMGMで独自の存在感を築いていた。
ふたりは、同じように美しい女優として語られることがある。
しかし、その魅力は同じではなかった。
ディートリヒの美しさには、観客の目を正面からとらえる強さがあった。衣装も、脚も、表情も、見られることを恐れない。
一方、ガルボには、見ている者を少し遠ざけるような謎めいた雰囲気があった。
近づきたいのに、近づけない。
彼女が何を考えているのか、簡単にはわからない。
その距離こそが、ガルボの魅力になっていた。
そして、一九二〇年代末から映画界を大きく変えていったのが、音声の導入だった。
無声映画の時代、俳優たちは表情や身振りによって感情を伝えた。ところが、映画が音声を持つようになると、声そのものがスターの命運を左右することになった。
美しい顔があっても、声が観客の期待に合わなければ、それまでの人気を保てるとは限らない。
ガルボもまた、その転換期を迎えていた。
一九三〇年、彼女は『アンナ・クリスティ』で初めて本格的なトーキーに出演した。
MGMが宣伝に用いた言葉は、短く、強烈だった。
「ガルボがしゃべる!」
それまでスクリーンのなかで沈黙していた大スターが、ついに声を発する。
観客は、その声を聞くために映画館へ向かった。
そして、ガルボの声は、彼女の魅力を損なうどころか、新しい魅力を加えた。
低く、落ち着いた声。
当時の批評でも、その深い声が注目された。
ガルボは、無声映画の女王であることをやめずに、音声映画の世界へ移っていったのである。
ディートリヒが、光と影、衣装と身体を使って観客の視線を引き寄せたのなら、ガルボは、沈黙と声によって観客を引きつけた。
ふたりの女王は、同じ時代のスクリーンに立ちながら、異なる方法で人々の心をとらえたのだった。
## 四 美貌の向こうに、伝説が生まれる
ディートリヒをめぐる話は、脚線美や頬のくぼみだけではない。
彼女の美しさに魅了された作家アーネスト・ヘミングウェイとの交流も、後年の逸話のひとつになっている。
ふたりには書簡のやり取りが残されている。
ただし、ヘミングウェイが彼女の頬のくぼみに夢中だった、といった細部を、確かな事実として言い切るのは避けたい。
伝説は、実在した人物の関係に、後世の想像をまとわせることがあるからだ。
それでも、ディートリヒが作家や芸術家たちの関心を引きつけたことは、彼女が単なる映画スターではなかったことを考える手がかりになる。
彼女の魅力は、顔の美しさだけでは説明できない。
男装もする。華やかな衣装も着る。脚を大胆に見せることもあれば、タキシードで身体の線を覆うこともある。
見せることと隠すこと。
女らしさを強調することと、既存の女らしさから距離を取ること。
ディートリヒは、その両方を自分の表現に取り込んだ。
だからこそ、人々は彼女について語り続けたのだろう。
脚には保険がかけられたのか。
奥歯を抜いたのか。
どんな角度で立てば、あれほど美しく見えるのか。
伝説が多いということは、すべての逸話が真実だという意味ではない。
むしろ、本人の実像と、人々が想像したスターの姿が、いつしか重なってしまったということなのかもしれない。
ディートリヒは、自分自身をひとつの芸術作品のように見せる術を身につけていた。
その結果、彼女の人生は、事実だけでは語りきれないほど多くの物語を生み出した。
そして、その物語の中心には、いつも彼女自身の姿があった。
## 五 歌う女、リリー・マルレーン
だが、マレーネ・ディートリヒの人生を、脚線美と映画の伝説だけで終わらせてしまうわけにはいかない。
彼女は、歌手でもあった。
第二次世界大戦が始まると、ディートリヒはナチス政権に協力する道を選ばず、アメリカで活動を続けた。一九三九年にはアメリカ市民となり、戦争が激しくなると、戦時公債の活動や兵士たちへの慰問にも参加するようになった。
一九四四年から四五年にかけて、彼女は北アフリカやヨーロッパの前線近くへ赴き、連合軍兵士たちの前で歌った。
