2. Bohemian Gravity!
エスニック雑貨店 カフヴェを出たときには、大きな買い物袋が増えていた。
ガーゼ生地の春物カーディガンを1枚、インド綿のタイパンツを何本か。
それから、絞り染めコットンのショルダーバッグ。さっきの女の子が見とれて転んだ、あれだ。
やっぱり鮮やかな色合が、きらきらして見えたんだな。
あれもこれもと取っ替え引っ替え当てて鏡を見るのは良い。待つのは苦じゃない。
でも、いちいち、やひろに感想を求められて、一言コメントを返すのはちょっと疲れた。
うちの娘は、なおざりなコメントでは満足してくれない。そして、おじさんは服飾品に、そこまで豊富な語彙を持っていない。
会計が終わり店を出る。同じように、ちょっと疲れた顔の景義と、無言で頷きあう。
「さ、そろそろ良い時間だし……」
「ご飯たべよーぜ。腹へったよ、姉ちゃん」
こういうときは意見が合う。
「……ん」
やひろは、もう少し他の店も覗きたそうな顔。
「ま、そっか。もうこんな時間なんだ」
でも、腕時計に視線を落として頷いた。
さっき買ったアンティーク風の腕時計を、いつの間にかつけていたみたいだ。
視線を向けたときに、ほんの少し口元がゆるんでた。ちゃんと気に入ってくれたんだろう。
「今日はお祝いだからね。やひろの好きなものを食べよう」
とはいえショッピングモールの中のレストラン街で済ませることになるかな。
それで、視線をエスカレータの方に向けて…
ぞわり──
背筋を小さな虫が這うような悪寒が走る。
正体の知れない不快な違和感。
目を向けた先には、老若男女さまざまに、賑やかな人の流れ。
何も変わらない。
だが、一呼吸。気配のピントが合う。
一人だけ。
全体で一つのリズムに混じらない、拍子の違う動きをする男。
こちらに向かってくる。
挙動不審というほど、はっきりとおかしな動きではない。
目線が彷徨うわけでなく、といって一点に固定されているわけでもない。ぶつぶつと呟いている様子もないし、思い詰めた表情でもない。服装の乱れや、妙な奇抜さもない。
ただ、なんとなくおかしい。
その違和感を強いて言葉にすれば。
拍子が違う。
全体のリズムに混じろうとしない拒絶感がある。
警戒モードを上げる。
よく見れば、さりげなく視線を周囲に巡らせている。何かを、誰かを、選ぶように。
視線が、私と交わって……にやり、と薄く目元に厭な笑み。
間違いない。
そう思って見れば、男のジャケットの左胸が不自然に垂れてヨレている。
何か、重いものが内側に吊るされているような。
「荷物、悪いけど持ってて」
男から視線を外さないまま。景義に預かっていたやひろの買い物荷物を押し付ける。
「……えっ? なに、いきなり?」
戸惑いつつも、律儀に荷物を受け取った景義に背を向ける。
男まで、大股で20歩ほど。
──武器を持った相手に素手で立ち向かうのは傻小子のやることよ。
──功夫も包丁に適わないことがあるね。
師父でもある、文海おじさんの言葉を思い出す。
春物のコートを脱いで手に持つ。
このコート、和歌さんに選んでもらったお気に入りなんだけどな。
ぼやきながら、あと10歩。
男がジャケットの中へ手を差し入れる。男の口元の端が大きく弧を描いて上向く。
まずい。周りに人がいる。
「パパっ、いきなりどうしたの!?」
背後からやひろの声。
突然のことに驚きつつ、しかし何かを感じたみたいだ。
駆け寄るのも悪手。大声で警告するのも悪手。
だが、このままだと危ない。
コートを、ばさんばさんとはためかし、振り回す。
迷惑そうな顔で、人の流れが割れていく。
何もなかったらイタいオジサンの奇行。だけど、まぁ、この場合は、それで済んだ方が良い。
あと5歩。
男のジャケットから、ゆっくりと抜き身のナイフが出てきた。
ぎらぎらと、ショッピングモールの照明を反射して、目に優しくない。
動揺が周囲に広がる。これはこれで危ない。
「ぅわんっ」
咄嗟に大きな声で、犬の鳴き真似。
周りの買い物客達は、一瞬、呆気に取られた。しかし、それで正気に返ったのか慌てて男から距離を取り始めた。
男だけが調子を乱すでもなく、じっと私を見ている。
全体のリズムに混ざることを拒絶している。
「銃刀法違反」
