1. Float On
ぺちん、ぺちん。
澄んだ乾いた青空の下、間の抜けた音が鳴る。
足幅は肩幅ほどに取り、自然体ですとんと立つ。骨盤から上体を一枚の板のイメージで保つ。そのまま骨盤だけを左右に揺らす。でんでん太鼓に紐で結ばれた玉のように、腕がぶらんぶらんと振られ、胴体に当たって音が鳴る。
三歳児のむちっとした身体は、もちを叩いたような独特の、間の抜けた音が鳴る。
文海おじさんに、站樁と並んで、さんざんやらされた腕振り運動だ。
歩けるようになってすぐから始めたが、まだ違和感が残る。
頭が重い。四肢が短くてイメージよりもずっと重心が下に偏る。
筋肉がふにゃふにゃな分、力みなく常に放鬆状態なのは、前世よりもいい具合なんだけど。
あと、周囲の視線が生暖かい。
少し離れたところで見守る…というよりは、にやけた視線を送る護衛役兼見物人のゼキの気配を感じる。また、坊っちゃんが変な踊りを始めたよ、という声が聞こえてきそうだ。
そう。ぼくには護衛がいる。
エドレト辺境伯家、三子で次男、マリク・エドレト。
今世のぼくは、貴族令息らしい。
いまひとつ実感が湧かない。生活の実態が、およそ「貴族」という感じではないからだ。
ぺちん、ぺちん。
一定のリズムで、もちを叩いたような音が鳴り続ける。
徐々に徐々に、軸のふらつきがなくなってきた。軸がふらついていると、リズムも乱れる。
手応えを感じながら、とりとめもなく実感の湧かなさのタネを思い浮かべる。
辺境伯家の居館は砦の一角にある。
前世の我が家と比べれば確かにお屋敷という大きさではある。だけど、およそ装飾性や贅を凝らすというものがない。
石造りの堅牢な作りで、砦の一部そのものという感じがする。
まだ砦から外に出たことがないので、外の様子は分からない。
でも、母は畑仕事か野良仕事にでも精を出しているのか土埃にまみれて帰ってくる。
父は父で日頃から武術の鍛錬を欠かさないから、やっぱり土埃にまみれている。
それを厭う様子もない。むしろ蒸し風呂で土埃と汗を落とすのが、一日で一番の贅沢だというふうに、嬉しそうにさえ見える。
日々の食事も、お腹を空かすことはない。
でも、粥やパンに野菜を煮たスープと多少の干し肉が中心で、たまに焼いた肉が出るくらい。
美味しいとは思うが、あまり変化もなく、美食という感じもなく、貴族の食事と言われて思い浮かべるものとはだいぶ違う。
着るものも、生地や作りはしっかりしている。
動きやすく機能的で、装飾といえば襟や袖、裾の刺繍くらい。華美、というものからは縁遠い。
その刺繍でさえ、出入りする外の人たちの様子を見ると、貴族家だけに特別というわけではなさそう。
確か、辺境伯というのは貴族の中でもかなり高位だったと思うんだけどなぁ。
ぺちん、ぺちん。
間の抜けた音を鳴らしながら、まだとりとめもなく。
反面、砦は内側から眺めるだけでも立派なものだ。
家臣や兵らしい大人たちが集まって訓練する様子も、かなりの迫力だった。
文海おじさんの知り合いには武術家たちが多かった。人生の長い時間を武術と向き合ってきた彼らからは、誰からも、礼儀正しく穏やかな所作の底に積み上げた武威を感じたものだった。
そういう彼らを見慣れたぼくから見ても、砦の訓練から感じる武威は圧倒されるほどだった。繊細で精緻な技術よりも、立ちふさがる敵を打ち倒すと決めた力強い圧。
戦うために練った武、という感じだった。
その点は、さすがに辺境伯家という感じもある。
でも、人数は数十人程度で、高位貴族の家格に見合った規模かどうか。
他を知らない。だから比較のしようもない。けれど、前世の知識と照らすと、やはり小さい気がする。
そういえば時折、父が数人の大人たちを引き連れ、武具を身に着けて外に出ていき、血塗れになって帰ってくることがある。
本人たちは怪我らしい怪我もなく、ほとんど返り血らしいけど。血塗れ・泥まみれになった装束を洗うのが大変だと、母がおっとりぼやくのを聞いた覚えがある。
どうも戦うということを中心に色々なことが出来上がっている感じがする。
貴族というより、鎌倉あたりの武家といった方が……
ぺち……
左足だけを引いてコンパスのようにくるり。