映画館のスクリーンに映るスターとは違う。
そこには、兵士たちと同じ場所に立ち、同じ空気を吸い、危険を承知で歌うディートリヒがいた。
彼女の代表的な歌として世界に知られるようになったのが、「リリー・マルレーン」だった。
この歌は、ディートリヒが最初に生み出したものではない。
第一次世界大戦中の一九一五年に書かれた詩をもとに、一九三八年に曲がつけられた。第二次世界大戦中、ラーレ・アンデルセンの録音などを通して広まり、兵士たちのあいだで歌われるようになった。
ディートリヒもこの歌を歌い、連合軍兵士たちの前で届けた。
やがて「リリー・マルレーン」は、国境や言葉の違いを越えて、戦場にいる人々の心を結びつける歌として知られるようになる。
敵と味方。
勝つ側と負ける側。
それぞれの制服を着た兵士たちにも、故郷を思い、誰かを恋しがり、明日を生きて帰りたいという気持ちがあった。
歌は、その感情に触れた。
ディートリヒの声は、映画のなかで人々を魅了した声とは、少し違う意味を持つようになった。
華やかな衣装も、完璧に整えられた照明もない場所で、彼女は歌った。
脚線美で知られたスターが、泥と寒さのある場所へ出向き、兵士たちのために声を届ける。
その姿は、彼女の伝説に新しい一章を加えた。
美しさは、若さだけに閉じ込められるものではない。
銀幕の上では、脚の角度ひとつで観客を魅了した女性が、戦争の時代には歌声によって人々の記憶に残っていく。
彼女は、ただ美しいだけのスターではなかった。
自分の身体も、衣装も、声も、すべてを使って何かを表現する舞台人だったのである。
## 六 服は、誰かが着て初めて動き出す
ここで、もう一度エルザ・スキャパレリへ戻ろう。
エルザは、服を作った。
色を選び、布を選び、形を考え、ときには現実には存在しないような奇妙なものを、着られる服へと変えていった。
けれども、どれほど独創的な服でも、誰かが着なければ、身体とともに動くことはない。
ディートリヒのような女優が着ることで、服はスクリーンのなかで意味を持つ。
歩けば布が揺れる。
振り返れば襟の線が変わる。
脚を伸ばせば、ズボンの形が新しい美しさを生む。
服は、身体とともに動くことで、初めて観客の記憶に刻まれる。
エルザは、服を通じて世界の見方を変えようとした。
ディートリヒは、その服を身につける自分自身を通じて、観客の見方を変えた。
どちらも、ただ美しいものを作るだけでは満足しなかったのだ。
一九三〇年代の映画界には、マレーネ・ディートリヒやグレタ・ガルボのように、それぞれ異なる魅力を持つ女優たちがいた。
彼女たちは、同じ時代の女性でありながら、同じ姿を目指したわけではなかった。
そして、服を作る側にも、エルザとガブリエル・シャネルという、異なる発想を持つ女性たちがいた。
シャネルは、身体を締めつけず、生活のなかで動ける服を追求した。
エルザは、服に意外性や想像力を持ち込み、着ることを芸術的な経験へ変えようとした。
しかし、その違いだけを並べて、どちらか一方を正しいと決めることはできない。
女性の身体を自由にする服も、女性が夢をまとうための服も、必要とする人がいる。
そして、その服をどう着るかによって、新しい意味が生まれる。
ディートリヒの脚線美をめぐる伝説は、彼女の美しさを語るものだった。
けれども、その伝説の向こうには、身体の見せ方を磨き、衣装を使いこなし、最後には歌声で人々の心に触れた、ひとりの表現者がいた。
彼女を伝説にしたのは、長い脚だけではない。
顔も、姿勢も、歩き方も、衣装も、声も。
そのすべてを使って、自分自身を表現し続けたことだった。
そして、時代の影は、次第に濃くなっていく。
パリのサロンで服を選ぶ人々にも、ハリウッドのスクリーンを見つめる観客にも、やがて戦争の現実が迫ってくる。
夢を着ることのできた時代は、まだ終わっていない。
だが、その夢を守ることが、これからは簡単ではなくなるのだった。