業務その他正当な理由による場合を除いて刃体の長さが6cmをこえる刃物を携帯してはならない。日本の法律では、そういうことになっている。
言われて引っ込めるなら、こんなところで抜かないだろうけどな。
「……」
男は無言のままナイフを腰だめに、身体ごと突き出した。
手にしたコートをナイフに被せる。
身体を入れ替えて裏を取る。
膝裏を踏み抜く。
のけぞった男の顔を包むように腕を回して締め上げる。
一拍子。
ナイフを取り上げ、締め上げたまま男を拘束する。
逃れようと男がもがく。
でも、ここまで体勢が崩れると、どうにもならない。
立ったまま、仰向けのエビ反り。
もがくほど首が絞まり、背が反って、身動きが取れなくなる。
「誰か、警備員を呼んでください」
ここに至っても無言のままの男に違和感が消えないが。
とりあえず、この状態から何かできるわけでもないだろう。警備員に引き渡して、決着だ。
コートは惜しかったが。
ナイフが貫いてしっかり裂けてしまった。
まぁ、繕いを入れればこれはこれで味になるかもしれない。割れた陶器を金継ぎするようなもんだ。
「父さん!」
「パパっ!」
景義とやひろの声と駆け寄ってくる足音が聞こえる。
「心配かけて悪かったね」
素直に謝っておく。
正直、咄嗟のことで、どうする余裕もなかった。でも、心配を掛けたのは事実だ。
「いや、余裕みせてる場合じゃないって! そっちに集中しろしっ」
「ここまでしたら、もう何も出来ないよ」
目を離すほどの余裕はないので背を向けたまま応じる。これ以上、心配させたくない。
男がもがくたびに動く重心を、小さくコントロールしながら、待つこと数分。
「大丈夫ですかっ」
警備員が3人、さすまたを抱えて駆けよってきた。
ベテランが二人と、体力のありそうながっしりとした若手が一人。
滅多にないこととは言え、ちゃんと訓練を受けていれば大丈夫だろう。
早いところ引き渡したい。
わめくでもなく、観念した風でもなく、ただもがき続ける男が不気味で仕方ない。
若手の警備員が、見るからに慣れない手つきで男の手に縄を巻くのを見守る。
私と同じように若手に視線を向けながら、ベテランの一人が口を開く。
「大変、申し訳ないのですが、このあと警備室で状況を……」
「えぇ。できたら手短に。娘の就職祝いでして」
言ってはみるもの、まぁ、そうはいかないよな。
でも、今日はそういう日だったんだ。
やひろのために時間を使う日。
「そのあたりは、その……」
申し訳なさそうにベテランさんの視線が落ちる。
「パパ、しょうがないよ。またにしよう」
やひろがなだめに入る。うちの娘は良い子だ。
「縛れましたっ。どうぞ手を離してください」
「それでは…」
よろしく、と男の首にかけていた腕を外した瞬間。
たーん。
不思議な音が耳の奥で響いた。
なんの音かと尋ねる間もなく。
男の身体がぐいんっと跳ね起き、若手の警備員を突き飛ばし、腰の後ろに手を回す。
その手には抜き身のナイフ。鈍くモールの照明を照り返している。
まずい。
どうやって拘束を解いたのか。ナイフをどこに隠し持っていたのか。
疑問が浮かぶが後回し。
男の視線が、肩越しにやひろへ向いている。
ナイフが突き出される。
躱してもいなしても、やひろに刺さる。
だったら……
咄嗟に半歩踏み出して男を身体ごと受け止める。
ぞぶり、と腹に刃が差し込まれる。
ぐるり、と刃が腹の中で捻られる。
殺意が高いな…。
妙に他人事のように思いながら、全身を放り投げるイメージで胴体ごと体重をぶつける。
だんっっと足が床を踏み抜く音。
どんっと男が若手の警備員にぶつかる音が遅れて聞こえる。
「パパっ!!」
「父さんっ!!」
「警備員さん、拘束をっ!」
腹から生えたナイフも、心配する子供たちの声も無視して警備員たちに呼びかける。
もう、さすがにこれ以上は……
どたん。
身体が床にぶつかる音を、妙に遠く聞きながら……
落ちる。
床の下、もっと深い所へ。
たーん。
もう一度、不思議な音が鳴った。
今度はなんだか妙に澄んで聞こえた。
暗転。
次の投稿は今夜 00:00am です。
読み味で気になったところを手直ししました。あとルビを追加しました。内容はほとんど変わっていません。