ふんわりと、斜め後ろから飛び込んできた影を受け止める。
「まりーっ」
飛び込んできたのは、ぼくと同じくらいの背丈、赤みがかった金色の毛玉…ではなく、幼馴染のシェナハだ。
ぼくにこんな風に飛びついてくるのは彼女しかいない。ゼキもまるで反応しなかったし。
細く柔らかい毛の感触が、くすぐったくて顔を軽く反らす。
「マリク、だよ」
「まりー! ちっちゃいこと、きにしちゃだめだー」
にーっと目を細めて笑いながら見上げる。
頭の上で、ぴこぴこと三角形の耳がせわしなくお辞儀をしている。
そう、彼女は獣の特徴を備えている。今の角度からは見えづらいが、お尻にはふわふわの太い尾も生えている。
赤狐人、と言うそうだ。
最初に会ったときには、それはもう驚いた。まるで異世界転生だな…と声に出さず呟いた。
まるでもなにも、境界で遭った”獅子の女”の太鼓判つきなんだけど。
「まりー、あそぼー!」
考えごとに意識が流されるぼくを、シェナハが揺する。
「あ、うん」
だいたい定番のやりとり。
放っておくと、考えこむ……というよりも思考が上滑りに流れていく癖が、前世から抜けない。そんなときシェナハは、ぼくを揺すって意識を引き戻す。
そういえば和歌さんも、たまにそうやって「私」を揺すってたっけな。
「それじゃ、おしあいっこでもしようか」
「うん!」
ざざざ、っと足先で土を削って円を描く。
幼児の足の大股一歩で、ちょうど跨げるくらいの大きさ。
「きょーは、まけないっ」
ぐぐっと、力こぶをつくるように腕を曲げてみせる。
ぼくと負けず劣らずむちむちの腕に、力こぶなんて浮き上がるわけもないけど。
それに…
「ちからじゃないんだけどなぁ」
「ちからこそせいぎっ!」
無駄に力んでも、バランス崩すよ?
ぴょこんとジャンプしてシェナハが円に入り、両の手のひらを目線の高さに。
ぼくも、同じようにして手のひらを合わせ…
「えいっ」
合わせた瞬間にぐーっと押し込んできた。せっかくの不意打ちも掛け声で台無しだ。
左手は上に逃がし、右手は下に。
「わわっ」
割とタイミングは良かったはずなのに、シェナハは声を上げながらも強引に立て直す。
相変わらず体幹が強い。むちむちの幼児なのに。
むしろぼくの方が、わずかに軸がズレて焦る。
やっぱり頭が重い。幼児体型、むずかしい。
軽く両足の間に弓なりの張りを作ってズレを吸収しつつ、ほんの少しだけ押し返す。
「むむーーーっ」
案の定ぐーっと押し返してきた力を左右に流しつつ、骨盤を少し右に。
「ふわふわしてちからがはいらんっ」
おっさんみたいな言い方して、シェナハは押し込みも引き戻しもせず、左右に流した力を中心に戻してきた。こういう感覚の的確さは、素直に感心してしまう。
力の流れに逆らわず、押し込んでくる今そのときに、肋骨の操作でほんの少しだけ中心を反らす。シェナハの身体が支えを失って宙を泳ぐ。
「ふっ、ぎゃぁぁぁっ」
すごい声を上げて強引に戻してきた。
時折おもうけど、幼児の身体能力じゃないな。
だけど初めてのことでもない。落ち着いて引き戻す流れに、ほんの少し力を足してやる。
「ふぎゃぎゃぎゃぎゃっ」
今度は逆に背を反らして、それでもこらえる。地面に根っこでも生えてるのかな。
さぁ、もう一息。トドメの一押しというところで。
ふわさっ。
ぞわぞわっと足元からくすぐったさが駆け上り、両足の張りが崩れる。
あ、これ…
にーっ。
ダメなやつだ、と思ったぼくの視界いっぱいを埋めるシェナハの笑い顔。目と口が左右いっぱいに引っ張られて糸のようになっている。
手のひら越しに預けるというより飛び込んできた体重を、崩れた体勢で支えられるわけもない。
流そうと思えば流せなくもないけど。
でも、このままだとシェナハも倒れてくるな。
こらえるのも流すのも諦めて、シェナハの下敷きに回る。
どたん。
音立てて、二人して地面に転がった。
「しっぽははんそくっ!」
「かてばよかろーなのだっ!」
重なって倒れたまま申し述べた抗議に、大真面目な顔でシェナハが応じる。
「もー」
土埃まみれで勝ち誇る彼女の顔がなんだか不意に可笑しくなって、ぷっと吹き出した。
次の投稿は明日 06:00am です。




