10. Wash It All Away
帰ってきた戦士たちは、それはもう、でろでろだった。
鎧も服も、顔や髪でさえ血と泥にまみれ、疲れ切っている。騎獣たちも、同じような有り様で、毛並みなんか分からないほど。
出ていったときの勇壮さは、どこにいったのかって言いたくなるくらい。
どこを探しても、でろでろだった。
傍に居るだけで、一歩後退りしたくなるような圧でさえ、どこを探しても見つからない。
アイベルクとリャナンでさえ、そんな様子で。
リャナンなんか、色白の美人さんが、すっかり台無しだ。
でも、二十七人の戦士たち、一緒に出ていった騎獣たち。誰一人、一頭として欠けていない。
自分の足で歩いて帰ってきた。
なんなら口元には、やり切って疲れ切ったとき特有の、緩んだ笑いが浮かんでたりする。
みんな、無事に帰ってきた。
「「「おかえりなさいっ!」」」
砦のみんなが揃って手を止めて、大きな声で帰還を迎える。
「溢れた魔物は殲滅! 軽傷者は多数も、重傷者と死者はなし! 素材はたっぷり持ち帰ったぞ!」
手を挙げてアイベルクがまた、張り上げるでもないのによく通る声で応えた。
「「「おぅっ」」」
後ろの戦士たちが手を挙げて続く。
「今夜はうたげ……」
ぱんっ。
勢いのまま言いかけたアイベルクを遮って、乾いた破裂音。
胸の前で手を合わせ、濃い緑の目を細め、笑みを浮かべるベリル。
「まずは衛生と素材の仕分けからね。怪我をした人はこちらの天幕へ」
こちらもよく通る声で、きっぱりと言い切った。
……というか、たぶん、魔法を使って声を響かせてる。
「宴の支度はできてるわ。しっかり一日の仕事を終わらせましょう」
優しい笑顔で、でも有無を言わせない圧力に、戦士たちの誰からも文句は出なかった。
ぱんっ。
もう一度、胸の前でベリルが手を叩いた。それが行動開始の合図。
帰還した戦士たちが、一斉にばらけて動き出した。
「冒険者の兄さん方は素材の仕分けと、騎獣の世話で二手に分かれてくんな。俺は騎獣の方に回るんで」
てきぱきとゼキの指示が飛ぶ。
冒険者さんたちは、それぞれ頷いて二手に分かれる。
「デヴリムは年長組連れて素材の仕分けに回んな。ついでに仕事、覚えてこい」
「はいっ」
元気よくデヴリムが頷いて冒険者さんの側に回る。
「坊っちゃんと年少組は、ベリルの治療の手伝いで。薬草、間違えちゃいけませんぜ」
今度はぼくの方を向いて。にやっと笑って余計な一言を足してくる。
「ははうえは、できないことはまかせないよ」
例えば、三歳児に冒険者の荷運びの差配とかね。
「俺もできねー仕事は振らねぇですよ。黒耳は……ウシュラのところに行ってやんな」
しれっとゼキはぼくに返して、黒耳に話を向ける。
寝そべって子供たちのクッション代わりをしていた黒耳が、くるるぅ、と頷く。
「しぇなーは……」
言いかけて、シェナハは言葉を止めた。
かーちゃんのところ……と言いたいんだろうけど。
たぶん、リャナンさんは大忙しだ。所長さんたちギルド職員との素材の買取の折衝は、彼女が引き受けているだろうから。
シェナハの手がぎゅっと、ぼくの手を握る。
そっか。
彼女の手を握り返して頷く。
「しぇなーは、まりーといっしょ。かーちゃんは、あと」
そう言ったシェナハの頭上から、黒耳の鼻先がにゅっと降りてくる。ちょんちょんと優しくつつく。
なんだか、よく出来たねって褒めてるみたいな気がする。
それを見たゼキが、ほんの少し目を細める。
「そーしてくんな」
いつものにやけ顔じゃなく、珍しく優しい笑顔。でも言葉はそっけなく言う。
そうして、ぼくたちも行動を開始した。
治療用の天幕は、なかなか凄まじい状況だった。
なにしろ、みんな例外なく、でろでろだ。そもそも治療どころじゃない。
痛みに顔をしかめてる人はいても、呻くほどひどい怪我をしてる人はいないのが救いではある。
負傷者の一番前で、鬼人のトゥランが腕組みして座っている。
座っていてさえ大きく見える。
泥に隠れてしっかりは見えないけど、全身、傷だらけだ。たぶん、深い傷はないんだろうけど……洗い流してみないと、やっぱりちゃんとは分からないな。
「こんくらいの傷、酒でもぶっ掛けておけば治っど」
適当でいいから早くしろ、という感じのトゥラン。
「泥まみれでお酒を掛けても傷は洗えませんよ」
まったく仕方のない人、という風にため息をつくベリル。
「来てくれたのね。みんなで水を汲んできてくれる?」
ぼくたちに気づいて視線を向けて、おっとりと言う。
「早う頼んど。こんままじゃベリルが放してくれん。呑み遅れっど」
続いてトゥラン。手のひらを立て、大きな身体を丸めて頼み込んでくる。よっぽどお酒が呑みたいらしいと伝わってくる。
