14. Shadows and Light
「まりー、おかーさんのところ、いこー」
シェナハが唐突に来て、唐突に言った。赤金で三角の耳をちょこっと横に寝かせ、ふわふわの尻尾は柔らかいアーチを描いている。
腕振り運動をいったん止めて、首を傾げる。
「リャナンさん、よんでるの?」
呼ばれるような用事が、ちょっと思いつかない。
朝食のあと別れて、今ごろはこのあいだの帳簿を整理してる頃だったはず。
たぶん、子どもたちをかまってる余裕はないんじゃないかな。
魔物溢れの対応で細々した出費と収入が、やたら沢山あるっぽくて、面倒くさそうな雰囲気してたし。少額の伝票がいっぱいあって、トータルすると大きな金額になる、みたいな感じ。
「ちがーう」
ぶんぶん、と大きな仕草でシェナハが頭を振った。
そういえば、シェナハがリャナンを呼ぶときは「かーちゃん」だもんね。
シェナハは、人差し指を立て、腰に手を当て、ぐいっと乗り出す。
「やまのおかーさん」
「やまのおかあさん?」
どうだわかっただろうと思っていそうなシェナハに、ぼくは小首を傾げてオウム返し。
「そー!」
がしっ、とシェナハは、ぼくの手を掴んで歩き出す。
「ちょっ」
引っ張られて、いまいち分からないまま。
「ゼキっ」
「へーい。先に行ってますねー」
ゼキはいつものにやけた顔で、手を振ってお見送り。
シェナハに引きずられるまま、後ろをついていく。
大人たちが模擬戦している様子を眺めながら、広場の端っこを通って今日も白く陽の光を反射する礼拝堂の方へ。
礼拝堂に行くかと思ったら、だいぶ手前で右向け右。
そのまま砦の隅に向かって、てくてく。
こんもりと平たい山の形、濃緑の葉を茂らせた大きな木に向かって歩いていく。
近づくにつれ、木陰の下に隠れるような小さな四角い影が見えてくる。
四角い影は大きな木箱のように見え、足元には青々と茂る下生えの草。
土が剥き出しで視界を遮るもののない広場とは違う。石畳と列柱で整えられた礼拝堂の前とも違う。
さらに歩いていく。どうやら、あそこに向かっているらしい。
近づいていく。四角い木箱らしかったものが、祠のように見えてくる。
「私」だった頃、ご近所で見かけたお稲荷さんや地蔵堂のような。
とんっ。
急に立ち止まったシェナハの背中に軽くぶつかる。
下生えの草と剥き出しの地面の境目あたり。
くるっとシェナハが振り返る。人差し指を立て、今度は口元に当てた。
「さわいじゃだめ」
しーっ、と。
「ん?」
「やまのおかーさんのそばでは、おしずかに!」
ふふんと目を細め、ドヤ顔で胸を張る。
あー、リャナンか他の大人に、そうやって教わったんだな。
うん。メリハと並んでシェナハは、みんなを盛り上げる賑やかし屋だもんなぁ。
なんだか見てもいないその時の様子が思い浮かんで、くすっとなる。
「もーっ。まりー、まじめに!」
「うん。ごめん」
ちゃんと静かにすると約束して、また歩き出す。
祠の近くは大きな木陰に包まれて、涼しかった。
ふわりと風がそよぐ。さらさらと葉擦れの音が囁き、光の欠片を散らした木漏れ日が揺れ動く。
遠くからは濃緑に見えた木の葉は、下から見上げると銀灰色に変わった。
足を進める。ざわざわと下生えの草が音を立て、草葉の先が肌をくすぐる。
塀で仕切られているわけでもないのに。
なんだか、砦の他のどことも違う場所みたいだ。
とても、落ち着く。
「あれ!」
少しだけ顔をぼくの耳元に寄せ、小さな声でシェナハが祠を指さす。
お静かに、を律儀に守るとこんな感じになるのか。
なんか微笑ましくて口元がゆるんでしまう。
「うん」
小さく頷いて祠を見る。
土台は、すごく立派で頑丈そうな積み石だ。
その土台を、ぐるっと囲むように溝が掘られている。この溝は、礼拝堂のあれと同じで、水を流すためのものかな?
