7. Keep the Home Fires Burning
ぱんっ。
アイベルクたちの出陣を見送るぼくたちの背後で、乾いた音が鳴った。
振り返ると、胸の前で手を合わせたベリルが、いつもの柔らかい笑顔を浮かべている。
「さ、わたしたちも仕事を始めましょう」
ベリルの言葉に、隣でハリカとシェムが頷く。
背後でさざめく気配は、孤児棟の子供たちだろう。そういえば、彼らも戦士たちの見送りに出てきていた。
「帰ってくるみんなを迎える支度をしなくちゃ」
まだ不安げな表情の子供たちの顔を、ゆっくりと見渡してベリルが言った。
晩御飯の支度を心配するのと、まるで同じ調子で。
「あいよ」
いつもの軽薄な笑みのまま合いの手を入れて、ゼキが前に出る。
「デヴリムは、俺の手伝いとしてー…」
孤児棟の年長の男の子を指さして段取りを組み始める。
「ハリカとシェムも、ゼキの手伝いに回ってちょうだい」
ベリルの指示が続く。
「「はいっ」」
元気の良い返事。うつむき気味だった顔が上がる。
漫然と帰りを待つよりも、こうして役割を与えられて忙しくしている方が気が紛れるものな。
次にベリルの視線はシェナハに向いた。おとがいを指先で触れ、次の指示。
「そうね……黒耳の力も借りましょう。シェナハ、お願いね」
シェナハの耳と尻尾が、ぴくりと揺れる。
黒耳はウシュラの番。リャナンとシェナハとは家族のような関係だ。
「ぼくもいっしょに、いく」
シェナハの手を握って申し出る。
「まー、ぼっちゃんに天幕の手伝いはまだ早いですからねー」
茶化すようにゼキが返す。いつもなら一つ二つ言い返すところだけど、ここは軽く頷いておく。
「男手がもう少しあった方が良さそうですね」
少し中性的な声とともに、礼拝堂の神官さんがゼキの横に並ぶ。
「わたしも天幕の手伝いに回りましょう」
袖をまくり、長く伸ばした銀髪を雑に後ろでまとめて、働きますよと態度で示す。華奢な手首や首筋を見ると力仕事に向いてそうには見えない。まぁ、それでも貴重な人手ではあるものな。
「助かります」
笑顔でベリルが頷く。
「奥方様、わたしは厨房を……」
一歩引いて控えていた位置から、今度はメリサが一歩前に出る。
「お肉はたっぷりじゃなくちゃだめよ。重労働の後だから」
ベリルが注文を付けると、メリサは分かってますとも、という風に頷く。
「薄焼きパンも山ほど焼かなくちゃいけませんからね」
腕まくりに前掛け。すぐにも仕事に取り掛かれる様子だ。
「レイラは、他の子達とお手伝いね」
「はい」
そのままの流れでメリサは娘のレイラに指示を出す。腕まくりしながら応じたレイラの様子は母親と同じ。
容姿と服装だけじゃなく、仕草までそっくりな母娘だ。
ぽんぽんとテンポよく役割分担が決まっていく様子に、ベリルは満足げに頷いて。
ぱんっ。
もう一度、手を打った。
「さ、始めましょう。みんな日が沈む前には帰ってくるわ。のんびりしてる暇はないわよ」
出陣の余韻に沈む間もなく、砦が慌ただしく動き出した。
とはいえ、ぼくらの足取りは遅かった。
ただでさえ四歳児と三歳児の歩幅のうえ、シェナハに元気がない。
いつもならシェナハが、ぼくを引っ張り回すように歩く。
でも、今は逆。
シェナハの手を軽く引いて、ぼくが少し先を歩いている。
同じ砦の中ではあるけど、厩舎は隅にある。大人の足ならともかく、幼児の足でゆっくり歩いたら、まぁまぁ時間が掛かる。
でも、今は急かす気にはなれない。
天幕の資材みたいな大荷物を運び出しているゼキたちには悪いけど。まぁ、幼児二人にお使いさせるくらいだ。そこまで慌てなくてもいいんだろうと都合よく解釈しておく。
つないだ手の先で、シェナハが俯き気味にしている気配を感じる。
しっぽも所在なさげに、揺れてるだろう。
あのベリルとリャナン二人がかりで、こっぴどく叱られた時さえ、こんな風になったりしたことはない。二人でいて、だんまりのままでいることもなかった。
ぼくが生まれる前、ここで大規模な魔物溢れがあったらしい。
それを抑え込んだのがアイベルクとその仲間たちで、亡くなった人たちも沢山いた。その中のひとりにシェナハのお父さんがいた。
シェナハが生まれたのは、その魔物溢れから少し経った後だそうだ。