こういう時は、妙な愛嬌があるんだよな。いつもは鬼人の体格と独特の迫力で近寄りがたいんだけど。単純に怖くって。
ともかくも次のお仕事は水汲みだ。
他の怪我人たちも、まず水洗いからだしね。
ぼくたちは井戸と天幕の間を何往復もした。
なにしろちびっ子組だから、何人かで運ばないと汲み桶一杯の水を運べない。なのに、怪我人のひとたちは、いっぱいいる。
天幕の傍に用意してあった素焼きの水瓶に、運んでは注ぎ、注いでは運び。
水瓶三つが一杯になったところでベリルの合格が出た。
怪我人は二十人くらい。討伐に出た人たちのほとんど。みんなちょっとやそっとじゃ落ちないくらい、でろでろ。
水瓶三つじゃ、まだ足りないんじゃないかな……
首を傾げたぼくに、ベリルが視線を向ける。
「マリクには魔術を見せたことがなかったわね」
にっこりと笑う。
「水よ舞え」
柔らかい仕草で右手を挙げ、詩を詠むように呟く。
瓶から水球が飛び出して回りだす。大人の頭より二周り大きいくらい。
「風よ水と踊れ」
左手の肘から先をくるりと回し、また呟く。
水球がぶくぶくと泡立ち膨れ上がり、白く染まる。
ベリルと水球の間で、何か力強い流れが穏やかに循環しているような感じがする。聴勁の調子が良いときに聴こえる、あの感覚。
「まずはトゥランさんからね。目と口はしっかり閉じていてください」
今度はトゥランに向けて、にこりと笑う。
「お、おぅ?」
トゥランの表情が少し崩れる。今までに見たことがないような。
「お酒で治るくらいなら、少し強くしても大丈夫ね」
挙げた右手を、柔らかく下ろしてトゥランに向ける。
「水玉よ、泡玉よ、包み流れ、包み流れ、穢れを洗え」
詩を詠む声。
ぱしゃん。
ふわりと水球が解き放たれてトゥランにぶつかる。
そのまま弾けて、でも散らばることなく張り付いて、大きな身体を薄く包む。
そうして、じゃぼじゃぼと身体の表面を回りだす。きめ細かな白い泡が、みるみる汚れで濁っていく。
ぽかん、と口が開く。
それは、やひろが美容に良いと欲しがったファインバブルジェットのシャワーヘッドと、洗濯機が組み合わさったような……
たぶん、繊細で高度な魔力制御の賜物なんだろうけど。
でも、初めて間近に見た異世界の魔術は、ファンタジーというより日本の工業技術を思い出させて。なんだか感想にとても困った。
そんな風に戸惑っている間も、水流はじゃばじゃばと巡り続ける。
十を数えるか数えないか。
そのくらいの短い時間で、赤黒く染まり、水球に戻った。
「マリク、空いた水桶をだして」
「あ、はいっ」
ぽかんと見ていたぼくに、ベリルから指示が飛ぶ。
慌てて水桶をトゥランの近くに持っていくと、水球がちゃぽんと収まり中を満たした。
視線を上げてトゥランを見る。
すっかり綺麗になった、ピカピカで赤銅色の肌の上には、無数の傷が走っていた。
腕に無数の爪や牙で裂かれた傷や、肉に食い込むような噛み跡、打撲痕。胸の辺りに深い裂傷は少なく、代わりに大きな打撲痕が多い。視線を落とし胡座を組んだ脚を見ると、腕と同じような有り様。
確かに致命傷や動きを阻害するような傷はない。多分、選んで受けたんだろう。
でも、こういうのこそ満身創痍というのじゃないか。
「うわ……」
もう一度視線を上げてトゥランの顔を見る。
金色を帯びた赤い瞳は静かで、目尻の皺に緊張はない。口元も、力みなく僅かに緩んでいる。
「これが、お酒を掛けておけば、治る傷、ですか?」
言葉を失ったぼくの背後から、ベリルの抑揚のない声と圧。
「おじけるような傷ではなか。戦働きン証じゃっど。大事を取るモンではなかっど」
太く芯のある声で、堂々とトゥランが応じる。
でもちょっと目が横に流れた。
「わかりました」
すっと前に出たベリルが、蜂蜜色の頬に笑みを浮かべる。
間に挟まれて、ぼくは二人の顔を見上げる形。
トゥランの顎がわずかに退く。口元が引きつり、額の二本角と後ろで束ねた黒髪が揺れた。
「手早く処置しましょうね。シェナハ、軟膏を持ってきてちょうだい。マリクは、シェナハと一緒に傷口に軟膏を塗って。他の子は、水桶の汚れた水を排水路に……穢れは流してしまわないと淀むから」
冷え冷えと平坦な声で、ベリルの指示が一息に飛ぶ。
「ここと、ここ…それからここは傷を縫うわ。手早くする分、傷が痛むかもしれないけれど……戦働きに比べたら大したことじゃないわね」
ひときわ大きなキズを三つ指さし、濃い緑の目を細め、淡々と微笑った。
顔をしかめても、脂汗をかいても、全身がぴくぴく震えても。
最後まで声を上げなかったトゥランの意地は、無駄に凄いと思った。
次話の投稿は明日 06:00am の予定です。