少し顔を上げて祠の本体を見る。
こちらは随分と、手作り感あふれる木造だった。
屋根と柱、壁はちゃんとある。でも、木材が傷むたびにツギハギしたのか、色合いがまばら。
「なんだか、ちぐはぐ……」
「これで、上モノよりも土台の方が年寄りらしーんで」
ぼくの疑問へ、不意打ち気味のゼキの応えで、肩が一瞬びくっとなる。
驚かさないでよ、という念をこめてジト目で見上げる。
「土台は古代の遺構のまんま。上は、村の連中が手弁当で修繕してるんですわ」
いつも通りゼキは気に留めた様子が全くない。むしろ、いつもよりにやけて見える。イタズラ成功、って感じ。
「なるほど」
とりあえずゼキの解説には頷いておく。
そっか。それじゃツギハギになるのも仕方ないんだろうな。
「おかーさんは、こっち」
また小さな声でシェナハが指さす。
指の先は祠の中、そこに鎮座する黒い石のかたまり。
「ねこちゃん」
「ねこ、ちゃん?」
じーっと目をこらす。言われてみれば、猫がおすわりしているように見えるような。
でも、ぴかぴかとすり減って滑らかになったそれは、ディティールが失われて、そう言われれば…という感じにしか見えない。
ばさっ。
くゎあっ。
じーっと目を凝らしていたら、不意に羽音と鴉の声。
振り返って見上げる。
ゼキの左腕に艶のある黒羽の大鴉が止まっていた。
嘴を彼の顔に向けて、なんだか話しかけているみたい。
ゼキの騎獣、カルグだ。
どう考えたって騎乗できないのに、なんで騎獣なのかと尋ねたら「そーゆーもんなんで」って。まともに説明してもらえなかったっけ。
「ん? そーかい、オヤジ」
ゼキが頷いて、頭上の樹冠を見上げる。くゎあっともう一度、カルグが鳴く。
「カルグ、しーっ」
シェナハがまた口元に人差し指を当てて。
くゎ。
今度は小さくカルグが鳴いて頷く。
なぜかゼキの言うことよりも、シェナハの言うことを素直に聞くんだよなぁ。
というより、ゼキの言うことを素直に聞かない、という感じ。相棒なのに。
「どうしたの?」
「いや、なんでもねーですよ」
尋ねると、ゼキは視線をぼくに戻して、しれっと言う。
だいたい、こういうときは何かあるんだよな。
頭上を見る。じーっと目をこらす。
さわさわと銀灰色の葉陰が揺れ、砕かれた陽の光が目をくすぐるばかりだ。何も見つからない。
「なにもない」
「めが、きらきらするー」
隣でシェナハも顔を上げている。口を開けて、さわさわと踊る光に見入っているみたいだ。
確かに綺麗だもんな。
ばさっ。
少し控えめな羽音がして視線を動かす。
カルグが、祠の上に飛び移っていた。
くゎ、とあくびするみたいに口を開けて、腰を落ち着ける。一休み、ってことかな。
もう一度、祠を見る。
不意に、周りに散らばった落ち葉が気になった。屋根の上は手が届かないけど、周りに落ちた葉を拾って、まとめるくらいならできそうかな。
「そうじ……」
「まりーが、いいこになった!?」
ぽつ、と呟いたぼくの言葉を拾って、シェナハが驚く。
ぴんと耳を立て、目もまん丸。
どんな風に思われてるんだろうな。まぁ、別に良い子あつかいされたいわけでもないけど。
「れいはいどうと、いっしょ」
「おかーさんも、いっしょだ!」
この間、礼拝堂の掃除をしたことは話してたから、それで通じたみたい。
それで、二人で手分けして落ち葉拾い。
幼児ふたり、しゃがみこんで背を丸め、無言でかさかさ。
ゼキは、大きな木の節くれだった太い幹に寄りかかって、腕組み。
あれ、目を瞑ってる。サボって居眠りしてるんじゃないよね?
土台を囲む溝に落ちた葉っぱを拾って集めていく。
表は濃い緑。裏側は銀灰色。
それで遠くから見た時と、下から見上げたときに違う色に見えたんだな。
不意に好奇心が湧いて、葉を揉んでにおいを確かめてみる。
しっとりと、しなやかな手触り。指先を鼻に近づけると、なんだか覚えのある匂いがした。
強くはないけど、穏やかに爽やかな緑の香り。
どこで知ったのかな? 記憶を辿る。
──今日は、オリーブの葉をお茶にしたのよ。
夕飯のあと、ベリルが笑顔で渡してくれた素焼きのカップ。香草茶から香った、あの匂い。
そっか。この木、オリーブなんだな。オリーブって、こんなに繁るものなんだ。
また頭上を見る。
さわさわと音を立てて、木漏れ日が揺れている。
……あれ?
ふわっと、何かを感じたような気がした。
質感のないものに撫でられたような、無臭のにおいを感じたような、無音の音が聞こえたような……かすかな、違和感としか言えない不思議な感じ。
でも、どんなに目を凝らして見ても、何も見つからない。
覚えがあるような、ないような。
似たような感覚を、知っている気がするんだけど。
「まりー、さぼったら、ゼキ!」
思考に沈んでいこうとしたところで、シェナハの声で引き戻される。
「ちょ、シェナハ、俺のことなんだと思ってんの?」
「そうだよね」
くすくす笑ってシェナハに向かって頷いて。
またお掃除に戻る。
それから丁寧に落ち葉を拾ってまとめたあとは、オリーブの木の下で一休み。
ふわふわしたお日様の光と風が気持ち良くて二人でお昼寝。
なんだかとても気持ちよかった。
今度はちゃんと掃除道具を持ってこよう。
次の投稿は来週 木曜日 6:00am の予定です。




