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翌朝。
「じゃあ、行ってきます!」
玄関でスニーカーの紐を結びながら、凪は振り返って何度も念を押した。
「今日は、絶対に外へ出ちゃダメだからね?」
玄関に正座した朔は、背筋を伸ばして静かに頷く。
「心得た」
「ほんとに……?」
「二言はない。約束は違えぬ」
その真っ直ぐすぎる瞳に、凪は苦笑しつつも少しだけ安心して扉を閉めた。
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埋蔵文化財センターへ到着すると、いつもとは明らかに違う、不穏で慌ただしい空気が流れていた。
「えっ……本当にないの?」
「この前発掘された、あの武人埴輪だって……」
「まさか、盗難……!?」
プレハブの事務所で、アルバイトの学生たちが小声でヒソヒソと話し合っている。
凪の胸が、どくんと大きく跳ね上がった。
(やっぱり……!)
保管庫の周りでは職員たちが忙しなく出入りしており、警察官らしき私服の男性たちの姿も見えた。
だが、現場全体がパニックになっているというほどではない。
「皆さん、少し集まってください」
矢島が、重い口調で学生たちを呼び寄せた。
「先日、一時保管スペースに収蔵していた例の『武人埴輪』ですが……現在、所在が確認できなくなっています」
一瞬、ざわっと大きな動揺が広がる。
「事件性の有無を含めて確認を進めている段階ですが、発掘調査自体は予定通り継続します。皆さんにはのちほど個別の聞き取り調査に協力してもらい、その後、通常通りの作業に入ってください」
「「はい……」」
不穏な空気を残したまま、学生たちはそれぞれの持ち場へと散っていく。
凪も返事をしながら、心ここにあらずだった。
自分の部屋にいる『朔』の顔が頭をよぎる。
(……いやいやいや! あり得ないでしょ! どうやって埴輪が人間になるのよ……!)
凪は大きく首を横に振った。
仮に、万が一そうだとして……それを誰にどう説明すればいいのか、皆目見当もつかない。
(か、関係ない……よね。うん。似てるだけ。ただのコスプレイヤー……)
強引にそう自分へ言い聞かせながら、凪は土器片を洗うバケツの前で、必死にブラシを動かし続けた。
***
その日は、七夕だった。
夕方、アルバイトを終えて駅へ向かう途中、駅前商店街の入口でふと足が止まる。
頭上を彩る、色とりどりの巨大な吹き流し。
軒先には青々とした竹笹が飾られ、風が吹くたびに赤や黄色の短冊がシャラシャラと涼しげな音を立てて揺れていた。
「あ……そっか。今日は七夕祭りか」
笹の周りでは、小さな子どもたちが楽しそうにはしゃぎながら短冊に文字を書いていた。
『さっかーせんしゅになれますように』
『かぞくみんなが けんこうでいられますように』
その微笑ましい光景に、凪の頬が自然と緩む。
「そうだ……」
凪は商店街のイベントブースで配られていた短冊を二枚と、小さな笹の枝を一本分けてもらい、大切に抱えて帰路についた。
***
「ただいまー」
部屋の鍵を開けて玄関に入ると、奥から姿を見せた朔が静かに頭を下げた。
「無事の帰宅、何よりだ」
「ふふ、うん。ただいま」
凪は靴を脱ぎながら、探るように苦笑いを浮かべた。
「あのね……今日は発掘現場がちょっと大変だったんだ」
「何かあったのか」
「武人埴輪がね……急になくなっちゃったの」
朔の表情は、ピクリとも変わらない。
「そうか」
「あんなに大きくて重い埴輪なのに、不思議だよね……」
凪は少しだけ彼の様子を窺うように、言葉を重ねた。
「……何か、心当たりとか知らない?」
朔は腕を組み、少しだけ想いを馳せるように視線を落とした。
「お前と会った夜……私は、主を探しに外へ出ていた」
「……え?」
「この身体になったと気づいた時、まずは、守るべき場所へ戻った。」
「…………」
凪の思考が完全にフリーズした。
(えっと……)
(いやいやいやいや)
話が妙な方向で噛み合っているだけだ。
この人は少し浮世離れしていて、独特の比喩表現を使うだけだ。聞かなきゃよかった!
「……そ、そっか……!」
凪はそれ以上、何も聞けなかった。
これ以上踏み込んでしまったら、本当に『あり得ない現実』を突きつけられてしまいそうな気がしたからだ。
***
夕食を終えたあと。
凪は買い物のついでにもらってきた小さな笹の枝を、テーブルの上の花瓶へ挿した。
「これは、何だ」
朔が不思議そうに尋ねる。
「七夕っていうんだよ」
「たなばた……?」
「一年に一度だけ、離れ離れになった織姫さまと彦星さまが天の川で会える日。昔から、この日に願い事を短冊に書いて笹に吊るすと、願いが叶うっていう風習があるんだ」
朔は静かに、凪の言葉に耳を傾けている。
「願い、か」
「うん」
凪は水性ペンを一本、朔の手元へ滑らせた。
「朔も、書いてみる?」
朔は差し出された鮮やかな色の短冊を見つめたまま、微動だにしなかった。
「……私に、願いなど」
その声は、どこか途方もなく遠い昔を見つめているようだった。
長い、静寂が流れる。
やがて朔は、小さく首を横に振った。
「思いつかぬ」
「ひとつも……?」
「……私の唯一の願いは、主が再びお目覚めになることだけだった」
ぽつりと漏らされた静かな声。
「……だが、その願いが叶うことはなかった。ならば、私にはもう……願うことなど何もない」
胸を衝くような朔の言葉に、凪は言葉を失ってしまう。
「……じゃあさ!」
凪は意識して、パッと明るい笑顔を作った。
「これから見つけよう?」
朔がゆっくりと顔を上げる。
「願い事ってね、最初からあるものだけじゃなくてもいいと思うんだ」
「……見つける」
「うん! この夏の間に、朔がやりたいこととか、欲しいものとか……何かひとつでも見つかったら良いなって思って」
朔は深々とした瞳で凪を見つめたあと、ゆっくりと手元の短冊へ視線を落とした。
思案するようにしばらく固まっていたが、やがて意を決したようにペンを握り、ゆっくりと文字を滑らせていく。
凪も自分の短冊を取り出し、胸の前でペンを走らせた。
『今年の夏も、楽しく過ごせますように』
書き終え、ふと「朔は何を書いたんだろう」とこっそり覗き込んだ。
「願い事は……秘密?」
「いや、構わぬよ」
朔は静かに、短冊を笹の枝へと結びつけた。
そこに並んでいたのは、不器用だが力強い文字で書かれた、たった一行。
──『願いを見つけたい』
その文字を目にした瞬間、凪の胸の奥が温かいもので満たされていく。
「うん……!」
凪は優しく目を細めた。
「きっと、見つかるよ」
夜風が網戸越しにそっと吹き込み、笹の葉がさらさらと涼しげな音を立てて揺れた。
その音を聞きながら、朔は窓の外に広がる真夏の夜空を見上げる。
星の名前も知らない。
七夕の詳しい由来も、まだよく分からない。
けれど──。
「……願いを持つことは、許されるのだな」
誰に聞かせるでもなく呟いたその言葉は、静かに溶けていった。