あっけらかんと「あったことないから、しらない」と言っていた。「でも、とーちゃん、つよかった」とも。
だから、そういうことなんだろう。
いくら強くても帰ってこないことだってある。魔物溢れというのは、そういうものだと、シェナハは知っている。だから……
「うわっ」
顔を上げたところに、赤金の毛が視界いっぱいに広がった。
ぼやんとした視界の焦点が合う。
静かに見つめる琥珀色の大きな目。かすかに揺れる先だけが黒い耳。
「くろみみっ!?」
背中越しにシェナハの驚いた声。
黒耳は少し顔を上げて、くるるぅ、と低く小さく喉を鳴らす。
そのままもう少し顔を上げ、ぼくの頭越しに、鼻先でシェナハをちょんちょんと突く。それから、その場に伏せた。
くるるぅ、ともう一度、喉が鳴る。
何を言いたいのか分からず、ぼくは首を傾げる。
「のれ、って」
ぼくの手を軽く引いて促し、シェナハはそのまま黒耳の背によじ登る。
「そうなの?」
ついていけなくて問いかけてみる。
黒耳は琥珀色の目でじっとぼくを見て、ふわふわの尻尾で、たしたしと地面を小さく叩く。
早くしろ、と言われてるような気がする。なんとなくだけど。よく分からないけど。
「まりー?」
黒耳にまたがったシェナハからも急かされた。
それで、ぼくも黒耳の背によじ登り、シェナハの後ろにまたがる。
す、っと予備動作も揺れもなく黒耳が立ち上がった。
すぅ、っと視界が高く上がる。
すーぅっと、やはり揺れもなく滑るように歩き出した。
動作の起こりが見えない。
黒耳やウシュラは、いつも、こんな感じで動く。だから気配も読めなくて、不意を突かれてばっかりだ。
黒耳とウシュラは番。ウシュラはリャナンの相棒で、黒耳はシェナハのお父さんの相棒だった。シェナハのお父さんが亡くなったとき、その遺体を連れて帰ってきたのも黒耳だったとリャナンから聞いた。
「かーちゃんは、だいじょーぶだよね」
思考に沈みそうになったところで、シェナハの小さな呟き。
黒耳の首の毛を小さな手で握り、顔を埋め、しがみつくようにして。
くるるぅ。
なんでもないように黒耳が喉を鳴らす。耳も、力が抜けた自然体のまま。
心配するようなことは起きてない。
そう言ってるように思うのは、ぼくの願望かもしれない。でも……
「そっか」
うなづいたシェナハの声が、少しだけ軽くなったような気がした。
「かーちゃんは、つよい」
「ウシュラもね」
もう一度いったシェナハの言葉に、なんとなく、ぼくも付け足してみた。
くるるぅ。
黒耳が低く喉を鳴らして頷く。
がらがらがらがらっ……
車輪の音が騒がしく轟いて、視線を向ける。
黒耳の背の上の視界は、幼児の普段よりも、ずっと見晴らしがいい。
砦の入り口から牛型の騎獣の引く荷車が入ってくるのが見える。
慌ただしく土埃を上げながら10人足らずの男女が脇を歩いている。みんな武器と防具は装備しているけど、数人は如何にも慣れない様子に見えた。
誰が門を開けたんだろう。
じっと目をすがめて見る。荷車から遅れて、少し足を引き摺るように歩く……
「ぜきっ!」
シェナハが指をさし、身を乗り出す。慌ててお腹の辺りに手を回して支える。
くるる。
黒耳が低く唸り、足を止めてた。首を捻って振り返り、ぼくをじっと見た。
多分、本当はシェナハに視線を向けたいんだろうな。首にしがみつく位置だから、届かないんだ。
「あぶないよ」
ぶんぶんとゼキに向かって手を振るシェナハをたしなめる。
まぁ、効果ないだろうけど。
「くろみみーっ、つれてきたー!」
うん、むしろ黒耳に迎えに来てもらったんだけどね。
苦笑いして視線を荷車に戻すと、牛の騎獣も男女も足を止めてこっちを見ていた。なんだか微笑ましいものを見るような生あったかさで、目尻が下がっている。
「へいへーい。坊ちゃん、シェナハと一緒に落ちないように太もも締めててくだせーよ」
シェナハに手を振り返しつつ、ゼキが雑なことを言う。
「くだせーよーっ」
ほら、シェナハの調子が戻ってきた。耳がぴこぴこ、お辞儀してる。
「こっちのって、おさえて!」
三歳児の力で、こんな元気いっぱいの四歳児を支えられるわけないじゃないか。
ふわり。
乾いた春風が頬を撫でるのを感じた。
次の投稿は明日 06:00am です。




