18. Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is a Season)
寄せて返す波のように風がそよいでいる。木漏れ日を揺らし、さわさわと頬を撫でる。
初夏に差し掛かったこの頃の日差しは、きらきらと眩しい。目に痛いくらい。
けれど、こうして木陰の下に入れば、まだ涼しい。
山の母の祠の前、下生えの草の上。
みんなで運んできた、ぐるぐる巻きのフェルトマットを広げる。
さらにその上に、幾何学模様の刺繍を施した敷布を丁寧に敷いたら、教室の出来上がり。
この場所で、敷布の刺繍の色だけが、鮮やかな彩り。
そちらが内側。
あちらは外側。
壁もないのに空間が切り取られたような気がする。
今日はリャナンの魔術講義。騎獣厩舎のお掃除に続いて、ぼくは初めての参加。
まず、敷布の中心にリャナンが両足を揃えて座る。
続けて子供たちがリャナンを囲むように、ちょこん。
ゼキは、少し離れてオリーブの木にもたれている。
今日は、ぼくと近い年頃のちびっ子組が中心。いちばんの年長さんは、兄上のシェムだ。
この頃のシェムは、かなり魔術に熱が入ってるらしく、皆勤賞らしい。
ちびっ子向けの講義が、シェムの参考になるのかな?
「まりーと、えりーと、とぅなとぅなは、はじめてなー」
にーっと目を糸みたいに細めて、シェナハが笑っている。
「「うん」」
エリフとトゥナが揃って頷くと、シェナハは満足げ。
さては、お姉さんぶりたい病だな?
「わからないことは、しぇなーに、きいたらいーよ!」
「「うん?」」
ふん、と胸を張るシェナハに、首を傾げるエリフとトゥナ。
つつーっと、二人の視線がぼくに向く。
うん? ぼくも初めてだからね?
ぱんっ。
「さぁ、はじめましょう」
手を打ち鳴らし、視線を集め、静かにリャナンが切り出した。
「今日は、初めての子もいるので、はじまりのお話をします」
みんなのわくわく顔を見渡して、小さく頷く。
それから何故か視線を頭上、張り出したオリーブの枝に向ける。
「悪戯をしてはいけませんよ」
じっと何かを見つめるように、一呼吸ほど視線を留める。
「良い子は、そこにいてもよいです」
軽く、うなづく。
誰に話しかけているんだろう?
そこには、何もいない。気配も感じない。
カルグかな、と思ったけど、たぶん違う。
だって、もし居るなら羽音か声で応えるはず。ゼキ以外には、素直ないい子だから。
うん、なんでゼキと相棒やってるんだろうね。
疑問に思っているうちに、リャナンの視線がぼくたちに戻ってきた。
口元に、小さな笑みが浮かんでいる。
ぱんっ、ぱんっ。
二拍手。
右手を左胸の鎖骨あたりに当ててお辞儀。
たーん……
耳の奥で、遠く音が鳴ったような……不快ではないけど、不思議な感覚。
空気が、変わった。
なにが、起きた?
きょろきょろと左右を見る。
シェナハと目が合う。赤金の三角の耳が、ぴょこぴょことお辞儀している。
トゥナとエリフは早くはやくと、お話をせがむ顔で身を乗り出している。
二人は何も感じなかったの?
リャナンを見る。
「マリクとシェナハは、よく聴こえるのですね」
リャナンは柔らかい笑みで、ぼくの視線を受け止めた。
でも、ぼくの疑問に答えをくれるつもりはないみたい。
「さぁ、はじめましょう」
さらりと流れた濃い赤金の髪を耳に掛け、すぅと細く、少しだけ深く息を吸う。
「まだこの世界のかたちが決まっていなかった頃。ただ魔力の塊がそこにありました」
歌うような抑揚の声で、授業が始まった。
「魔力の塊の中に全部があって、でも世界は何もなかったところから始まります」
手のひらを胸の前で合わせて軽く握り込む。
「やがて、軽いものと重いもの、明るいものと暗いもの、活発なものと静かなものが分かれました」
合わせた手のひらが、今度は上下に分かれる。
「軽く明るく活発なものは、ふわぁっと浮かんでいきます。重く暗く静かなものはとーんっと沈んでいきます。魔力の塊は、光と闇に分かれたのです」
左手を開いて空に向け、右手を柔らかく握ったまま地面に向ける。
「だけど、元は一つ。光は闇と一つに戻りたがり、闇も光と一つに戻りたがり」
声の抑揚を徐々に大きく。
「でも、やはり明るく軽く活発なものは浮かんでいきます。暗く重く静かなものは沈んでいきます。こうして、光と闇は混じり合いと分かれを繰り返しました」
雲を掻き回すように、両手をくるくると大きく回す。
まるで雲手のような。
そこに流れる見えない何かを絡め巻き取るような。
「世界に時の巡り、地平の巡りが始まりました」
両手を大きく広げる。
なにか心地よいものが波紋のように広がって、そのままゆったりと巡るような……そんな感じがする。形も音も温度もない気配に、そっと包まれているような感じ。
「時の巡りは一日の巡り、四季の巡り。地平の巡りは四方の巡り、風の巡り」
──易有太極、是生兩儀、兩儀生四象。
──太極拳は易に通じてるよ。宇宙と仲良くなる教えね。
文海おじさんに聞かされた話を思い出す。
なんだろう。この感じ。
知らない。でも、初めての感じがしない。
「ひとつがふたっつ?」
「ふたつがよっつ?」
エリフとトゥナが揃って大きく首を傾げる。
あんまり大きく傾げたから、こてんと転がりそうになって。
慌てて支えに回り、それで流れる思考から引き戻された。
確かに不思議だよね。
図に描いて見せると、割とイメージしやすいんだけど。
「はい」
リャナンは頷いて、細く長い指先で軽く敷布に触れる。
「指先を……私を真似て動かしてください」
「「はいっ」」
「まず、はじまりのひとつ」
リャナンが大きく円を描く。トゥナとエリフが続く。
「やがて、二つ」
円を中心で上下に割る直線。
「わぁ!」
「ふたつになった!」
二人の弾んだ声。
でも、これでイメージを掴めるって、何気に賢いな。
「そして、四季と四方」
今度は円を中心で左右に分かつ直線。
「「よっつ!」」
元気よく、エリフとトゥナが続く。
「四季を並べて言えますか?」
「はるとなつ!」
「あきとふゆ!」
リャナンの問いに、二人が答える。
「マリク、シェナハ。四方はどうですか?」
「とーざいなんぼくっ!」
「……うん。そうだね」
元気よくシェナハが答える。ぜんぶ一人で言われちゃったので、ぼくは頷くだけ。
視界の端で、シェナハの尻尾が揺れている。
さっきの不思議な感じは、なんだったんだろう。
「時の巡りの始まりは春。東から吹く柔らかい風。草木がすくすくと育ちます」
上衣の懐から小皿と、オリーブの若葉を取り出して、そっと置いた。
袖が揺れる。袖元の赤い糸で繊細に縫い取られた刺繍に、目が惹きつけられる。
確か、鳥の模様だったかな。
「やがて夏がやってきます。南から吹く熱い風。強い陽射しに大地は焼かれ、ときには雷が草木を燃やし、炎が世界に生まれました」
指先でそっと宙を撫でるように、リャナンの揃えた指先が右から左へ。皿の上を通り過ぎる。
ぽわっ、と小さな炎が上がる。
爽やかな青い香りが、ふわりと漂う。
「炎はやがて草木を燃やし尽くし、灰が土を肥やします」
ゆらゆらと炎が揺れ、燃え尽きて、皿の中に灰が残る。
あれ? 風で灰が散っていかない。
ぼくの違和感に答えはなく、リャナンの語りは、続いていく。
「そうして秋の頃には、西風が土の上を駆けていきます。土の下、奥深くでは石や鉄がぎゅっと固まります。土の上では燃えなかった草木が、実りや種子をふっくらと固めます」
両手ですくい上げるように小皿を持ち上げて、ふっ、と息を吹きかける。
そっと敷布の上に戻した小皿に、もう灰はない。
代わりに、鈍色の金属の玉がころん。
「秋が過ぎれば冬がやってきます。北から吹く風が大地を冷やし、雨の季節がやってきます。鉄や種子が、露をまといます」
また小皿を持ち上げて、今度は両手で軽く包むように。
ふーっと、長い息を吹きかける。
玉の表面が曇り、曇りが露に、露が雫に。
「こうして世界をたっぷりと湿らせた露水は、またやってきた春に再び、草木を育むのです」
敷布の上にそっと戻した小皿の上には、オリーブの若葉。
金属の玉は、もうなかった。
「「「すっごーいっっ」」」
エリフとトゥナ、シェナハが揃って驚きの声。
きゃっきゃっと大盛り上がりだ。
シェナハは、もう何度か見てるんじゃなかったかな。
でも、同じく何度も見たはずのシェムも身を乗り出している。目を大きく見開いて、瞬きするのも忘れているみたい。食い入るように見るって、まさにこういう感じ。
だから、まぁ、無理もないか。
ぼくだって、ちょっと言葉にならないくらい……
あれ?
なんだか気配が揺れた気がする。
頭の上、かな?
「そこに、いるの?」
「そこにいるー!」
ぼくとシェナハ、二人そろってオリーブの枝を見上げる。
返事も、反応もない。
でも、枝が不自然に揺れているような気がする。
ほんの少しだけ、いつもなら気にも止めないくらい少しだけ。
きっと、そこにいる。
だってシェナハの耳と尻尾が、まっすぐにそこを指している。
全身の感覚を澄まして、気配を聴く。
あと少し……
もうちょっと……
ぱんっ。
リャナンが手を打ち鳴らした。
空気が、また変わった。
ぼくたちを包んでいた不思議な気配が、ふわっと散る。
「さぁ、今日の授業はここまでにしましょう」
リャナンの終了宣言。
「孤児棟に戻って、オヤツです。今日は、オリーブの塩漬けと干しイチジクを用意してありますよ」
珍しく、ほんの少し弾んだ声でリャナンが言う。
そういえば、リャナンは甘いものが大好きだったっけな。
もう一度、気配を辿る。
そこにはもう、なにも居なかった。
次の投稿は来週 木曜日 6:00am の予定です。




